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そして、今日も台所に立つ。

 「ホント、聖って幸せそうに(または、美味しそうに)ご飯食べるよね」。母さんは若い頃、よく友だちにそう言われた。よく食べたし、残さず食べた。人が残したものまでたいらげて、「歩く三角コーナー」という異名をとるほどだったから、半ば呆れ気味にそう言われていたんだと思う。最近はあんまり言われなくなったけど、今でもおいしいものを食べるのは好きだし、家事の中でもわりと真面目にこなしているのは料理だと思う(ああ、それでも君たちのお弁当に関しては早々に投げ出したのだけど)。

 実家で暮らしていた高校生までは、お腹がいっぱいになればそれで満足だった。ままちゃんは食べ盛りの年子三人のお腹を満たすために、本当によく頑張ってご飯を作ってくれていた。一升炊きの炊飯器で朝な夕なにご飯を炊き、くすんだ金色のアルマイト鍋いっぱいに、さつま汁やカレーを作ってjくれた。新聞紙を広げて、野菜のかき揚げを山盛りに揚げてくれた。宅配ピザみたいに大きなお好み焼きを何枚も焼いてくれた(大阪生まれの父さんは、実家のお好み焼きを初めて食べた時、粉と卵がたっぷり投入されたずっしりと重たいソレを「これはお好み焼きじゃない」とのたまった)。
 フルタイムの仕事が終わると、ディスカウントストアで買った食材を自転車の前かごとリアキャリアに満載して帰ってきた。ままちゃんはお掃除も洗濯もお裁縫も家事は何でも器用にこなすけど、一番の重労働は炊事だったんじゃないかと思う。だからなのか、家事の中でも料理はあまり好きではないと以前こぼしたことがある。一方で、何度か誇らしげに口にしていたのは、「ご飯をしっかり手作りしていたから、ウチの家族は大きな病気をしなかった」ということだった。

 大学進学とともに実家を離れ、自炊をするようになってから30年以上が経つ。一人暮らしを始める時、ままちゃんは母さんに「お料理基礎ノート」という本を買ってくれた(この本は、今でも台所の棚にある)。その本には、食材別に、あるいは調理法別に、基礎的代表的なメニューの作り方が載っていた。母さんはそれまで、学校での調理実習以外に、自宅では食材の下ごしらえを手伝うことはあっても、一食分を通しで調理したことはほとんどなかったと思う。そんな母さんには、この一冊と、大学生協の本屋さんで買った「自炊のすすめ」という本はとても役に立った。
 限られた生活費の中で、食材を効率よく使って、食べたいものを作って食べる。自炊生活を始めて早々に、料理というものは、食材×調理法×味付けの組み合わせと捉えれば、どんな組み合わせでも何かしら食べられる一品になると母さんは理解した。もちろん、食べたいメニューを決めてから食材を揃えて作ることもあるけれど、少人数(大学時代の半ばから母さんは父さんと同棲し始めていたので、食事は二人分用意することが多かった)の場合は、それでは食材がうまく使いまわせない。名もない料理を日々こしらえ、時には突飛な組み合わせで同居人の父さんに妙な顔をされることもあった。ついこの間、母さんがココナツミルクと間違えてフルーツ缶を投入して仕上げたグリーンカレーを出した時、母さんがとんでもないミスに気付いて騒ぎ出すまで父さんは黙々とそれを食べ、「意外と美味しかったし、久々のチャレンジだと思ってた」と語ったのは、そんな訳なのだけども、ままちゃんと比べて百倍ズボラな母さんが、前向きに料理を作り続けてこられたのは、美味しくても不味くても一緒に味わってくれる家族がいてくれたからで、それは本当に有難いことだと思ってる。
 そして、家を離れた君たちが、たまに食べる母さんの料理を「美味しい」を連発しながら平らげてくれるのがとっても嬉しい。おまけに、君たちが元気に育ってくれたおかげで「それは、母さんが晩ご飯だけでもしっかり作ったから」とドヤ顔しても許されるような気にさえなっている。

 生活費が足りなくなって、ジャガイモと塩コショウだけで数日間を乗り切った時も含めて、学生時代を通じ母さんのエンゲル係数はやたらと高かったと思う。農学部に進学したからか、食にこだわる人との出会いが多かった。実家で暮らしていた頃は食材はスーパーで買うことしか知らなかったけど、学生時代を過ごした信州では、農産物の直売所が大小あちこちにあり、しぼりたての牛乳を一升瓶に詰めて分けてくれる農家さんや、天然酵母パンの小さなお店など、どこまで商いなのか分からないような小さな営みに触れて、お金と食べ物の価値についてあれこれ考えさせらる機会もあった。
 バブル経済の絶頂期を、車で何10kmも走らないとコンビニもファストフードのお店もない地方で暮らし、都会では考えられないくらい安くて新鮮な野菜や、丁寧に手を掛けられた加工品を手に入れて、地に足をつけた生活の豊かさを日々味わっていた。直売所で売られている食材や調味料の中には、スーパーで売っている大手メーカーのそれとは比べものにならないほど高価なものもあったけど、どれだけ手がかかっているのか、それで生活している人の暮らしを思えば、真っ当に生きるためにも必要な出費だと思っていた。アルバイトで生活費を稼ぎながら、何にお金を払うかを選べる暮らしに満足していた。
 将来のことも考えず、子どもの事も考えず、刹那的に生きられる気楽な身分だからこその贅沢だったかもしれないけど、およそこの学生時代に生活の何に価値を見出しお金を遣うのか、自分なりのスタイルを確立できたように思うし、暮らしを共にしていた父さんとも(結婚までまだ数年あったけど)それは共有できた日々だったのかなとも思う。

 妊娠して、子育てが始まったら、食は子どもの育ちにも直結する大切な営みになった。だけど、それは決してしんどいことではなく、生きることを楽しむための、新たな口実だった。
 アトピー性皮膚炎で小食だった一人目の君の時には、離乳食で悩んだこともあったけれど、そもそも離乳食は必要なのか、食べるとはどういうことかを生物学的視点で考えたら、自ずと楽な方法に行きつけた(それがどういった方法か、君たちはもう知っているはずだからここでは触れない。それはみんなにとっての「正解」ではないと思うから)。あまり深く悩まずに済んだのは、食べることについての自由な経験―何を食べるか、どう食べるか、どれだけお金を遣うかをアレンジすること―があったからだと思う。
 おまけに、子育てを通じて、地元の農家さんとつながり、地域に根差した食や農の体験を楽しむこともできた。梅の漬け方、味噌の仕込み方、つくばならではのお雑煮の作り方も、農家さんから教わった。もっとも、我が家のお雑煮のルーツは、鹿児島出身のままちゃんが作っていたお雑煮にもあるのだけど。

 今年も家の向かいの田んぼに水が入って、夜には蛙が大合唱する季節になった。母さんは子ども時代は田んぼの近くに住んでいて、大人になって家を建てることになったら、田んぼの近くに住めたらいいなと思っていた。稲が育って、実って、穂が垂れ下がっていく様を眺めていると、安心して生きていける、足元がしっかり支えられているような気がする。
 グローバル化とか、気候変動とか、農業の担い手不足とか、食を巡る不穏な話題は尽きないけれど、おなかいっぱいに食べられる幸せ、食を選ぶことができる今を生きられる幸せを噛みしめながら、母さんは一緒に食べてくれる誰かのために、できるだけ台所に立ち続けたいと思う。
 時には、カップ麺にお湯を注ぐだけであっても、あたたかな湯気に気持ちがゆるむ。学生時代に発売された、日清カップヌードルのチリトマト味は、今食べても美味しくて母さんはめちゃくちゃ感動するんだ。

2024年5月20日 牡牛座で天王星と木星と太陽がランデブーの最後の日に。

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