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円安"援"高を目指します!

2022年12月22日から、初めてクラウドファンディングをスタートし、22日が経ちました。

この中で思ったことがあります。


それは、「応援いただいて嬉しかった反面、正直なところ、少し葛藤も感じた」ということ。


考えすぎであるとは思うのですが、応援頂いた方のリストを見ると、「こんな方まで支援をしてくれているの!?」と感動する反面、その人に「奢ってください、お金ください」と普段なら絶対に言わないことを言ってしまっているような、葛藤に駆られてしまったのです。


「これって結局、大切な仲間や先輩方に、お金をせびっていることになるのではないか」、と。


もちろん、強制してはいないですし、嘘をついているわけでもありません。ただ、客観的に見ると、そんなことを考えなくて良いのですが、やっている当人として、そう感じてしまう部分がありました。応援して欲しいけど、応援して欲しくない(せびりたくない)という矛盾を感じたのです。


本日は、これを解消するために、考え、行き着いた結論を紹介できればと思います。


【借りを頂いたに過ぎず、それを返せるかは自分次第】


シンプルに結論を言うと、「自分が頑張ればいい」ということにつきます。


少し、ややこしい表現で言うと、頂いた応援資金を、それ以上の価値に転換し、近い将来にそれ以上の価値を返すことでのみ、正当化できる、と。


価値を返すのは、金銭的である必要はないと思っています。金銭で返してしまうと、投資になってしまうので、ちょっと違うかな、という気もします。


一番は、応援のおかげで一緒につくった成功体験を共有する、ということではないかと思ったのです。


自分がやろうとしていることに、応援をしてもらった。その応援が形になり、大きくスケールしていった時、その最初の支援をした参加者として、一緒に成功を喜べるということが、唯一、目指すべきこと、応援される側ができることなのだ、と。


応援は「通貨」である。

応援は、ある意味、為替機能をもった「通貨」だと言えるのではないでしょうか。なぜなら、1円を応援いただいて、1.2円にできるか、5円にできるか10円にできるか、その価値が変動するからです。そして、その"為替"を動かすのは、自分の努力次第なのです。


つまり、頑張れば、円安援高(応援の価値が、頂いた円を上回る)に。頑張らなければ、円高援安になるみたいなイメージです。


そう考えると、腑に落ちたのです。


つまり、応援を頂いたことが、頑張らなければいけない環境を作り出すことであり、レバレッジ(てこ)になるもの、するべきものなのだ、と。


そうすると、クラウドファンディングは、自分自身を、目標達成に向かわせる、強力なツールということになります。

だから、ご支援いただいたのは、「お金としてのお金」ではなく、「応援としてのお金(=頑張る責任)」と捉えようと考えました。


もし、応援してくださる方が1人でも増えると、頑張る理由が増えます。どうか、応援の検討をお願いします!


私は、"援高"になれるよう、がんばります!

引き続き、プロジェクトで掲げているゴール「マーケティングを加速し、世界に影響を与える日本」を実現していくために行動します!


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