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他人(ひと)の人生を、生きない。

他人の人生を、生きないこと。

40年生きてきて、大事だと思う、5つの「"せい"」について、1つずつ書いてみようと思います。
その1つが、「他人の人生をきない」("生")ということです。

他人の人生を生きるとは?

では、「他人の人生を生きる」とはどういうことなのか?

それは、以下を行動基準とすることです。
・他人(ひと)に言われたから。
・他人(ひと)がやってるから。
・他人(ひと)がこうしたから、分かってないから。
・他人(ひと)に評価されるため。

尊敬する「その人」は、他人である。

その「他人(ひと)」は、自身の尊敬する人かもしれませんし、
信頼している人かもしれません。あるいは、批評をされる嫌な相手かもしれません。会社の上司であり、その人の評価が自分の給与や賞与に直結する相手かもしれません。

でも、どんな相手であれ、どんな理由があれ、先にあげたような理由での決断をしてはいけないと考えます。

他人に言われたとしても、最後は「自分が考え抜いた結果、それが正しいと信じたから」と言えなければなりません。例え上司であっても一緒です。

「上司が言ったから、やりました」は、社会人的にはとても幼稚な意思決定です。もちろん、それをやらなければ仕事を続けられないようなパワハラ的な場面もあるかもしれません。(でも、それなら続けないという選択肢を選ぶことがより良いかもしれませんが)

それでも、です。
いかなる理由があろうと、「言われたからやっている」は他人の人生を生きていることになります。

自分の尊敬する◯◯さんがやっているから、も全然理由にはなりません。
それは、「考えてませんでした」に等しいのです。

人間は、考えられる力を与えてもらった生き物です。そしてそれが力などを超えて、最大の武器になり、エコシステムの頂点に君臨することになったのです。

その最大の武器を使わないことは、社会的にサバイバル率が下がることになる(思う通りの人生を生きられない、という意味での勝ち負け)と考えましょう。

なぜ、尊敬する人の言葉を鵜呑みにしてはダメか?

それは、あなたが◯◯さんではないからです。
とりあえず、行動をしてみようと思って、◯◯さんがやっていることを真似する実験をしている、ならいいでしょう。これは自分の意思で「試している」のです。

他人に評価されることを目指すより、他人の評価を超えることを目指すべきです。

他人はあなたを、過剰評価も過小評価も平気でしてきます。
だって、「他人にとって、あなたは他人だから」。

あなたには、こんな経験ありませんか?
「昨日まで、否定されまくっていたのに、ある時、会社や社会で認められた瞬間に肯定される経験、またはその逆」を経験したことはないですか?
または、周囲の人のそんな経験を聞いたことはないですか?

それが真実なのです。
他人は、他人の人生を生きているのですから。

どんなに、あなたを信じてくれ、買ってくれていて、可愛がってくれていても、その人は他人であって、あなたではないのです。

上司であっても、明日、あなたの上司でなくなるかもしれません。

そんな他人に、人生の舵取りを委ねることはやめましょう。
その人が信頼してくれているのは、「あなたがこれまであなたであったから」なのです。
もちろん、逆らえと言ってるわけではありません。
「これをやってくれ」と言われれば、その上司の立場、さらにはその上の立場になって、「何の目的で、なぜやるのか」を考えてやるのです。(またはやり方を変える提案をすることもあるでしょう。)

あなたは、あなたですか?

あなたが、その他人の決断を自分の決断とするようになると、
「あなたは、もはやあなたではなくなってしまう」のです。

「"あなた"は、"あなた"ですか?」
それともあなたは、他人の評価対象でしかないのですか?

経験がないと、
迷って迷って、決められないこともあるでしょう。
誰かにすがりたくなることも、必ずあります。

その人が言っていることが正しいとしか思えないこともあるでしょう。

でも、迷って決めて、実行したのは、あなたがあなたのためにやったことにならなければなりません。それが血となり、肉となる。

迷って決められない時は、決められないほど選択肢があることを、幸せに感じましょう。そして吟味しましょう。

選択肢が一つも思い浮かばない時は、いろんな他人にアドバイスを求めましょう。あなたではない他人は、その物事に対して、冷静沈着です。
多種多様なアドバイス(選択肢)を、瞬時に、しかも優しく(時に厳しく)提示をしてくれます。今なら、ChatGPTにだって相談ができます。

誰をアドバイザーにするか、あなたが決められる。

だから、他人がいるのです。でもそれを決めるのは"あなた"です。

決めたことを、その結果を、他人のせいにするのはやめましょう。
運転席にいるのは、あなたなのです。

事故を起こしたとしたら、"右にいけ"、"スピードを上げろ"と言った助手席の誰かではなく、あなたの責任なのです。
もし、それが断れないようなアドバイスだと思うなら、助手席から早く下ろしてください。それはあなたの適切なアドバイザーではないから。

自分の責任で生きた時、その事故は、一時的には痛ましいものですが、
必ず、その先に良い経験になります。

何のために起きたのか、その瞬間にはわからないのですが、
必ず、自分にその事故は何かをもたらしてくれます。
起きるべくして起きたのです。

その時に、「他人のせい」にしていたとしたら、それはあなたを目覚めさせるための、痛々しい事故だったのかもしれません。

あなたは、誰を「助手席」に乗せますか?
それは、他ではない、あなたが決められるのです。

他人の人生を生きていると感じたら、今すぐ飛び降りましょう。
遅くても、地味でも、不器用でも、自分の人生を生きましょう。

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