中小企業の経営者は貴族階級
今回はなぜ田舎では投資(これは人や設備投資つまり未来に対しての投資という意味です。)が行われないのか?ということについて説明していきたいと思います。
まず一言で表すと彼ら(田舎の経営者)が作為的な貴族だからです。
まずこちらのポストを見てください。
そもそもが下記のポストに対する反応なんですが、面白い!と思ったので今回ちょっと考えてみました。
えっ?お金があれば豊かになるに決まってるじゃん!と思う人はお金持ちと豊かさを混同してしまっているからなんですね。
言い換えれば美人といい女でしょうか?
最後から2番目の恋
昔見たドラマで最後から2番目の恋ってドラマがあったんですが、(概要はwikiでも見てください。)
小泉今日子演じる千明が「昔は美人プロデューサーと言われてたけど、今は…」と言うと、リリーフランキー演じる灰田というキャラが「そんなこと言うな。いい女はいくつになってもいい女だ」って言い放つんです。
これはカッコいい!と思っていつか使おうと思っているセリフの一つにリストアップしています。
で、豊かさとお金持ちの話ですが。さっきの話とどう繋がるかというと、美人というのはその人の持つパーツ、状態のことなんです。それでいい女というのは心の持ちようとか所作という内面の美しさみたいなものなわけです。
つまりお金持ちは状態であって豊かさとは心の持ちようということです。(田端さんが意識して使っているかどうかは知りません)
つまり未来に対しての投資を行わず、貨幣とか金利政策で豊かさなんてちゃんちゃらおかしいでしょ?ただお金が増えたり減ったりしてるだけじゃん笑実際なんも変わらんよということです。
確かにその瞬間は貨幣の供給や金利でお金持ちの状態にはなれますが、それは豊かさとは違います。
何回も言いますが豊かとは心の持ちようで、お金持ちというのは状態なんです。
ここからちょっとずつ田舎の経営者は作為的な貴族に近づいていくので少々お付き合いください。
次に貴族というものを少し理解したいと思います。
嫌な公家
私たちの思う貴族とは「まろのためによきにはからえでおじゃる。」みたいな嫌な公家さんを想像するとおもいます。おじゃる丸の影響でしょうかね。
しかし、海外というか昔でいうところの貴族というのはちょっと認識が違うのです。
ホンモノの貴族というのはもちろん世襲です。しかし彼らにはノブレスオブリージュという考えがあります。
東のエデンで「ノブレスオブリージュ 今後も救世主たらんことを」ってコンシェルジュであるジュズが言うのですが、持てるものの義務を果たせと言うことです。
このノブレスオブリージュという言葉は、noblesse(貴族)とobliger(義務を負わせる)を組み合わせた言葉で、欧米社会に浸透する基本的な道徳観として、財力や権力、社会的地位を持つ者には社会的責任が伴うことを指します。
つまり、今持っている、財産、権力、社会的地位は自分自身の能力ではなく社会から与えられたものであるため、自己を犠牲にしてでも果たすべき社会的義務があるという考えです。
つまりこの考えがあるのが貴族であり、作為的な貴族はこのような考えをもっておらず「俺はこの位置にいるのが自分の能力だ!」とふんぞりかえるわけです。
例えば僕らも「なんで最大手で働く俺がティア3の会社になんて就職しなくちゃならないんだ!」とか「Aランク大学の俺がなぜFランの奴らと働かなくちゃいけないんだ!」みたいなことを言います。
他にも「こんなに綺麗に産まれたのになぜあなたと付き合わなければいけないの?」や「俺の年収でなぜこんなババアと結婚しなきゃならないんだ!」とかですかね。
つまり先ほどの豊かとお金持ちの違いと同じで、貴族というのも、大企業で働くのもAランク大学に行くのも状態な訳です。
基本的に運に左右されるのが僕らです。そして今が恵まれていることに気づいて、義務を果たせるのが豊かさです。
ちなみに貴族をGoogleで検索すると
というのが返ってきます。つまり貴族とは世襲の上流階級の人のことを指す言葉なんです。ちなみに経営者が世襲である割合ですが、上場企業で半分、中小企業で言えば子供である割合が77%子供以外の親族である割合が11%で88%が親族です。
僕の体感ともあなたの体感とも合致していると思います。
つまり会社経営者は世襲であると断言できるんですね。そうなると彼ら彼女らは世襲であり、社会的な特権を有している貴族であると言えるわけです。
しかもその貴族というのは、血筋みたいなホンモノの貴族ではなく、うまくいった代からたまたま受け継いだ立場であり、この中小企業の経営者というのは作為的な貴族になるのです。
つまり思想教育というのが足りていないのです。
綺麗事と汚い事
僕ら現代っ子は人類は平等である。という教育を受けています。
確かに人には上下はありません。しかし立場には明確に上下があります。そこを教えていないのです。
綺麗事でできた思想というのでしょうか?汚い事というのを誰も教えないのです。だからみんなでおんなじ教育を受けて「さぁ!スタートラインは同じだよね?こっからはみんなの努力次第だよ!」みたいな残酷なことになってしまうのです。
昔のヤクザのような先生や理不尽な先生も汚い事を教えるのには良い教師でした。もちろん反面教師としてですが。
さぁいよいよ本丸のお話です。
親心とトマピケティのr>g
経営者は基本自分の子供に会社を引き継ぎます。それはもちろん「この子に譲りたい」という親心と会社の論理の2つがあるからです。
会社の論理はもちろんお金の話です。債務と一緒に引き継ぎます。だからもし家を抵当権にいれなければならない場合などは息子、娘に引き継ぐしか無いわけです。
まぁ今はないでしょうが。
そして息子、娘はこの地位に縋ってしまうわけです。会社を自分の中心において自分の能力であると思ってしまうわけです。
そうなるともう答え合わせになります。
自分の地位は自分の能力であると考えて、今の地位が無くならないように継続することを望むわけです。
それも楽観的観測で。
では地位が無くならないためにはどんな方法があるでしょうか?
それは資本を大きくすることです。
この投資というのは設備投資や人的投資ではなく、田端さんがポストしたようなお金だけが動く投資です。
全体の利益ではなく自分の利益の追求、そうすれば不景気に左右されない。
会社が潰れて従業員が困っても自分はなんとかなる。それが現代の作為的な貴族の望むところなのです。
つまり与えられた立場に対する責任を果たすことをせず、立場からの利益を最大化することだけを考えているのが投資をしない原因なのです。
かといって経営権を他人に渡すというのは嫌だと思います。僕だって自分の子供に受け継ぐでしょう。
あなただってそうだと思います。綺麗事だけで社会はまわりません。当たり前の話です。
だからこそ経営者はしっかりと自分の子供に教える責務があるのです。引き継ぎにあたる心構えというものを。
制度は後追い
今の教育のようにみんな平等である。という教育には限界がきています。非正規の割合が4割を超えている現状から見て今までの普通が普通でないことが伺えます。
普通というのは全体の8割から9割が行えることです。6割しか正社員がいないのに正社員で普通に働くというのは無理筋でしょう。
貴族には貴族の教育が必要です。僕らの今の教育制度は優秀な工場労働者に対する教育です。他の階層と交わることも大切ですが、そこと比べてなんになるというのでしょうか?
現行の制度には限界がきています。僕らがいつまでも会社員を続けることができないのと同じように。
社会の構造が変わる時、常に教育が変わってきました。家で勝手に行われていた時代を経て、家庭教師になり、塾になり、今の教育になりました。
現行の制度では真面目に学校にきて、覚えることができる人間がエリートでした。それは国のリーダーにとって都合の良い教育です。
しかし国のリーダーが王や権力者ではなく、民になった時現行の制度で耐えうるのでしょうか?
答えはNOです。
私やあなたが1人ずつ答えを探さないといけない時代に、覚えるだけが得意な人にリーダーを任せることができるでしょうか?
しかしそれらの問題には今のところ答えがありません。制度というのは基本後追いです。もうそろそろ限界を迎えますがまだまだ変わるのには時間がかかりそうです。
今回のおさらい
今回はなぜ地方の経営者は設備投資や人的投資にお金を回さないのか?について考えてみました。
答えとしては作為的な貴族であるからです。
作為的な貴族とはノブレスオブリージュ、権利と引換の責務を果たさない、そんな思想のない貴族のことです。
僕らは今の立場が自分の能力だけで得られたものだと勘違いします。それは傲慢ですよね。
そして教育制度が限界というのも原因です。人間は平等ですが立場には上下があるのですから、その汚い事というのを教える大人も必要なのです。
これらのことを踏まえて、「じゃあ産まれで決まってるなら何をしても無駄じゃないか!」というのは間違いです。
じゃあどうしようか?で大丈夫なんです。なぜなら豊かさとお金持ちは違うのですから。
それでは、また、水曜日に。
あどりでした。
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