努力という名のペテン
「不幸?それはお前の努力不足だろ。お前が今まで怠けていたからお前は不幸なんだよ。」
これは本当のことなんでしょうか?
「努力すればなんでもできる!」
「すべての人間に可能性の扉は開いている!」
これらの言説を論理的に説明できますか?別に努力することを否定するつもりはありません。なぜなら私も努力をしなくてはならない人間だからです。
"努力しなくてはいけない人間“というのは、努力すれば人並みになる人間です。
例えばあなたの最終学歴は履歴書になんと書けますか?私は高卒です。それもアホ高校の。
「偏差値?なにそれ美味しいの?」状態ですのでどの程度のアホかおわかりだと思います。
ちなみに偏差値は40らしいです。立派に底辺高校ですね笑
しかし私は努力してこれまでのnoteに書いているようなことを実践し、ある程度幸せに生きています。しかし努力すればするほど上には上がいることを実感しています。
ある程度努力したことによって、どんなに努力しても大学を出ていない人間を拒む壁(フィルター)が存在することもわかりました。
しかしこのフィルターを通り抜ける人間がいます。それは事実です。つまりこれは私の努力が足りていないという示唆なのかもしれません。自己責任として考えれば。
しかし全て自己責任で終わらせて良いのでしょうか?
「あいつは努力していないからマックジョブなんだ。」
「あいつは努力しなかったから不幸なのだ。」
その程度の雑な括り(フィルタリング)で構築されるべき事象なのでしょうか?
あの日の彼は
私には子供の頃から近所に住む友達がいました。部活も同じ。そして小中高と同じ学校に進みました。しかし同じ人生を歩んでいません。それは《彼が努力せず私が努力した》からなのでしょうか?
その友達(彼)は子供の頃から父親がいませんでした。そしておじいちゃんは元ヤクザでした。情に熱く、弱い人間を放っておけないタイプです。友達が近所の年下の子を泣かした時に「お前を今怒っているのは喧嘩したからじゃない!喧嘩なんて好きなだけしろ!でもお前は年下のお前より弱いものに手を出した!それは最低の人間がすることだ!」そう怒っていたのを思い出します。
おばぁちゃんはすごく過保護な方で夜遅くなるとすぐに探しに行くようなおばぁちゃんでした。口癖は「〇〇いる?どこいったか知らない?」でした。孫を愛していたのでしょう。
しかし永遠におじいちゃんとおばあちゃんがいる訳ではありませんでした。中学を卒業する頃には両方ともお亡くなりになりました。彼が周囲に取り込まれて行くのはそれからすぐのことだったのです。
彼は私よりも勉強ができスポーツもずっと上手くやっていました。それは周囲の人間関係もそうでした。彼は良い子だったと思います。どちらかといえばというよりも私の方が断然落ちこぼれ、盆暗でした。
しかしながら私たちの周りにはとんでもなく誘惑が多かったのです。私の地域では高校を卒業することがとんでもない真面目なことなのです。大体の人が中卒です。
「そんなところ日本に存在するの?」
そう思うかもしれませんが事実存在します。そして彼は高校生になった時から周りに《不良》というレッテルを貼られるようになりました。どんどんと近所のヤバい人達と同じ行動同じ思考になっていきました。
盗み、恐喝、薬物。絵に描いたような不良のストーリーです。そして彼は少年院に入り20歳になる頃には前科三犯の犯罪者になっていました。
私は出所祝いに寿司を一緒に食べに行きました。と言っても回転するお寿司です。その時彼は普通に高校を出て普通に働いている私に、「真面目にできるやつって凄いよな、才能だよな」そう言っていました。
そしてその彼は現在いません。暴力団に入りそこから逃げるために現在も行方知れずです。彼に会うということは今後訪れないかもしれません。
彼は努力しなかったから不幸になったのでしょうか?もし彼の親が銀行員だったら?社長だったら?そんな思いが頭をよぎります。
確かにその道を選んだのは彼かもしれません。しかし18歳以下に選挙権がない理由を考えればわかるのですが子供に判断能力は私たち大人ほどはありません。だからこそ彼は努力しなかったから不幸になったのか?そう問うているのです。
「それは確かにそうかもしれないが、大人になったら全部自己責任だろ。」
そうでしょうか?
家畜人ヤプー
努力しても人並みにならない人は存在します。ジョーカー事件や京アニの事件を覚えていますか?
彼らに共通するのは死ぬほど他責思考ということです。その上で思考が短絡的ということころにも共通点が見出せます。
これがダメになった!→コイツのせいだ!→殺す!
こんな思考は普通の人はしません。しょうもない借金を背負う人も同じです。
お金がない!→でもいる!→借りる!
これにより銀行から借りず消費者金融などからつまむのです。論理的に判断することができないのです。これをしたらこうなるという即何かが起きる行動しかできないのです。
努力というロングスパンの投資行動ができない人がいるのです。
思考を他責にしてその上に努力という目に見えて進まない投資行動ができない人。それは言わば思考を放棄した従順な家畜なのかもしれません。
家畜人ヤプーという本を知っていますか?正直おすすめはしません。
簡単に説明すると、クララという元貴族の白人女性と麟一郎という日本人男性は結婚の約束をしていました。そしてその2人の元に未来からやってきたポーリンと出会います。この遭遇により2人は未来の価値観に感化されていく。というお話しです。
この世界では40世記になると白人女性がトップに君臨し以下は白人男性、そして眷属奴隷として黒人、家畜として黄色人種になるというSF小説です。
家畜として黄色人種は存在していて、肉体を改造されたりしながら白人にとって完璧な姿になっていく。そんなエログロSF小説です。
興味があればお読みください。おすすめはしません。
その中で主人公のクララが馬に鞭を打つことが可哀想だという麟一郎に、「同情なんて感情は自分の同族に対して持つもので、家畜に同情するなんておかしいわ」というセリフがあります。
HUNTER×HUNTERのメルエムの「お前は今まで牛や豚の命乞いに耳を貸したことがあるのか?」を思い出すようなセリフです。
私もあなたも家畜に対しては残忍であり、そこは否定できません。食用にするために愛を注いで育てている方もいらっしりますが。食用にすることに対して同族ではないので嫌悪感などありませんよね?それと同じで家畜人ヤプーでは黄色人種は家畜なのです。
だからこそ食べるし、皮も剥ぐし、自分達に都合の良いように繁殖させ改良します。そこに残忍であるという感情は無いのです。同族では無いのですから。
しかし私もあなたも同族のはずですよね?なのになぜ自分から見て底辺に「あいつは努力しないから」と思考するのでしょうか?
キャラ設定
ーーー世界には色々な宗教があります。その一つがバラモン教です。バラモン教には階級があります。このような階級です。
この階級は産まれたときに決定されています。カーストの移動もカースト上下の結婚も認められていません。そして今の人生で良い行いをたくさんすれば生まれ変わるときに上の階級に上がれると信じているのです。
私たち人間は階級分けが大好きです。会社でも役職、役席が存在しています。それはカーストとなんら変わりません。中途入社でも新卒でも部長と呼ばれる人はみんなにとって部長です。今までの経緯も全く知らないのにも関わらず。
それを(階級)決めるのは社長や役席です。それなのに私もあなたも全く疑わずに偉い人、崇拝すべき人として接します。
他の例でいえば近所に住むよく会うおじさん。もしその人が大企業の部長だと知るとあなたの接し方は変わるはずです。その人はなにも変わっていないのに。
私たちは上下があることを無意識のうちに認識しています。その人にあったキャラ設定とも言えるものです。そのキャラ設定とギャップが生じないように思考し行動します。
それは一種の洗脳とも考えられますよね?
努力の量
京アニの犯人もジョーカーの犯人も私の友達も私とあなたの同種族です。しかし彼らは自責思考ではなく他責であり、短絡的に思考していました。何歳になってもそれは変わらなかった。大人になったはずなのに12歳くらいの発想しかできなかった。
それは本人が悪いのでしょうか?格差はどこにあったのでしょうか?もしかしたら彼らは境界知能だったのかもしれません。しかし努力によって境界知能でも成功した人はたくさんいます。
だから努力しろ!という話ではなく努力は人によって量が異なるということです。
「あの人は同期なのに自分より優れている。」
「同級生なのにあいつは社長。。。」
などと考えるのではなく自分に与えられたレッテルを剥がし、自分の自分自身に必要な努力をしなくてはならないのです。
誰かに従属するための努力ではなく自分の自分自身に必要な努力をするのです。努力とは考えることです。
島田紳助さんもこんな話をしていました。
あなたは家畜ではありません。会社のために会社の都合に合わせた無思考の努力をしていたのでは、家畜人ヤプーのヤプーと同じになります。
そうではなく自分に必要な努力を考え努力をする。それが本当の努力であり自由を選択するための努力なのです。
あなたは社畜として一生を過ごしたいですか?あなたの誰かにつけられたキャラ設定で生きていきたいですか?
そうではないはずです。
あなたのあなた自身の幸せとは何か?真剣に考えて努力する。それが本当の努力です。手を動かしているだけで満足していては誰かにとって都合の良いあなたにしかなれません。
一緒に努力してみませんか?底辺高校出身でクソ地域出身の私でも考えられるのですからあなたにできないはずはありませんよね?
「当然だ!」
では一緒に努力しましょう。
それでは、また、次回。
あどりでした。
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