残酷なコミュニティ、覚悟を持つ仲間と共に生きる
グローバルで世界はどこまでも広がっていて、私たちはどこにでも行けて、誰にでも会える。
というのが私たち人間が目指した世界でした。ですがこれは、つまり(世界の)どこでも誰とでも繋がれるというのが理想郷だったのです。しかし、私やあなたはこれから先、間違なく閉じていく世界で暮らしていくことになります。
つまりは誰にでも会える世界の終焉です。未だかつてこれほどまでに品行方正が求められる社会はありませんでした。コンプライアンス違反、つまり不道徳なものをとにかく忌み嫌います。
世界はどんどんホワイトになっています。あなたもそれは感じているでしょう。昭和の時代であれば許されたことも許されなくなっています。
それはアーティストにも反映されています。昔ならば歌手が顔を隠している、なんてほとんどありませんでした。顔も知らない誰かを応援するなどという感性を私たちは持っていなかったのですから当然です。
それが今はどうでしょう?顔を隠したYouTuberなんて当たり前にいますし、歌手だってそうですよね?それでも私やあなたは顔も知らない、本名も知らない人を応援して好きになります。
しかしこの顔を隠すというのはこの世界、つまり私やあなたがこれからしばらく生きていく閉じた世界では当然の行動です。
「こいつ昔こんなことしてましたよ!」や、
「私この人知ってる!」などは社会的に抹消されるリスクからの回避なのですから。つまり文春やリークする人からの回避行動なのです。
過去を振り返ってホコリがない人は滅多にいません。いじめをした過去やいじめを傍観した過去は誰しもあるでしょう。被害者の人もそうです。
酷い恋愛だってあるでしょう。嫌な別れ方をした彼女がXで「こいつクソやろーだよ!」とポストされるかもしれないのです。
そんなことでアーティスト、況や社会人としての生活を抹消されるなんてまっぴらごめんなはずです。誰だってそうです。
それら、つまりーー品行方正でなかった昔の私ーーが今のあなたの邪魔をするのです。それがこの社会、今の社会の掟なのです。過去の発言が現在の自分の邪魔をするのです。
当然のことではあるのですが、頭の良い人はクローズドな場所でしか発言しなくなります。それが階層の断絶を生むことになります。
つまりセレブリティよりもソサエティになるのです。
セレブリティというのはいわゆる公の人です。何をしても注目を浴びる、広告塔になりうる人です。その人が良いと言ったものは次の日町から消える、もしくはみんなが持つようになる。そんな人をイメージしてもらえれば良いかと思います。
昔はみんながそれを目指していました。もしくは憧れていました。しかしながら今は少し違います。外の世界へ行けば行くほど危険性が増すからです。
確かに認知というのは多ければ多いほど生きやすくなります。助けてくれる人も多くなります。しかしその分、いや、その取り分以上に掠めとる人、絡め取ろうとする人が増加しています。
それは現代がホワイト社会だからです。誰もが誰かの過去の失言や失態を覚えています。これは致し方ないことです。人と関わらずに大きくなる人などいないのですから。
しかし、誰もが誰かの失敗を知っている状態の上にリークの民主化が起きている現代では誰もが誰かの五人組なのです。
つまり私たちの世界は、リークの民主化は、不幸の連帯責任を総国民で行うという画期的な制度なのです。
確かに悪いことというのはできにくい環境になりました。お店を出してすぐに右寄りの方が新聞を取ってくれとも言いませんし、超高級おしぼりを取らされることもありません。
おじさんが電車内でタバコを吸っていればすぐに炎上します。その上特定されて社会から抹消されてしまいます。
むしろ安全安心な社会へと近づいたとも取れます。しかし、自分もそうなのです。つまりは誰もが監視に準じた行動を取るのが正解になっているのです。
だからこそセレブリティよりもソサエティなのです。
セレブというのはいわゆるアッパークラスに入った人、つまり有名人ですね。公に活動する人達のことです。誰もお金持ちの有名人をハイソサエティとは呼ばないでしょ?
しかしながら活動はよく知らないけれど公人である人のことを私やあなたはハイソサエティ、いわゆるハイソな人と呼びます。つまりある意味閉じた人たちです。閉じているのに有名な人でイメージしてください。
頭の良い人は閉じると言いました。つまり頭の良い人はソサエティを意識して行動します。なぜならば今の時代はソサエティを自分で作れるからです。
認可型のコミュニティの方がわかりやすいでしょうか?オンラインコミュニティがそうですよね。
オンラインコミュニティで今からの時代、オンラインであることよりも重要なのは
身分を証明された人と繋がることです。
五人組がまだ続いていたとしてあなたは誰と組みたいですか?その中に密告者や足を引っ張る人間がいたら最悪だと思いませんか?
ではもしも5人組が選べるとしたらどうでしょう?信頼できる人を探したいと思いませんか?
これからは認可型のコミュニティにみんなが所属するようになります。つまり意識するのは認知ではなくてソサエティになるわけです。
しかし最初からコミュニティに入る人を選別する側には回れません。ではどうするか?認知を先ず取るのです。認知をとった後にゆっくり選別していくのです。その方が効率よく選別できます。
漫画を例に挙げて選別というものがどういうものか説明します。
ハンター×ハンターの蟻が念能力を使える人間を選別するのに1人1人念能力でブン殴るシーンがあります。もう一つ例としてジョジョの弓矢があります。もしスタンドに目覚めなければ死んでしまう矢を放つのです。運良く生きていれば晴れて仲間入りです。
選別というのはある種優勢思想的でもあります。
ここまでの思想は無いにせよ、なにせホワイト社会ゆえの自分や仲間を外敵から守るための選別でもあるのです。中は安全ですという宣言のためには選別が必要なのです。
では現代ではどのように選別していくのでしょうか?
それはお金と時間です。
オンラインサロンで高額を求める人というのは相手の本気度、いわゆるロイヤリティを選別しているのです。どこまでお金を出せるのか?というのは覚悟ですし、時間をどこまで割けるのか?というのも覚悟になります。
会社というのが残業した人を、つまり他人より時間を使った人に役職をつけるのはこの覚悟、ロイヤリティを選別しているからこそなのです。
こいつは害をなさない、何があっても逃げ出したりしないというところを見られているのです。
そして選別するにはある一定の人数が必要です。3人の中から選ぶより1000人から選んだ方がよりロイヤリティ、覚悟を持った人を選びやすいからです。
つまり認知が必要です。認知とはバカに見つかることです。つまりわかりやすい耳障りの良い、食べやすい形にした良い情報を流布した方が認知は集まります。
つまりほんとうに良い情報というのはクローズドな場所、ソサエティにしか無いのです。耳には痛いけどほんとうに大切なことというのは選別された人にしか得られないのです。
なぜならばソサエティは循環のためにあるからです。誰かがソサエティによって受けた恩をまた他の誰か(ソサエティの中の人)に渡すことによってソサエティはより安全になります。
そして選別された人しかいないことにより、ソサエティは循環の環を止めることなく回し続けることができます。
つまりほんとうに良い情報が欲しいのならソサエティに入るしか無いのです。良薬口に苦しとは昔から言われています。ソサエティの中ならどれだけ厳しい指摘をしてもそれで炎上することはそうそうありません。なぜなら覚悟があるからです。
お金を払わせるというのは忠誠心の確認でもあります。それはこれからの社会で生きていくための防衛策でもあるのです。
お金を出させるというのは、むやみやたらにお金を出させるのか!こんなに高額で儲けやがって銭ゲバが!という人たちを寄せ付けない足切りでもあります。
安全な場所というのはほぼ無くなっています。沈没するタイタニック号の安全な場所を探すよりも覚悟を決めてソサエティという名のイカダに乗る方が安全です。
1人で生きれる人間はほぼいません。人と関係を持つから人間でいられます。仲間をコミュニティをもっと大事にしていきましょう。覚悟を見せながら。
それでは。また、日曜日に。
あどりでした。
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