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管理職は人に対して真摯になるな。〜マネジメントをハックするバカへ〜

忘れらた神はどうなるのだろう。

神様というのは人々の作ったメタファー(概念)であり、それ(メタファー)を信じられるからこそ人間は、ホモサピエンスはここまで文明を発達させてきた。

動物には無いものを、目の前に存在しないものを信じ、崇め、礼讃するようなことは無い。あるのかもしれないが、もしもそれがあるのだとしたら、おそらく動物は動物足り得ない。

とにかく人間にはメタファーというものがとても大切。物語もそこに無い、無いものを有ると信じ込めるから楽しめる。

ワンピースもドラゴンボールも存在しない。しかしそこに実存しないものに私もあなたも笑い、驚愕し、涙を流す。すごい能力だと思う。


ところで冒頭の質問。神は忘れられるとどうなるのか?

もともと存在しないものが無くなる。つまり信じていた人がいなくなること。

「人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時。」

永六輔

私もあなたもいつか死にます。しかし忘れられるまでは周りの人の中でメタファーとして生き続けます。そしてその人達がいなくなったらもう一度死にます。完全にこの世から消えるのです。

神様も同じです。元々メタファーなものですから、風化するのは私やあなたよりも早いかも知れません。

打ち捨てられた、忘れ去られた神は何処かに、静かにたゆたうのでしょうか。

逆パワハラ

 最近の傾向としてサラリーマンはとても守られた存在になっています。

例えば、昔なら「お前な、数字ってわかるか?す、う、じ!お前のは数字って呼ばないんだよ。達成してないものを数字なんて言うんじゃねぇよ!」

と、言ったところで部下は「すみませんでした!」一択でした。それが良いとはまったく思いませんが。

ところが現代では、お前なんて言葉を発するだけでパワハラです。「。」をつけただけでもマルハラなんて言われてしまうのですから。

昔であるならば「あー、あの上司と電車一緒か。なんとかほぼ喋らずに乗りきれるように頑張ろう。げっ、席隣じゃん。」でしたが現代ではまったく逆。

上司が部下に気を遣い「ちょっと遠くの席にしてくれない?」となっています。自分のせいで部下が辞めたなどとなれば上からの評価はダダ下がりです。

「キミね。部下がキミの言動にストレスを感じてるらしいよ。もっと気を使ってあげなきゃ。昔じゃ無いんだからさ。」と苦言を呈されるのは目に見えています。


しかし。ここで1つ問題があります。中間管理職は普通に部長、役職者、経営者からパワハラを受けます。これは責任があるのだから仕方ない部分もあります。

ですが中間管理職は部下に気を遣い、経営層にも気を遣わなければいけません。


昔は役職者というのは敬われていました。父親が父親であるだけで威厳があったのと同じです。役職であるだけで権威を得ていたのです。


クソ仕様OJT

 今思うと昔の上司はことさらに厳しかった。指示は「これを何時までにやれ。」くらいでした。指導といえば自分で失敗しながら(怒られながら)覚えていくものだ。これがOJTでした。

そして自分の仕事といえば、デスクで新聞を読んだり、ちょっと外出したりしながら、部下に仕事をさせるのが仕事のような有体でした。

夜になると「おい。今日飲みにいくぞ。」と、
自分の武勇伝を語りながら部下にお酌をさせるのが普通でした。そして部下も「将来は俺もこんな感じなんだろうな。」と思いながらとにかくがむしゃらに我慢しながら仕事をしていました。

しかし、今は違います。部下に対する指示は「これは何時にできる?できなかったらちょっとリスケしよっか?」と部下に気を遣いながら自分の仕事をこなします。その上、部下に仕事を振ると「できません。」って言われるの嫌だしなぁ。と自分で巻き取ります。

飲み会なんてとてもじゃないです。あとで「上司はあいつだけを誘って私を誘わなかった。評価に偏りがでる!」と360°評価でやられてしまいます。

これらが全ての部下というマネージャー以外の人に当てはまるとは思っていません。おそらく一部の人の声なのでしょう。しかし私もあなたもメタファーを、Z世代というでかい括りで概念化してしまっています。

だからこそマネージャーは部下を畏れてしまうのです。


そして今は上司であるだけで権威を持っていません。むしろ有害では無いか?の目線で見られていると言っても過言では無いでしょう。

確かに翻ってみると上の世代の上司は酷かった。コンプライアンスなんて無視するし、奴隷のように24時間働き、会社のために領収書も切らずに備品を買っていた。

しかしその人達は私やあなたにとってカッコよかったのでは無いでしょうか?また、羨ましかったのでは無いでしょうか?

ハックというツール

 今の時代"熱さ"なんてものは軽視される。ハックすることが最上位の概念になっています。

そうなると上司なんてものは敬うものではなく、単に指示命令系統でしかなくなります。

今の時代において上司はメタファーで無くなってしまっています。つまり冒頭の話のように忘れ去られた、たゆたう存在なのです。

メタファーを信じてこれたからこそ人間は、人類は発達してきました。なのにハックという概念が発見されたことにより、メタファーを信じられなくなってきたのです。

メタファーというのは"熱さ"を生みます。神を信じて戦った人間を思い出せばわかるはずです。メタファーは人の熱さを生むのです。

しかし、ハックというものは熱さを否定します。「こんなふうに生きれば他を出し抜ける」こんな風に考えて熱さが生まれるわけはありません。

効率化やテクニックではメタファーを生むことはできません。

英語で修行というのはなんと訳すでしょうか?training、practice、なんだか近くて遠いものですよね。

私やあなたの上司は修行を行っていました。それが非効率か効率的かと言われれば非効率です。ハックから遠い概念ですよね。

ハックする。ということは何かたどり着くべき確固たる数値目標があるから、そこへの効率性でハックなのでしょう。

ではサラリーマンのハックとはなんなのでしょうか?自己成長?自己成長とは年収なのでしょうか?ではあなたの会社では、どこまで行けばどうなるというのは明示されていますか?

それは社長が変わっても有効でしょうか?私のサラリーマン人生において社長が変わるタイミングは評価制度も変更されてきました。転職においてもそうです。

では私やあなたの追い求めるハックとは何をどうハックすることなのでしょうか?それはおそらく一部の人が良いとする価値観に最速で辿り着く方法です。

それがほんとうにあなたにとって良いか?ではなく良いとされているというメタファーです。それは年収、安定性、ネームバリューのような他人から尊ばれるものです。

メタファーに対するハックという考えはある種の《神への冒涜》では無いでしょうか?


ハックより修行

 ハックによる勉強、自己研鑽というのは器にぶち込むことです。無かったものを埋め込む作業です。それには効率性が大事でハックがあれば便利で有用です。

言うなればアプリケーションを増やす作業です。

器はそのままで。

つまり中身だけが拡充されていき、より便利になっていきます。便利な人になれるのがハックという概念です。

しかし、昔の人がメタファーを信じて修行していた理由は器の変換です。かけた部分の補填ではなく、別人になるという《入れ物》の変化なのです。

学は人たる所以(ゆえん)を学ぶなり。とは吉田松陰の言葉です。つまり人がどのように生きるべきかを学ぶのが学問だと言う意味です。

そこにハックなどと言う概念はありません。効率性とは程遠いものなのですから当然です。

ハックを求めれば求めるほど便利な人になれます。それはある意味自分の価値を毀損します。なぜなら《別人になれたはずのあなた》を置き去りにしているからです。

それはあなたの中で、あなたの外でーー忘れ去られた神のように、ゆっくりとたゆたうのです。


管理職は今《畏れ》を無くしています。畏れはメタファーにとって大事なものです。人は理解できないものに対して畏れを抱きます。畏怖するから尊敬するのです。

しかし管理職は目の前まで降りてきてーー尚且つ跪き、部下に敬意を払います。人に対する敬意は大切ですが、敬意を持たぬものに果たして敬意を抱くのは正しいのでしょうか?

管理職は揶揄されるものに成り果てています。権威や敬意、畏れに守られていた時代とは変容してしまったのです。

それはある意味良くて、ある意味悪いことです。上司というのは良い先輩と同義語になっていますし、これからもそうなっていくでしょう。


マネージャーたるもの真摯であれ

 その中でどのようにマネジメントしてマネージャーとしての役割を果たすのか?それはとても複雑な問題になっています。

しかし、一つ言えることがあるとするなら、Z世代と括ったメタファーに畏れを抱くのでなく、自分自身を変容させていき《たゆたう自分》を捕まえることこそが唯一の答えなのでは無いでしょうか?

部下をメタファーのように括るのではなく、本当の意味で人間として敬意を払う。これが今の上司にはとても必要です。

そのためにはアプリケーションを増やして便利な人になるのでは無理です。ほんとうの意味での学び、入れ物を変えることが必要なのです。

事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。

ドラッカー"マネジメント"

マネージャーとしての真摯さとは部下に跪き、部下を畏れることではありません。結果、成果に対して真摯であることが大切なのです。

あなたもきっと変化できます。それはアプリケーションの増加ではなく、入れ物の変化です。それにはハックなどというものは存在しません。修行なのですから。

修行と聞いて我慢しろ!を想像するのは早とちりです。あなたはあなたの幸せと向き合うべきなのですから。

つまり何が言いたいかというと、マネージャーは衝突を恐れず、成果に対して真摯であることを大切にしなければならないということです。

真摯さとは跪くことでも、ニコニコすることでもありません。成果に対して真摯であることです。そのためには真摯さを学ばなければいけません。

しかしそれにはハックなどではなく修行が必要なのです。なぜならあなたの入れ物を変化させねばならないからです。

時間はかかりますが一緒に学んで行きましょう。

ーーこのnoteが、たゆたうあなたを捕まえる助けになれば。

それでは、また、水曜日。

あどりでした。

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