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子供を産まなくてもいいと思えたあの日から。

私たち夫婦は結婚11年目、もうすぐ40歳。子はいない。

29歳で結婚した当時、当たり前に子供は二人くらい産むだろうと思っていた。

私は普通に子供が好きだし、結婚前に彼が子供たちと接する姿をみて、いいパパになるだろうなぁと感じていた。

当時の愛犬は面倒見のいい子供好きなシェパードで、我が子を共に育てたいと思っていたし、私は早く子供が欲しかった。

結婚1年目、念願の妊娠に猛烈に舞い上がった。

しかし、まだ心拍が確認できないと言われた2回目の検診の数日後、猛烈な腹痛に襲われ、救急車で運ばれて、あっという間に流産してしまった。

医者には、初期流産はよくあることだからしょうがないと言われ、まさか私が…と思いながらも、しょうがないと受け入れるしかなかった。

翌日から仕事にも行き、何事もなかったかのように暮らした。

周りの人も、しょうがない、次があるよと、優しい言葉をくれた。

私自身も、こればっかりはしょうがないってわかっていたし、明るく前向きに笑って過ごせていた。

流産から2ヶ月ほど経ったある日、突然、プツンと私の中の何かが切れてしまった。

仕事に行けない、行きたくない、もう何もできない、したくない。

ある朝、なんの前触れもなく、ズブズブと底なし沼へと引き摺り込まれるような日々が始まったのだ。

いや、なんの前ぶりもなく…ではなくて、なかったことにしていたのだろう。

自分の中で、封じ込めていた悲しみの受け皿がキャパオーバーになるまで、気づかないふりをし続けていたのだ。

「まさか私が…、でも、まぁしょうがないよね。」

そんな風に受け入れるしかなかったのだけど、本当はまだそんな簡単に受け入れられない私を、心のブラックホールに押し込んでいた。

「なんで私が!?」本当はそう思ってた。

検診で心拍が出ていないから、次回もなかったらちょっと…と医者に言われ、恐怖の中会計を待っている私の目の前で。

若いママが子供をめんどくさそうにあしらい、だるそうに受付の人に文句を言っているのを見て、「なんで私が!?なんでこの人は産めるのに!?」そんなことを思ってしまう恨めしい私も、ブラックホールに押し込んでた。

ありとあらゆる、悲しさ、悔しさ、後悔、恨めしさ、妬ましさ、全部押し込んで、物分かりのいいフリをしていたツケが回ってきた。

周りの励ましも、本当は全然入ってこないし、次があるよ!とかそーゆーことじゃないんだわって、苛立つ自分もなきものにしてた。

自分の中に溜め込んだ大きな悲しみに飲み込まれて、コントロールが効かなくなってしまった。

そして今度は、「流産なんてよくあることなのに、こんなことでいつまでも復活できない自分はなんて弱いんだ」と、どんどん自分が嫌になる。

悲しみから立ち上がれない自分に自己嫌悪、そんな悲劇のヒロインになってしまった自分に自己嫌悪、とにかく、いろんなことに自己嫌悪が止まらなかった。

やる気が起きず、ただただ何もできない毎日が過ぎていく、そんな日々が続いていった。

頑張りたいけど、頑張れない時がある。

人の優しさが槍のように辛い時がある。

時間が癒してくれることもある。

今までの私では気づけなかった様々な痛みを知った。

それでも時間は過ぎていき、毎日愛犬の散歩のおかげで外に出ざるを得ないし、友達や家族に支えられて、少しづつ前を向くことができた。

何より、突然ブレーカーが落ちたように鬱々として、ベッドから出てこず、泣き続ける私を、せかさず寄り添ってくれていた夫の支えは大きかった。

半年ほどして、老いた愛犬の介護生活が徐々に始まり、その時は正直、「あの時生まれてこなかったあの子」に感謝した。

最愛の愛犬の介護と初めての出産&育児が被っていたと思うと、不器用な私のキャパでは到底無理だったと思う。

なんて親孝行な子だったんだと、自然に思えるようになった。

おかげで、と言ってはなんだが、愛犬を悔いなく見送ることができ、その後新たな相棒(犬)を迎え入れた。

新たな相棒は超ビビり犬で、その子と向き合うことに夢中になっている間に、流産から2年が経った。

そんなある日、2回目の妊娠が発覚した。もちろん、涙が出るほど嬉しかった。

それと同時に、自分でも驚くほどに恐怖があったのだ。

「今度は大丈夫だろうか。無事に育ってくれるだろうか。」

初回の検診では六週目くらいだけど、まだ心拍がなかった。

「また流産するかもしれない…」怖くて怖くてたまらなかった。

2回目の検診はあまりの恐怖に、病院も変えて夫にも付き添ってもらった。

あっけらかんとした先生は、「8週目くらいでまだ心拍ないけど、次回にはあるでしょ〜おめでとう!」くらいの感じで少しホッとした。

毎日毎日、お腹をさすって祈った。恐怖に飲まれないように、コウノドリ(ドラマ)のテーマソングを何度も聴いて、大丈夫大丈夫って自分に必死に言い聞かせていた。

3度目の検診、先生に、「残念だけど、心拍がないねぇ」と言われて、診察室で涙を我慢することはできなかった。

夫も、その時の光景は今でも目に焼きついているという。

先生に、「まだ2回目の流産だからそんなに気にすることないけど、気になるなら不育症の検査もしてみるといい」と勧められた。

二人で泣きながら帰り、ブロンコビリーでやけ食いしたのを覚えている。

2回目は、オペの必要があった。

ヤケクソ根性で、こんなことなら保険で旅行してやる!!って一泊入院を予定した。

だがしかし、怖がりで病院も大嫌いな私。やっぱりオペなんて怖すぎる。

入院予定の2日前、愛犬の一周忌の日に、「やっぱり怖い〜!!オーブ(亡き愛犬)、お願い!オペにならないようにしてー!!(泣)」と懇願した。

そしたらまさかの、翌朝早朝、前回に似た腹痛が押し寄せてきて、トイレでドバッと出てしまった。

病院に行って確認すると、やはり自然流産したようで、オペの必要は無くなった。

流産の悲しみを通り越して、オペの恐怖から解放されて、魔法使いオーブありがとう!で喜んだ2回目の流産。

もちろん、当たり前に悲しいし、悔しかった。

どうして私はまた流産してしまうのだ、どうして私は産めないんだ。

こんなにも多くの人が当たり前に産んでるのに、どうして私なの!?

悲しさを通り越して、情けなさ、悔しさ、申し訳なさでいっぱいだった。

不育症の検査や不妊治療をやった方がいいのだろうかと頭をよぎる。

気づけば、「私は本当はどうしたいんだろう」、いつの間にかそう考えるようになっていた。


実は、私たちは結婚前に決めていたことがある。

「もし子供ができなくても、私は不妊治療はしたくないんだけど、どう思う?」

そんな話を結婚前からしていたのだ。もちろん、時が変われば考え方も変わるから、その時に決める必要もなかったのだけど、意向は伝えておきたかったのだ。

私は、心底、「血」というものにこだわりがなかった。

もちろん、血を繋いでいくことを重要視される方も多いし、それはそれで大切なことだと思う。

ただ、私は「氏より育ち」という使い方があっているかわからないけど、同じ釜の飯を食べたら家族でいいじゃん的な考え方が魂に根付いているのかもしれない。

そーゆー言い方をするのは失礼なのかもしれないが、もし私が産めなくても、もしタイミングが来たらご縁のある子を家族に迎え入れたらいいじゃない?と、純粋に思うのだ。

自分の子は特別可愛いというのはわかるが、私は血の繋がらない子も同じように愛せる、なんだか昔から妙な自信があったのだ。
(もちろん現実はそんな甘くないという人もいるだろう)

夫も同意見ではあったが、当時本当にそう思っていたのかはわからない。

そして、何より、私は不妊治療に耐えられない自信があった。

注射を打ったり、体調崩したり、とにかく大変ということだけはなんとなく知っていた。

医療行為や体の負担への恐怖はもちろんだが、まずメンタルが耐えられない確信があった。

当時妊娠を望んでいる時は、毎月生理が来るたびに落ち込んだ。

一度流産してからは、生理が来るたびに落ち込む&ホッとするという妙な感情の波があった。

結婚前には想像つかないほどに、生理が来ることで、一喜一憂していたのだ。

正直、そんな自分に私自身も、夫も疲れていた。

これで乗り気でもない不妊治療を始めたら、自分自身が壊れてしまうということは、はっきりわかっていた。

私は、本当に妊娠を望んでいるのかがわからなくなって、どうして子供が欲しかったのかをよく考えるようになった。

もちろん、本能的に我が子を産みたいという純粋な気持ちはあったし、夫の子供は可愛いだろぅなぁという愛情もあった。

だけど、100%の気持ちの中には、それだけじゃない…よこしまな気持ちがあることに気づいてしまったのだ。

子供がいれば、夫も変わるかもしれない。
子供がいれば、もっと義母とうまく関われるかも知れない(当時は遠慮があった)。
子供がいれば、夫婦の絆がより強固になるのかも知れない。(子供への依存)
子供がいれば、親孝行ができる。
子供がいれば、わかりやすく幸せ。(世間体)
子供がいれば、しばらく外に働きに行かなくて済む。(あぁ勘違い)
子供がいれば、やりたいことをやらない理由ができる。

くっそ最低な自分に気づいてしまったのだ。

勘違いなことばかりだけど、自分の中にある思い込みにゾッとしたのだ。

産む前から、子供を言い訳にしたり、子供を理由に自分を保とうとするマインドがあることに嫌気がさした。

もちろん、リアルなママさんたちからは、舐めてんじゃねぇとキレられそうなことばかり。

そんなわけねぇだろ!!(怒)と、今はわかるんだけど。

でも、あの時、心の内側に見つけてしまった私の舐めた考えを、ここに恥を忍んで晒しておこう。

また、親がよく言っていた「子供が生まれたら〜できないんだから。」

「子供が生まれたらゴルフなんてやってられないんだから!(だから今道具を新調することないでしょ)」
「子供が生まれたら旅行なんてそんなに行けないんだから!」…などなど

母の経験談であり、世の中のあるあるでもあり、もちろん我慢しなければいけないこともたくさんあることはわかっていたし、みんな全てを嫌々我慢しているわけではないこともわかるのだけど。

その言葉は、私の中に深く刻まれていたのだろう。

実際に子供がいることで、今じゃない!と何かを諦めることがある人もたくさんいるだろうけど、それは言い訳ではなく、解決策であり、私の持っていたアレとは全然違う…

子供が生まれたらどうせ〜できないじゃん。ということで、自分がやりたいことをやらない言い訳、夢を叶えようとしない言い訳、生まれる前から、子供を色々の理由にしようとしていた浅はかすぎる自分がいることに気づいてしまった。

私に必要なのは、子供を言い訳にしないように、まずは自分自身を取り戻すことからだった。

子供のことは置いておいて、まずは自分たちがやりたいことをやって人生楽しもう!

それからは、やってみたかったことに次々とチャレンジし始めると、人生が明るい方へとどんどん動き出した。

私たちにとって、夫婦と犬の暮らしは、正直最高に自由で幸せなのだ。

二人とも、子供を産んでいないということへの罪悪感や不足感がなければ、私たちはそれで十分だった。

子供が欲しい、家族がほしいと思っているわけではなかった。

二人でも、もう十分に家族だった。

気楽な自由さが、私たちにはしっくりきていたのだ。

夫とも、何度も何度も話をした。

自分は「今」どう思っていて、相手はどう思っているのか。

少しでも自分に嘘がないように、月日が経っても、気持ちに変わりがないか確認しあう。

あの時と気持ちが変わったっていいんだよって、お互い丁寧に話をし続けてきた。

全ての恐れをとっぱらったとしても、産もうと思わない?と自問自答し続けた。

自分の想いが、愛からの選択なのか、恐れからの選択なのか問い続けた。

2人とも、子供を持たないという意思が強かった。

そんな中でもずっと気がかりだったのは、夫は、末っ子長男で、親族の中で直系の?男子ははラスト。

正直、流産するたびに申し訳なさと情けなさで消えたくなった。

長男と結婚したのだから、たとえダメだったとしても嫌でも不妊治療で努力はした方がいいのだろうか…

私自身は血にこだわりはないけれど、奥田の血筋を断つことに本当はみんなどう感じているのか、ずっと気になっていた。

私には気を遣って言わないだろうから、夫経由でそれとなく聞いてもらったりした。

なんなら私と別れて、子供が欲しい人と結婚した方がいいよと何度も話した。

それこそ、ご先祖様たちに、産む気がないなら出ていけー!なんて、私たち夫婦の仲を引き裂かれやしないか不安にもなった笑

何よりも、お互いの両親共に、子供が大好きで、孫がいたらどんなに可愛がってくれたことか…

孫の顔を見せてあげられないこと、一般的な幸せを、親孝行をしてあげられないことが何より辛かった。

幸い、どちらの家も子供がいないことをとやかく言うこともなく、自分の人生満喫しなさいと本気で言ってくれることに、どれほど救われたことかは言うまでもない。


2度目の流産から2年ほど経った頃、コウノドリ(ドラマ)のテーマソングの清塚さんのピアノコンサートに二人で行けることになった。

清塚さんの軽快なトークに笑いながらも、当時お腹をさすりながら散々聞いていた曲の演奏に、あちこちから啜り泣く声が聞こえた。

もれなく私たち夫婦も泣いた。きっと同じような人もたくさんいたのだろう。

「Baby,God Bless You」の演奏を聞きながら、散々泣き疲れて頭がぼーっとしていた時。

ふと、上の方にビジョンが見えた。

流産してしまった私の愛おしい天使が二人、雲の上から肘をついてニコニコしながらこっちを見ているではないか。

「ごめんね、産んであげられなくて。ごめんね、もうあなたたちが降りてくるチャンスはないかもしれない。ごめんね、ごめんね…」

申し訳なさで謝ってばかりいた私に、彼らはニコニコしながら笑って言った。

「それでいいんだよぉ〜♪それを伝えたかったんだよ〜♪」

彼らの愛に触れて、自分の涙に溺れる程泣いた。

罪悪感を、感謝の気持ちが洗い流してくれた。

ブワァッと今までの想いが昇華した気がした。

なんだか、もう大丈夫ってストンと思えた、そんな瞬間があったのだ。

私たち夫婦が、自分自身の人生を生きようと思えたきっかけは、紛れもなく2回目の流産だった。大きな転機となった。

誰かのための人生ではなくて、誰かを幸せにしなければという呪縛から解放されて

まず自分と向き合い、自分自身を幸せにすることに許可を出せるようになった。

流産してしまったことを悔いていたこともあったが、彼らは生まれずに還った意味が確実にあったのだ。

1度目は、鬱状態になる中で、今までの私では気づけなかった大切ないろんなことに気づかせてくれたし、夫婦の絆を深めてくれた。

2度目には、本当の自分たちの想いや、自分の人生に向き合っていくチャンスをくれた。

「子供を産まない選択をしたっていい!」

心からその選択をチョイスしてよかった!って思える今がある。

結婚したら当たり前に子供を産むものと思っていたあの頃。

子供がいない人生を考えていなかったというか、知らなかっただけで。

子供のいる人にしか得られない幸せがあるように、子供のいない人にしか得られないような幸せもある。

結局、どっちだって、幸せな世界だということ。

今は、なんの後ろめたさなく、堂々と胸を張って自分のこの人生を誇れる。

それは、子供がいるとかいないとか、そんなことは関係なくて

自分の想いにとことん向き合い続け、自分たちで決めたことだから。

結婚当時の私の思い描いていた未来とは違ったけれど、きっとそれより幸せだ。

あの頃の私を抱きしめて言うよ。

「よく頑張ったね。私が私の心を無視しないでいてくれてありがとう。
自分に正直でいてくれてありがとう。最高の今に続いてるから、安心しておいで。」


子供のいる人生、いない人生。結婚する人生、しない人生…

いろんな可能性も選択肢も無限にあるからこそ、言いたい放題言う人もいるだろう。

正直、結婚してもしなくても、子供がいてもいなくても、どっちだってみんなそれなりに悩むし、壁にぶち当たるし、いいことも嫌なこともそれぞれにある。

理解し合えないことだって、当たり前にある。だってそれ体験してないんだもん。

時代背景、価値観なんて当たり前に様々で、多様性という言葉が良くも悪くも多用されがちだけど。

なんだっていいジャーン。正解なんて、どこにもないから。

わかったようなことを言う人も、結局その人の人生しか体験していないんだから。

大切なのはきっと、何を選ぶかではなくて、自分が決めたか否か。

もちろん、たとえば結婚も子供も、自分の気持ちだけではコントロールできないこともある。

選択したというより、不妊治療も思うようにいかずに泣く泣く子供を諦めた…という方も多いと思う。

でも、それも、立派な決断の繰り返しだったはずだ。

不妊治療を続けるという決断も、ここでやめるという決断も、熟考した上での自らの選択の上にある。

諦めるという言葉は、何かに負けるということではなく、「やめると決めた」ということだと私は思う。

自分と痛いほど向き合って、選択しているのだ。

自分の意思だけでは思うようにいかないことはたくさんあるけど。

自分の気持ちを蔑ろにしないことだけはできる。むしろ、それは自分にしかできない。

誰かのせいにしながら生きることほど辛いことはない。

どこまでも、自分の気持ちを無視せず生きることが大切なんじゃないかと思う。

私たち夫婦は、これからの人生の中でも、様々な選択を迫られることもあるだろう。

その時はきっとまた、お互いのいろんな気持ちの確認作業を丁寧にしていくだろう。

以前と、今と、いつだって気持ちは変わる。

いつだってなんだって気持ちが変わっていいし、「今」のしっくりくる感覚に沿って生きていこう。

それこそが、私たち夫婦に一瞬舞い降りた天使達が遺してくれたギフトだと思うから。

「自分の人生、自分で決める」って、当たり前のようで実は当たり前じゃない。

知らず知らずのうちに、何かのせいにしてることってたくさんあるから。

家族の事情や誰かの影響を受けることはあるけれど。

全て自分の選択の上に成り立っていると言うこと。

自分の人生、自分で決める。をもっと意識的に生きていきたい。

これを書きながら、改めてハッとさせられている。

…早速、居留守を使うか否かの選択に迫られているスッピン部屋着の昼下がりなのである…


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