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安楽死と人生最大の皮肉

私の人生、始まってたった21年しか過ぎていない。人生に絶望すのはまだ早いのかもしれない、ただ人生に絶望するのに年は関係ないと私は思う。死ぬのは怖くないが痛いのは嫌だ。だからこそ目の前に安楽死できるボタンがあれば迷わず押下するだろう。

今回はそんな”安楽死”に希望を抱き、人生最大の皮肉を食らっている私のくだらない話を読んでくれると嬉しい('ω')

ちなみに表紙のイラストは私が描きました!1年ぶりくらいにイラスト描きました笑

私について:簡単に説明

21歳、言語系の専門学校卒、現未経験からのITエンジニア(プログラマ)

以上笑

一応高卒まで卓球選手で全国大会では何回か入賞、最高位3位。もうやめたけれど。

現在は無能な自分と変わらぬ現実に抗いながら徐々に心が蝕まれているところです笑

何故絶望しているのか

私にもわからない笑

ただ、これまで様々なことから逃げてきた。そしてこれからも。

別に逃げることは悪いことだとは思わない。自分の心の保護が最優先。頭でわかっていても自分の中の誰かに呪われてうまくいかない。

自分の中の誰かの呪い

私は多分呪われています。前から思っていましたが、最近それは自分の中の自分以外の誰かに呪われているのだと気づきました。

やばいこと言ってますよね笑

具体的にどのような呪いなのか、それは「諦められない呪い」であり、「何かに挑戦してしまう呪い」

いや、いいことやん!と思われる方もいるかもしれません。たしかに、意識が高くみられるし、実際いくつか成果を出していくとほめられることもある。

でも違うのです。私としては平穏でささやかな幸せを握りしめて生きていければそれでいいんです。そしてその幸せはすでに手中にあると知っています。でも呪いに打ち勝てず落ち込む毎日。

また、ポジティブに挑戦したりあきらめず粘ることは大切だしいいことと思うのですが、私の場合毎日謎の緊張感に襲われ休みの日に休むことに対する罪悪感があり、成長速度による自身の潜在能力の低さなどに落ち込んでしまうのでよくないなとは思っています。毎日徐々に疲弊していく精神を容易に確認できるのです。

呪いの正体

呪いの正体に検討は少しついています。

おそらく中高時代、卓球をやっていて全国制覇を目指していた時の自分、また英語学習を狂ったようにしてきたときの自分の幻影だと思っています。

あの頃は、上を目指すのが、何かしらの目標に突き進むことが当たり前でした。逆に言えば目標や夢など生きる指標がないとだめな人間でした。

「落ち込むのは無駄な時間を過ごしているからだ」そう考え、暇さえあれば目標に進む。つらくても疲れても関係ない。だからこそ落ち込む余裕もなかったんだと思います。

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上の写真は私が英語学習にはまっていたころのものです。中学2年から高校2年の間のものが主です。

色々な学習方法を試した痕跡があり、本当に研究していたんだなという感じです。おそろしい( ゚Д゚)

勉強は量より質とは思っていますがそれにしてもえぐいですよね笑。活かせていないので自慢できるようなことではないのですが中学二年で本格的に英語学習を始めて、高校一年生の時に英検準一級に合格しました。

そしてこの下の画像。確か私が高校2年生の時のものでおそらくこの時の自分が呪いの正体です。

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というのもたまたま残っていたこの画像のページは私が将来学習に対するモチベーションが下がることを見越して叱咤激励するためのメモだからです。

自信がつくまで学ぶ
英検を受ける際「うかるかな~?」ではダメ、「余裕あるな」くらいになるまで学べということですね。
十分と思ったところまでを2倍やる
恐ろしい文言ですね笑。十分を2倍やれば確かに自身は付きそうですね。
迷って停滞するなら少しでも先に進む
「停滞は後退に等しい」なんて聞きますがまさにそれですね。何しようか迷うくらいなら何でもいいからやってあとから修正しようということですね。
成功を口にする
成功した自分を明確にイメージしてモチベーションを維持するということをよくやっていました。明確な目標があれば達成できないことなんてないと信じていました。
1秒単位の計画
これは私が寮生だったころ、洗濯や皿洗いなどの雑務や部活などをやりながら英語学習をするために行っていたもので。文字通り1秒単位で計画を立てて1秒たりとも無駄にしない精神でした。寝るか卓球するか英語勉強するか以外ほとんど何もしていませんでした。
人生は一度きり
そう思うことで後悔しないように生きようと心に決めていました。

おそらくこれらが私の呪いの正体でしょう。まさかのちにここまで苦しめられるとは思ってもいませんでした。

無視して心を入れ替えてあんぱいに生きればいいじゃないかとも思うのですが、心にもやもやが残って一生立てた目標をあきらめることができずモチベもないまま苦しむ日々です。

さて、私が何者で、何に苦しみ生きているのかなんとなくご理解いただけたでしょうか笑

人によっては甘いなと感じるでしょう。人によっては若造がと思うかもしれません。ただ、その人の苦しみ、痛み、絶望は蓄積されたすべては本人にしか理解しえないのです。

場合によっては本人すら理解できず永遠と悩まされることとなります。聞いただけではすべては理解しきれないかもしれませんが読んでくれたことに感謝します。

いよいよ「何が皮肉なんだい?」という話。前置き長くてすみません。

安楽死と皮肉について

これはつい最近の出来事です。

ふと安楽死の方法がないのかなと調べていたのですが、どうやら日本で安楽死というのは認められていないようで不可能だと知りました。

しかし、いろいろ調べていくと海外では一部安楽死が認められている国があるとのこと。

その中でも外国人の安楽死を可能にしてくれるのがスイスしかない?ということを知った。(ほかの国でも外国人の安楽死を受け入れている国があればぜひ教えてください)

安楽死を受け入れ可能にしてくれる団体がいくつかあるようで、カウンセリングやいろいろ必要な段階を踏むことで安楽死ができるとのこと。

費用としても大体90万~220万くらいだと知った。

そこで私はいいねぇと思ったわけです。費用のところが少し引っかかりますが貯金できない額でもないなと。多くの外国人安楽死希望者はヨーロッパなんかを最後に旅行して最後にスイスに行くのだそうです。

ただいくつかある壁のうちの一つで特に日本人に障害となるものがあるらしく、それが言語の壁だそうです。

スイスの医者とは事前に安楽死したい理由やその手続きを英語またはドイツ語で説明できなければいけないらしいです。

英語やドイツ語に堪能でない人はいくらお金があっても難しいそうです。(通訳雇えばいいのかな?)

医者や第三者が安楽死を決定することは認められないらしく、本人が決定をしてかつ手続きしないといけないらしいのですが、私の場合英語とドイツがが少しできるのでものすごく条件があってしまったんです。

これまでの人生で必死に勉強してきた英語力やドイツ語なんて言うのは社会に出てうまくいかせていない。(いかせる程の実力でなかった。通訳とか翻訳とかですね)

専門学校で主に身に着けたスキルがコミュニケーション能力(スピーチやプレゼンテーション、ディスカッションなど自己表現を英語で行う)も今ではなまってしまっているほどです。

仕事もできない、逃げ続ける人生を送り永遠の自己嫌悪を抱え今に至る私が唯一持っているスキルは今の私の人生で活かせる機会はない。

そのスキルを最大限生かせる機会がまさかの”安楽死”だったと知ったときは思わず笑いが止まらなくなりました。

現職を1年ほど耐えれば貯金はできるでしょう。相談の際の英語力もドイツ語力もある。

「ああ、私はこれまでの人生で必死になってきたのは全てこの時のためだったのかな」なんて思いました。

安楽死するために必死こいてきたなんて本当に滑稽で、いかにも空虚な人生だったと、でもそれが私らしくもあるというか。なんとも言えない、皮肉ですよね笑

もちろん家族や知人に話すことはできないのでここまできれいな皮肉を誰かに伝えることはできませんでしたが誰かに話したかったです笑

まとめ

・英語・ドイツ語などを含めた外国語を独学しています。
・部活動の卓球などを通して厳しい世界で生き抜くことの大変さを知り忍耐力も身に着けたはずでした。
・専門学校では自分の思うがままにスキル的にも人間的にも成長しようと試みていました。
上記すべては社会ではあまり生かせず中途半端なものでしたがスイスで安楽死するためにはあまりにもベストな能力でした。

私の21年間の努力は全てその日のためにあるのでしょう。私の唯一の課題は貯金面なので気長に貯金ができ次第スイスに渡航しようと思います!('ω')

いや、お前さんあまりにも死に対しての考えが変わっているねぇ!と思う方はぜひ下の記事を読んでいただけたら幸いです。

こんなペシミストのくだらない記事を読んでくださりありがとうございます!


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