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看護師からパティシエになるまで③(完)

前回の「看護師からパティシエになるまで②」の続きです。1通のメールをきっかけに5年後計画の選択をし、新たな道へ歩み始めた矢先、大きな壁に阻まれてしまいます。

3Kならぬ...

病棟師長に退職の意向を伝えてから直ぐ、私は洋菓子店を食べ歩きしながら、パティシエを募集している店を探し始めました。今のように、ネットでサクサクと検索出来る時代ではなかったので、店頭の張り紙や、求人誌での募集を元に、電話で応募をしました。

「パティシエの求人を見て、お電話したのですが、今も募集していますか?」という問合せに、まず「女性の声」で断られる事が相次ぎました。

後に理解した事ですが、当時は「男女雇用機会均等法」が制定されてからまだ数年の頃で、表向きは「男女問わず」であっても、実際は「女性は雇わない」という店が多くありました。その理由は「体力が無い」、「結婚して子供つくったら辞める」、という長く続かないだろうという懸念と、「顔面を殴れないから」という理由があったそうです。パワハラなどという言葉が無かった時代とはいえ、今では考えられない話ですが、直接聞かされた事実でした。

「女性」「25歳」「未経験(製菓学校出てすらいない)」この3拍子は当時、看護師の印象で使われていた「3K」並みに、パティシエの道を阻む「デメリット3拍子」でしかありませんでした。

人生初の就職難

看護師の就職活動では、3~5ヶ所の病院を絞り面接して、複数の内定を頂いた者から、どうにも変えられない性別・年齢で断られる転職活動。運よく、面接の機会を得ても聞かれる事は、何故転職したいのかという理由や、製菓の経験などは殆ど聞かれず「彼氏はいるの?」「何歳で結婚しようと思っているの?」「子供は産みたいと思っている?」と、今、この内容を面接で質問すれば全てアウトな内容ばかり。「○○店(洋菓子店)、僕と同じ製菓学校卒の店だから、応募しても多分駄目だよ」と、横の繋がりから忠告を受けた事も。気付けば20軒以上断られ続け、「洋菓子店では、働けないのかも...。」と、一人諦めを隠せずにいました。

方向転換

ある日、子供の頃から家族ぐるみで仲の良い、パティシエのお姉さんに相談をしました。事情を察したお姉さんは、「個人店は止めて、ホテルに応募してみたら?体力は相当キツイけど、個人店よりは可能性はあるかも。」と提案してくれました。早速、私はホテルのスイーツの食べ歩きを始めます。

当時、ホテルのパティシエの求人は、専ら製菓や調理師学校に向けてが多く、求人誌に掲載はありませんでした。でも諦めの悪い私は「タウンページ」からホテルの代表番号を探し、応対された方へ「突然のお電話すみません。お伺いしたいのですが、そちらではパティシエの募集はしていますでしょうか?」と問合せました。人事部の方に繋がれると、再度問合せを伝え、私の「デメリット3拍子」も伝えます。期待していた可能性とは裏腹に、電話口で「現在募集はしておりません。」という答えが続きました。

一筋の光

ホテルも駄目なのか...?と、途方に暮れながらも食べ歩き、タウンページから代表番号を探してかけ続けたある日、「今は募集かけていませんが...」という言葉を初めて聞けました。

人事部の方から出た言葉は「今は募集をかけていませんが、1名退職意向のパティシエがいるため、これから募集をかけようとしていました。部門長に確認しますが、面接受けてみられますか?」という、ずっと求めていた言葉でした。「是非、お願いいたします!」即答で伝えました。勿論、先方へは「デメリット3拍子」を話し済みです。その上で叶った、ホテル業界で唯一の面接でした。

連絡を頂き、面接の日が来ました。16年経った今でも、あの時の緊張は覚えています。それまでずっと、否定しかされなかった電話と面接。でも、このホテルの方々は、そのデメリットを知った上で受けてくれた、可能性は、私次第だ。部門長は、何故パティシエの道に進みたいのか、これまで持っている製菓の知識、技術など、私の目を真っ直ぐ見ながら質問されました。口がカラッカラになりながらも、必死に答えた記憶だけ残っています。

面接から一週間後、ホテル人事部の方から電話がありました。結果は「採用」、翌月一日から来て下さいとの事でした。30軒以上断られ続けた転職活動がやっと終わる、という安堵感と、まさか、このホテルで働けるなんて...という気持ちから、膝から崩れるように歩道でしゃがみ、「本当に、有難うございます。」と上ずる声で返事しました。

後悔は...

今でも、看護師からの転職と知られると「看護師辛かったから?大変だもんね。」と、理由を話す前に言われる事が殆どです。「勿体無いね、一生働ける資格取ったのに。」とも言われます。確かに、看護師で外科病棟勤務、辛くない訳がない、正直大変でした。でも、それ以上のやりがいも十分ある仕事でした。

それでも私が転職したのは、お菓子の世界に魅力が尽きなかったのとは別に、根底に「明日死んでも後悔しない人生を歩む」があるからです。そこは、当時の5年後計画と若干の矛盾が生じるかもしれません。5年後は、明日では無い。でも、後悔しない今日を続けた結果、5年後の後悔しない選択に繋がったと思っています。

パティシエとして、最初に働かせてもらえたこのホテルで得た事は全て、16年経った今でも、私がお菓子を作る時の「基本」であり、作り手としての「核」となりました。

「看護師からパティシエになるまで」は、これにて完結です。読んで下さり、有り難うございました。

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