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看護師からパティシエになるまで②

前回の「看護師からパティシエになるまで①」の続きです。20歳で立てた「5年後計画」から月日が流れ、あるきっかけが訪れます。

1通のメール

無事に看護師免許を取得し、看護学校を卒業した私は、総合病院の外科病棟に就職しました。日々の業務に追われ、趣味のお菓子作りは時折作って友人に配る程度、音楽も学生期間でバンドを解散して以降、聴いて楽しむのがもっぱら。「5年後計画」の事も、いつしか頭から離れていました。

病棟に勤め始めてから4年目のある日、1通のメールが届きました。差出人は、看護学生時代にアルバイトしていた、レストランのシェフからでした。

数年ぶりに来たメールは「今度、新しい店で料理長をすることになった。お前は今、何しているの?」という内容でした。読んでそのまま、お祝いの言葉と近況の返信をしたあと、ふと「5年後計画」を思い出しました。「あ...、25歳だ」と。気付けば、25歳を半分過ぎていました。

決断

20歳の時に即興で決めた「5年後の25歳の時に、看護師に未練があったら生涯看護師を続ける。お菓子の世界に興味があったら、転職する。」という計画。

忙しい中でも、看護師としてのやりがいは十分感じている今の環境。時折ではあったが、ずっと続けていたお菓子作り。これから自分が、どう生きたいか、一晩考え続けました。

翌朝、気持ちは変わらないと自分の中で確信し、いつも通り看護師の業務に入りました。そして、職場の人、友人、家族の誰にも相談することのないまま、1週間後、私は病棟看護師長に「来月いっぱいで、退職させて下さい」と申し出ました。

裏切り者

退職の理由を聞いた師長は、始めは驚いた様子でしたが「あなたの気持ちは分かった。本当は引き留めたいけど、応援します。」と了承して下さいました。職場の方々へは、師長から報告し、順次引継ぎを行っていきました。

家族には、退職が了承されてから報告しました。高校受験や、看護学校の受験の時、学費から全て自分で調べ「ここに受験するから」と毎度事後報告だった私からの報告に、母は一瞬驚きながらも、受け入れてくれました。

そして、看護学生からの友人の一人に報告した時の事でした。彼女とは3年間ずっと仲の良いグループで、互いに信頼し合う仲、そう思っていました。

報告した後、彼女からの第一声は「裏切り者!」でした。予想もしていなかった言葉に、反応を返せなかった私へ、彼女は畳み掛けるように「あんなに辛かった実習も、試験も、皆で一緒に乗り越えたじゃん!なのに何で辞めることが出来るの!?諦めんなよ!」と声を荒げて言いました。

「諦めではなく、裏切ったつもりもなく、私は私の道を決めただけ。その場の決断でなく、5年前に決めていたこと。」そう心の中で反発心を抱きながらも、裏切り者という言葉が刺さり、何も言い返すことが出来ないまま会話は終わりました。

こうして、決意を新たに転職への道を歩み始めた私ですが、人生で初めての「大きな壁」にぶつかります...。


~後日談~ 裏切り者と言った友人とは、その後10年間、一切連絡を取ることはありませんでした。10年後、共通の友人をきっかけに再会した時の彼女は、「パティシエとか凄いよね~、昔から作ってたもんね!」と、私に放った言葉をすっかり忘れている様子でした。心の片隅にずっと残って疼いていた欠片は、この瞬間に刺さっていたのが不思議なくらい、簡単に抜け落ちました。




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