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人間の善性

およそ137億年前、この宇宙に「ゆらぎ」が生じた。それは何もなかった世界に生じた宇宙のタネであり、それは生まれると同時に急激な膨張(インフレーション)を起こし、全ての始まりである大爆発(ビックバン)を引き起こした。

このような、皆が学ぶ科学的な認識の他に「神は天と地を作られた」という有名な言葉がある。
それでは、キリスト教における「天地創造」とはビックバンのことなのだろうか? それとも全く関係のないデタラメを言っているだけなのだろうか?

キリスト教では「神は、神が住む世界に、宇宙という人間のためのスペースを空けてくれたのだ」と教えている、そして「天地を作る」とは、その空間に「物理法則を適応させた」ということだ。
つまり「空間と法則の設定」がキリスト教でいうところの「天地創造」に当たるということだ。

そして、神が作ったものは世界の他にもある、それが「人間」である、世界を作った時に神が物理法則を定めたというならば、人間を作った時に神は「人間」に何を定めたのだろうか?

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道を歩いていて、お金が落ちていた。自販機のおつりが多く帰ってきた。そんな時に彼方はネコババするだろうか? 1万円なら? 10円なら? 金額や場合によっては答えに窮するかもしれない。 「他人のお金を勝手に取るのは悪いこと」そうわかっていながら何故に悩むのだろうか? それは、人間に道徳心があるからであり。これが人間に神が授けた設定である。

これは人目や他人からの評価を気にしてというだけではない、無人島で何の制約がなくとも、彼方はその島の生き物を皆殺しにしたりはしないだろう。他の生命への危害というだけでなく、もし人間に道徳心がなかったとしたら、盗み犯し殺しても何も感じないとしたら、人間は自分自身すらとっくに滅ぼしているだろう。

人間には神に授かった善性(道徳)があり、だからこそ人間は生き残ってこれたのだ。しかし、この道徳は中絶や戦争という問題に対してどれだけ有用に働いているだろうか?
戦争は悪いことだ。人間同士が殺しあう世界がよい世界なはずがない。我々は道徳心(善性)を持ち命を大切にできる生き物である、が、それと同時に我々の善性(道徳心)は戦争や中絶という問題に付きまとう「人殺しは悪い」という、こんなにも単純な「悪」ですら無くすことができていない。

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