見出し画像

「辞めます」と宣言した、8年半勤めた大企業に対して思うこと

8年半勤めた会社を辞めることにしました。
プライム上場企業(輸送用機器セクター)で、単体2,800人/連結10,000人超、売上規模は2,000億円以上といういわゆる【大企業(別名JTCともいう)】です。

30代も後半なので、嫌すぎて勢いで突然決めた!なんてことはなく、転職活動しつつ社内ではフェードアウトの準備をする、という生活を1年半ほど続けてきた結果です。ちゃんと転職先も決まりました。

もう「辞めます」と言うのも人生3回目だし、辞めたくてしょうがなかったから(よくこんなに根気よく転職活動を続けられたな、と自分の執念にびっくりしている)、上司や会社に対しての罪悪感は驚くほど薄く、上司との面談はあっさり終わりました。

ここでは、「辞めます」宣言後の上司や同僚、お世話になった人たちの反応から感じたこと、そしてなぜこんなに辞めることに執念深くなれたのか、自分の気持ちの整理も兼ねて書き残したいと思います。

辞めることを告げた相手の反応

上司(会社組織)

社内のイントラを目の皿のようにして探しても、退職に関する記述は就業規則に「退職の2週間前までに所定の書式で申し出ること」としか書いておらず、どんな情報サイトにも「まずは上司に話せ」とあったので、とりあえず上司のスケジュールをおさえることに。

転職先への正式な書面回答のタイミングも考慮しなければなので、超繁忙期と知りつつ、ひとつイベントが終わった翌日の定時直後に設定しました。
罪悪感は薄いけどさすがに緊張はするので、転職先は言わないでいいとか、社内の手続きを教えてもらうとか、頭の中でシミュレーションして臨んだのですが・・・

私「あの、退職したいと思ってます」
上司「・・・!?・・・(天を仰いでちょっと沈黙)」
上司「そう言ってるってことは、もう先も決まってるってことだよね?」
私「はい」
上司「次の会社にいつから勤めるとかは」
私「最終出社は●●までで、有休消化して、●●から次の会社に勤務開始、と思ってます」
上司「ふ、ふーん・・・。僕も何年か前に辞めようと思ったことあったけどそのまま今になってるんだけど・・・」
私(なんで今自分の話始める?)「退職の手続きがどこにも書いてないので教えてほしいです」
上司「と、とにかく人事に一度こっそり聞いてみるわ」

で、終了。え、みじか!
なんで私が辞めるかとか興味ないの???

その後、上司からその上の上司や担当役員には話したらしいんですが、全員私にまったく話しかけてこない。文字通りハレモノ扱い。

私がもやもやしたのは、私に対して関心がないことではなく(そんなもんはもう数年前からとっくに諦めている)、組織の上に立つ者がメンバーに対して無関心であることと、それが問題だと気づいてもいない上司ズと組織に対して。そしてそんな組織でも大きな後ろ盾があるがゆえにつぶれることはなく、危機感が生まれることはないということに対して。

「次の会社は決まってるのか。どんな仕事をするの?あぁ、それならここでの経験も活きそうだね。がんばりなよ」
たったこれだけのことがなんで言えないのだろう?
こんな言葉すらかけられない人が、なんでメンバーの人生を負うような立場にいられるんだろう?

ハラスメントを恐れてなのか、本当に無関心なのか、メンバーに何も言わない、言えない上司たち。そんな関係性からは信頼は生まれない。

もともと諦めていたけれど、この一件で上司や組織に対してさらに落胆したし、辞められることになって本当によかったとかみしめています。

お世話になった人

入社したときからずっと一緒に仕事をしてきた先輩(←大学院に行ってたことを唯一知ってた人)からは「なんならもっと早いと思ってたよー。いっぱい勉強してきたのにここにいたらもったいない!次見つかってよかったね!」と言われ、元副社長からは「おぉ、ついに見限ったか!」と言われ(←見抜かれてた驚)。

制作会社の営業さんからは「えーー!!!(絶句)」「制作チームも一緒に仕事できてすごく楽しいって言ってた矢先のことで大騒ぎです!」と言われ、コンサル&制作会社のチームからは「どどどどうしましょう・・・」と困惑され。

私を信頼してくれた人たちに対して、途中で仕事をほっぽりだす形になってしまったことは本当に心苦しい。でも一方で、何の未練もない。知ったこっちゃねえ!と思ってる自分がいる。私から仕事を取るだけ取って、他のチャレンジの機会を与えず、自分の存在意義を疑うまでにした会社なんだから、ちょっとくらい困ればいい、と思っている悪い自分も確かにいるのです。私には「自分を守れるのは自分だけ」という確固たる軸があるので、どれだけお願いされたとしても(今さら感がひどすぎるしたぶんそんなお願いはしてこないけど)、自分の心が乱されない一線だけは絶対踏み越えません。

社内の人

「もう一緒に仕事ができなくて残念です。でもなんというか、納得してしまいました」「私の部署も似たような問題があるからめっちゃ気持ちはわかります。本音を言うと『脱出おめでとうございます!』って感じです」といったコメントをいただきました。自分がいかに合わない会社で無理して働いてきたか、そしてそれがいかにバレバレだったか、を改めて突きつけられました。そう見せないよううまくふるまうなんて、そもそも私にできるはずなかったんだよねぇ。

どれだけかかっても辞めたかった理由

自分の価値観を押し殺すことはできない

安定した会社に勤めているのだから、少しくらいの我慢はしょうがない、とずっと思っていました。少なくないボーナスがもらえる会社だったので、長期休暇に海外へいって思い切りリフレッシュすることもありました。が、出社した途端チャージ切れして、結局毎日疲労困憊の日々でした。大学院に行っているときは「学費のためだ」と自分に言い聞かせて、有休を取りまくって何とか乗り切っていました(ちなみに全部署の有休取得日数が労働組合から公表されるのですが、私の部署はぶっちぎりの最下位でした。私と育児時短中の後輩ちゃんの2人の有休取得がボトムラインを何とか押し上げていたという苦笑)。

でも、大学院を卒業してからは、仕事は食べていくためのものと割り切って本来の自分と違う人間を演じ続けることは、もう限界でした。大学院では自分らしくいながらメンバーに貢献できている実感(自己効力感)を持てたのに、なぜ会社ではそれができないのか。力を発揮できている自分が本来の自分のはずで、それができないのは何か原因があるはずだ。そう思いました。

大学院で学んだことや、いろんな仕事・価値観の人との読書会や対話を通して感じたことなどを総合して自分なりに出した結論は「私は縛られることを極端に嫌う人間である一方で、会社はルールで縛ることによって成長してきた会社であって、その価値観の相違は決して埋まらない」ということです。

例えばマニュアルひとつとっても、私は「マニュアルのここはこうした方がもっと効率よくできるのに」「ていうかやり方なんてどんどん変わっていくのにマニュアル作る作業時間がもったいない」と考えてしまうけれど、会社からすると「安全や品質を担保しながらこれまでのトラブルを二度と起こさず良い製品を作るためにはマニュアル通りに作業すべし」「マニュアルにかかれている手順にはすべて理由がある」というスタンス。どちらも間違っていないけれど、共存することは難しいわけです。

大学院の恩師が「会社で浮いていて全然提案が形にならない」という私の悩みに対してかけてくれた言葉があります。それは「そもそもあなたは自分がマイノリティだとまず自覚しないと。自分の時間とお金を全ベットしてこんなところに来てるなんて、普通一般の人には理解しがたいことなんだから。その前提を持たないと相手との話はかみ合わないよ」ということ。そして、「会社と自分の考えが合わないとなったとき、取れる手段は3つしかない。染まる変える逃げるか。でも逃げるのは自分でやれることをすべてやり切ったと思えたときにした方がいいとは思うよ」ということでした。

その言葉を思い起こし、「私はここで全部やり切ったとは言えないけれど、会社のこれまでの歴史や価値観は私には変えられない。でも、染まることは絶対できない。それなら私が取るべき選択は『ここから出る』ことだ」とものすごくロジカルに腹落ちすることができたわけです。その後長くかかった転職活動の支えになった強い思いでした。

人生の主導権を自分で握るべきタイミングが来た

「脱出おめでとう!」と言われて改めて思ったのは「この組織には、こんなに自分を押し殺して我慢して働いている人がいっぱいいるんだ」ということでした。我慢の対価は、終身雇用や給与・賞与、退職金、与信や福利厚生などの(主に金銭的な)安定。私も金銭面は保守的に考える方なので、これだけ辞めたいと思いながらもさすがに「この金銭的メリットほんとに全部捨てるのか自分・・・」と思ったし、ためらいがなかったといえば嘘になります。

でも、いくら金銭的報酬が安定していても、自分のメンタルはちっとも充たされないし安定しなかった。この会社に居続けるということは、キャリアや価値観といった人生における大切なものの主導権を会社に全ベットするということ。私はこの先もそれで本当にいいのか?とぐるぐる考え続けました。

経済成長期は金銭的に安定した生活の保障というニンジンがあったかもしれないし、私が働いてるあいだくらいはこの会社のニンジンの有効期限はもつかもしれない。でも、この先の40代50代は、もっともっと日々を居心地の良いものにしたい。そろそろワガママに、取りたいものは自分の手で貪欲に取り、ほしくないものは捨てていくべきタイミングなんじゃないか、そう思ったのです。

結婚してないし子どももいないから、誰かの存在を自分の生きる意味にすることはできないし、自分をゴキゲンにできる(幸せにできる)のは本当に自分しかいない。自分はどんな状態を幸せだと思えるのか?と考えたとき、今の会社でこの先も働く絵は想像できなかった。一方で、私は弱い人間だから、これ以上でっかいニンジン(ex 管理職の給料!)をぶら下げられたら断れなくなっちゃうかも、とも思った。だったらとにかく何としてもここを出なくちゃ!という感じ。

↓ こういう記事をたくさん読んで、転職活動がうまくいかないときも自分で自分の背中を押し続けました

時間をかけて勝ち取った

今はもう新しい会社に変わって、これまでとまったく違うカルチャーとスピードに面食らっています。入社1ヵ月たったタイミングで、6~7年ぶりに盛大に風邪をひき、身体がブレーキをかけてくれたなんて事件(?)もありました。

でも、役職などの立場に過度に忖度することなく、誰とでも一人の人としてコミュニケーションを取れる人たちの集団というのは、こんなにも居心地がいいものなんだな、ということはすごく実感しているところです。

どの部署にもすごすぎるプロフェッショナルなキャリアの人しかいなくて、英語でやり取りできるのが当たり前の環境で、自分こんなところでちゃんとやっていけるのか!?と不安になることもありますが、ここでちゃんと成果を出して存在感を示していければ、私の思い描くゴキゲンな人生に確実に近づいていけるとも思えます。

一方で、あんなに辛かった前の会社での経験が、今の会社に足りないピースとして活かせそうという側面もあります。いわゆるJTC的な大企業は自分の価値観には合わなかったけど、そこで得た経験や知見が自分の価値観に合う環境の成長に活きるなら幸せだし、それは通るべき道だったんだなと思えます。

前の会社でもやもやしていたところから始まって、大学院で学び、転職活動して今の環境に移るまで、振り返れば本当に長い日々でした(5年くらいかかっている)。でも、あきらめずに一歩一歩前に進み続けた自分を誇りに思うし、この経験は、この先つらいことがあったときにそれを乗り越える原動力になると信じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?