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日本海軍の階級について (7)造船、造機、造兵、水路、技術科

 今回は技術系の造船、造機、造兵、水路、技術科について。
 前回までの記事は以下になります。

造船、造機、造兵科

 明治初期の海軍でも技官は存在していたが、明治19(1886)年に機関官とあわせて機技きぎ部を設けて武官とした。大佐相当までを技監、技士とし、少将相当官は機関官と統合した機技総監とした(第4回参照)。
 このときに技術関係の武官が創設されたが、すべての技術官が武官となったわけではなく文官としての技術官も残り、武官と文官の二本立てとなった。
 明治29(1896)年に機関科と技術系が分離し、さらに造船科と造兵科に分けられた。当時の最高官は少将相当である。明治32(1899)年に最高官が中将相当に引き上げられた。
 大正4(1915)年12月に造船科から造機科が分離した。
 大正8(1919)年に階級呼称が兵科にならったものに改められる。

 造船科は軍艦の設計・建造を、造機科は艦船・航空機の機関関係を、造兵科は兵器の設計・製造を担任した。造機科と機関科は製造者とユーザーという関係だが重複する部分も多かった。

 なお造船・造機・造兵科は士官のみである。

 造船・造機科の識別線はとび色、造兵科の識別線は蝦茶えびちゃ色である。

水路科

 基本的に航路整備は逓信省ていしんしょうの職責ではあったが、海図の作成は海軍の水路部が担当していた。水路部の前身となる部署は明治のはじめから存在していたが、明治19(1886)年の機技部発足で武官とされ、明治29(1896)年に水路官として独立した。当時の最高官は少佐相当で、明治30(1897)年に中佐相当、明治36(1903)年に大佐相当が最高官となる。
 大正8(1919)年に階級呼称が兵科にならったものに改められた。

 実際に水路科士官に任じられた者はごく少数でのちには絶え、水路業務は主に航海畑の兵科将校が担当した。

 水路科も士官のみである。

 水路科の識別線は青色である。飛行科と同じだが特務士官以下のみであり、実際に水路科士官はほぼ存在しないので支障はなかったのだろう。

技術科

 昭和17(1942)年11月1日に、造船、造機、造兵、水路科が統合されて技術科とされた。また同じタイミングで特務士官、准士官、下士官および兵にも技術科がもうけられ特務士官たる技術大尉以下、二等技術兵までが創設された。
 広く技術官を含めることで、これまで文官とされていた建築・設備関係の技師ぎしを海軍武官として陸軍による召集を防ぐ意図があったともいわれる。造船所で働いている技手ぎしゅ(判任官)や職工(傭人ようにん)をもカバーするために特務士官以下を創設したとも考えられる。

 技術科の識別線は蝦茶えびちゃ色である。単純に造兵科がもっとも人数が多かったためといわれる。

兵(技術科)

 いずれも昭和17(1942)年に11月1日に創設された。

 二等にとう技術兵ぎじゅつへいは最下級である。

 一等いっとう技術兵はその上級者である。

 上等じょうとう技術兵はさらに上級である。

 技術ぎじゅつ兵長へいちょうは兵の最上級である。

下士官、准士官(技術科)

 いずれも昭和17(1942)年11月1日に創設された。

 二等にとう技術ぎじゅつ兵曹へいそうは判任官四等に相当する。

 一等いっとう技術兵曹は判任官三等に相当する。

 上等じょうとう技術兵曹は判任官二等に相当する。

 技術兵曹長へいそうちょうは判任官一等に相当する。

特務士官(技術科)

 いずれも昭和17(1942)年11月1日に創設された。

 技術ぎじゅつ少尉しょういは高等官八等(奏任官六等)に相当する。

 技術中尉ちゅういは高等官七等(奏任官五等)に相当する。

 技術大尉だいいは高等官六等(奏任官四等)に相当する。

 特務士官たる技術大尉は特選で士官たる技術少佐に任用し得た。

尉官以下(造船、造機、造兵、水路、技術科)

 造船ぞうせん少尉しょうい候補生こうほせい造機ぞうき少尉候補生造兵ぞうへい少尉候補生水路すいろ少尉候補生技術ぎじゅつ少尉候補生は制度としては存在した。大正8(1919)年まではそれぞれ造船少技士しょうぎし候補生、造機少技士候補生、造兵少技士候補生、水路少技士候補生と称した。昭和17(1942)年に技術少尉候補生に統合された。

 造船学生がくせい造船生徒せいと造機学生造機生徒造兵学生造兵生徒技術学生技術生徒依託いたく学生・生徒制度によって大学または専門学校に在学中のものを海軍兵籍に編入して卒業ののち相応の士官に任用する。

 造船見習みならい尉官いかん造機見習尉官造兵見習尉官が昭和17(1942)年に創設されたが同年中に技術見習尉官に統合された。
 候補生・見習尉官は海軍部内かぎり高等官の待遇とされた。

 造船ぞうせん少尉しょういは高等官八等(奏任官六等)に相当する。大正8(1919)年に造船少技士しょうぎしから改称された。
 造機ぞうき少尉は、大正4(1915)年の創設から大正8(1919)年までは造機少技士と称した。
 造兵ぞうへい少尉は、大正8(1919)年に造兵少技士から改称された。
 明治19(1886)年に少技士しょうぎしとして創設されたが、明治29(1886)年に造船少技士、造兵少技士にわけられた。
 水路すいろ少尉は、大正8(1919)年に水路少技士から改称された。明治29年に創設された。
 技術ぎじゅつ少尉は、昭和17(1942)年に造船・造機・造兵・水路少尉を統合して新設された。

 工学系の専門学校を卒業したものを(昭和17年以降は見習尉官を経て)各科少尉に任用した。

 造船中尉ちゅういは高等官七等(奏任官五等)に相当する。大正8(1919)年に造船中技士ちゅうぎしから改称された。明治29(1896)年から明治30(1897)年までは高等官七等たる造船大技士だいぎしとされた。
 造機中尉は、大正4(1915)年の創設から大正8(1919)年までは造機中技士と称した。
 造兵中尉は、大正8(1919)年に造兵中技士から改称された。明治29(1896)年から明治30(1897)年までは高等官七等たる造兵大技士とされた。
 明治19(1886)年に高等官七等たる大技士だいぎしとして創設され、明治29(1896)年に造船大技士、造兵大技士にわけられた。
 水路中尉は、大正8(1919)年に水路中技士から改称された。明治29(1896)年から明治30(1897)年までは高等官七等たる水路大技士とされていた。
 技術中尉は、昭和17(1942)年に造船・造機・造兵・水路中尉を統合して新設された。

 大学の工学部などを卒業したものを(昭和17年以降は見習尉官を経て)各科中尉に任用した。

 造船大尉だいいは高等官六等(奏任官四等)に相当する。大正8(1919)年に造船大技士だいぎしから改称された。
 造機大尉は、大正4(1915)年の創設から大正8(1919)年までは造機大技士と称した。
 造兵大尉は、大正8(1919)年に造兵大技士から改称された。
 明治19(1886)年に大技士だいぎしとして創設され、明治29(1896)年に造船大技士、造兵大技士にわけられた。
 水路大尉は、大正8(1919)年に水路大技士から改称された。明治29(1896)年に創設された。
 技術大尉は、昭和17(1942)年に造船・造機・造兵・水路大尉を統合して新設された。

 技術系士官は、初級士官時代に実習をおこなうことはあっても、定員として艦船や部隊に配属されることはほぼなく、艦政本部などの計画部門や、海軍工廠、技術研究所などで勤務する。もちろん試験や確認のために部隊に赴いたりすることはあった。
 中尉までは半人前とみなされて副部員とされたが、大尉以上では部員として辞令が出された。

佐官(造船、造機、造兵、水路、技術科)

 造船ぞうせん少佐しょうさは高等官五等(奏任官三等)に相当する。大正8(1919)年に造船少監しょうかんから改称された。
 造機ぞうき少佐は、大正4(1915)年の創設から大正8(1919)年までは造機少監と称した。
 造兵ぞうへい少佐は、大正8(1919)年に造兵少監から改称された。
 明治19(1886)年に少技監しょうぎかんとして創設され、明治29(1896)年に造船少監、造兵少監にわけられた。
 水路すいろ少佐は、大正8(1919)年に水路少監から改称された。明治29(1896)年に水路監すいろかんとして創設され、明治30(1897)年に水路正すいろせいと、明治36(1903)年に水路少監と、それぞれ改称した。
 技術ぎじゅつ少佐は、昭和17(1942)年に造船・造機・造兵・水路少佐を統合して新設された。

 造船中佐ちゅうさは高等官四等(奏任官二等)に相当する。大正8(1919)年に造船中監ちゅうかんから改称された。明治29(1896)年から明治30(1897)年までは高等官四等たる造船大監たいかんとされた。
 造機中佐は、大正4(1915)年の創設から大正8(1919)年までは造機中監と称した。
 造兵中佐は、大正8(1919)年に造兵中監から改称された。明治29(1896)年から明治30(1897)年までは高等官四等たる造兵大監とされた。
 明治19(1886)年に高等官四等たる大技監だいぎかんとして創設され、明治29(1896)年に造船大監、造兵大監にわけられた。
 水路中佐は、大正8(1918)年に水路中監から改称された。明治30(1897)年に水路監すいろかんとして創設され、明治36(1903)年に水路中監と改称した。
 技術中佐は、昭和17(1942)年に造船・造機・造兵・水路中佐を統合して新設された。

 造船大佐だいさは高等官三等(奏任官一等)に相当する。大正8(1919)年に造船大監たいかんから改称された。
 造機大佐は、大正4(1915)年の創設から大正8(1919)年までは造機大監と称した。
 造兵大佐は、大正8(1919)年に造兵大監から改称された。
 明治19(1886)年に大技監だいぎかんとして創設され、明治29(1896)年に造船大監、造兵大監にわけられた。
 水路大佐は、大正8(1919)年に水路大監から改称された。明治36(1903)年に創設された。
 技術大佐は、昭和17(1942)年に造船・造機・造兵・水路大佐を統合して新設された。

将官(造船、造機、造兵、技術科)

 明治19(1886)年に機関官と技官をあわせて機技きぎ部が作られ、少将相当の機技総監そうかんが新設された。明治29(1896)年に機関科、造船科、造兵科に分割され、それぞれ高等官二等相当の総監がもうけられた。明治32(1899)年に総監の官等が高等官一等ないし二等に拡張された。

 造船ぞうせん少将しょうしょうは高等官二等(勅任官二等)に相当する。大正8(1919)年に高等官二等たる造船総監そうかんを造船少将とした。明治29(1896)年に創設された。
 造機ぞうき少将は、大正8(1919)年に高等官二等たる造機総監を造機少将とした。大正4(1915)年に創設された。
 造兵ぞうへい少将は、大正8(1919)年に高等官二等たる造兵総監を造兵少将とした。明治29(1896)年に創設された。
 技術ぎじゅつ少将は、昭和17(1942)年に造船・造機・造兵少将を統合して新設された。

 造船中将ちゅうじょうは高等官一等(勅任官一等)に相当する。大正8(1919)年に高等官一等たる造船総監を造船中将とした。明治32(1899)年に造船総監の官等が一等に拡張された。
 造機中将は、大正8(1919)年に高等官一等たる造機総監を造機中将とした。大正4(1915)年に創設された。
 造兵中将は、大正8(1919)年に高等官一等たる造兵総監を造兵中将とした。明治32(1899)年に造兵総監の官等が一等に拡張された。
 技術中将は、昭和17(1942)年に造船・造機・造兵中将を統合して新設された。

 技術系将官の主なポストは、艦政本部の部長、海軍工廠など工作庁の長や部長、技術研究所の部長や所長などである。

 技術系各科には親任官(大将相当)の設定はない。

おわりに

 技術系士官は4科にわかれていたわけですが、制度的には大同小異でわざわざ区別する意味は乏しかったような気がします。最終的に一本化されたのはそういった事情もあったのでしょう。
武官と文官の二本立てだったのも特徴です。文官についてはもう少し説明したかったのですが分量が多くなったので次回にでも。

 次回は法務科と、簡単に文官について説明したいと思います。

 ではまた次回お会いしましょう。

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