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日本海軍軍人伝

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日本海軍の軍人について
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2023年7月の記事一覧

日本海軍主要人事年表(7) 昭和その4(19年-)

日本海軍主要人事年表(7) 昭和その4(19年-)

 日本海軍の主要人事を年表形式でまとめます。今回は昭和その4です。
 前回は以下になります。

採録基準元帥号の授与。
大将以上の進級。日露戦争までは中将、西南戦争までは少将を含める。
海軍大臣、海軍次官の任免。海軍卿、大輔を含む。
親補職の任免。
海軍軍令部次長、軍令部次長、海軍省外局のうち艦政本部・技術本部、航空本部、教育本部の長の任免。
その他親補職の確立以前の主要職(おおむねのちの親補職同

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日本海軍主要人事年表(6) 昭和その3(17-18年)

日本海軍主要人事年表(6) 昭和その3(17-18年)

 日本海軍の主要人事を年表形式でまとめます。今回は昭和その3です。
 前回は以下になります。

採録基準元帥号の授与。
大将以上の進級。日露戦争までは中将、西南戦争までは少将を含める。
海軍大臣、海軍次官の任免。海軍卿、大輔を含む。
親補職の任免。
海軍軍令部次長、軍令部次長、海軍省外局のうち艦政本部・技術本部、航空本部、教育本部の長の任免。
その他親補職の確立以前の主要職(おおむねのちの親補職同

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日本海軍主要人事年表(5) 昭和その2(12-16年)

日本海軍主要人事年表(5) 昭和その2(12-16年)

 日本海軍の主要人事を年表形式でまとめます。今回は昭和その2となります。
 前回は以下になります。

採録基準元帥号の授与。
大将以上の進級。日露戦争までは中将、西南戦争までは少将を含める。
海軍大臣、海軍次官の任免。海軍卿、大輔を含む。
親補職の任免。
海軍軍令部次長、軍令部次長、海軍省外局のうち艦政本部・技術本部、航空本部、教育本部の長の任免。
その他親補職の確立以前の主要職(おおむねのちの親

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日本海軍主要人事年表(4) 昭和その1(-11年)

日本海軍主要人事年表(4) 昭和その1(-11年)

 日本海軍の主要人事を年表形式でまとめます。今回は昭和その1(2-11年)となります。
 前回は以下になります。

採録基準元帥号の授与。
大将以上の進級。日露戦争までは中将、西南戦争までは少将を含める。
海軍大臣、海軍次官の任免。海軍卿、大輔を含む。
親補職の任免。
海軍軍令部次長、軍令部次長、海軍省外局のうち艦政本部・技術本部、航空本部、教育本部の長の任免。
その他親補職の確立以前の主要職(お

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日本海軍主要人事年表(3) 大正

日本海軍主要人事年表(3) 大正

 日本海軍の主要人事を年表形式でまとめます。今回は大正時代です。
 前回の記事は以下になります。

採録基準元帥号の授与。
大将以上の進級。日露戦争までは中将、西南戦争までは少将を含める。
海軍大臣、海軍次官の任免。海軍卿、大輔を含む。
親補職の任免。
海軍軍令部次長、軍令部次長、海軍省外局のうち艦政本部・技術本部、航空本部、教育本部の長の任免。
その他親補職の確立以前の主要職(おおむねのちの親補

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日本海軍主要人事年表(2) 明治後半(36年-)

日本海軍主要人事年表(2) 明治後半(36年-)

 日本海軍の主要人事を年表形式でまとめます。今回は明治の後半、日露戦争以降です。
 前回の記事は以下になります。

採録基準元帥号の授与。
大将以上の進級。日露戦争までは中将、西南戦争までは少将を含める。
海軍大臣、海軍次官の任免。海軍卿、大輔を含む。
親補職の任免。
海軍軍令部次長、軍令部次長、海軍省外局のうち艦政本部・技術本部、航空本部、教育本部の長の任免。
その他親補職の確立以前の主要職(お

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日本海軍主要人事年表(1) 明治前半(-35年)

日本海軍主要人事年表(1) 明治前半(-35年)

 日本海軍の主要人事を年表形式でまとめます。

はじめに 海軍の主要人事を「辞令ふう」に記載しました。必ずしも官報の記述とは一致しません。特に明治初期は事実をもとにした創作になります。辞令が官報に載らなくなった戦時中も同じことがいえます。

採録基準元帥号の授与。
大将以上の進級。日露戦争までは中将、西南戦争までは少将を含める。
海軍大臣、海軍次官の任免。海軍卿、大輔を含む。
親補職の任免。
海軍

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軍令部総長伝(3) 島村速雄

軍令部総長伝(3) 島村速雄

 歴代の海軍軍令部長・軍令部総長をとりあげます。今回は島村速雄です。
 総説と前回の記事は以下になります。

常備艦隊参謀 島村速雄は安政5(1858)年9月20日に土佐藩の郷士の家計に生まれた。幼名は干支にちなんで午吉。父を早くに亡くし、生活が苦しいなかで学費が不要な海軍兵学寮を選んだ。30名からなる第7期生はのちに4人の海軍大将(うち二人は元帥)を出す希有なクラスだが、その中で島村は入寮から卒

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軍令部総長伝(2) 中牟田倉之助

軍令部総長伝(2) 中牟田倉之助

 歴代の海軍軍令部長・軍令部総長をとりあげます。今回は中牟田倉之助です。
 総説と前回の記事は以下になります。

朝陽船将 中牟田倉之助は天保8(1837)年2月24日に佐賀藩士である真木家に生まれた。同じ佐賀藩の中牟田家に養子に入る。幼名は武臣とされているが実名のように思える。ペリー来航による開国をうけて安政2(1855)年に幕府が長崎海軍伝習所を開設すると、地理的にも近い佐賀藩は諸藩のなかでも

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軍令部総長伝(1) 伊藤雋吉

軍令部総長伝(1) 伊藤雋吉

 歴代の海軍軍令部長・軍令部総長をとりあげます。今回は伊藤雋吉です。
 総説は以下の記事になります。

金剛艦長 伊藤雋吉(「しゅんきち」とも)は天保11(1840)年3月28日に丹後国田辺藩士の家に生まれた。現在の京都府舞鶴市に属するが軍港で知られる東舞鶴ではなく、城下町で商港の西舞鶴になる。戊辰戦争には直接参加せず、維新後に東京に出て大村益次郎に兵学を学んだ。その後兵部省に出仕するがはじめは文

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軍令部総長伝 総説

軍令部総長伝 総説

 歴代の軍令部総長・海軍軍令部長をとりあげていきます。
 まず総説になりますが軍令部の組織については以前に記事を書いているのでそちらをご覧ください。

軍令組織のはじまり 日本陸軍がその範をとったプロイセン参謀本部は普墺戦争でまずその威力を発揮したが、有名になったのは普仏戦争だった。桂太郎はその直後にドイツに留学しており、帰国後に長州の先輩にあたる山縣有朋の支持を得て日本陸軍にドイツ式の参謀本部の

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海軍皇族軍人伝(番外) 大正天皇・昭和天皇

海軍皇族軍人伝(番外) 大正天皇・昭和天皇

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は番外編です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

皇太子 戦前の日本では、天皇は軍において大元帥とされ階級を超越した存在だった。一方で男子皇族は軍学校で教育をうけて陸海軍将校として勤務するとされ、実際の待遇はともかくとして建前の上では一般

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海軍皇族軍人伝(5) 高松宮宣仁親王

海軍皇族軍人伝(5) 高松宮宣仁親王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は高松宮宣仁親王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

高松宮 宣仁親王は明治38(1905)年1月3日に皇太子嘉仁親王(のち大正天皇)の三男として誕生した。はじめ光宮と称した。父の踐祚から1年ほど経った大正2(1913)年7月に有栖川

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海軍皇族軍人伝(4) 久邇宮朝融王

海軍皇族軍人伝(4) 久邇宮朝融王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は久邇宮朝融王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

八雲砲術長 朝融王は明治34(1901)年2月2日に久邇宮邦彦王の長男として誕生した。父邦彦王は当時陸軍中尉で陸軍大学校の学生だった。学習院に入学するときの身体検査で色弱気味と診断さ

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