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三十一提督の軍艦小話(さわ)

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海軍・軍艦に関する記事をまとめました
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#日本海軍

定員表を読んでみよう (4) 駆逐艦夕雲型 他

定員表を読んでみよう (4) 駆逐艦夕雲型 他

定員表を読んでみよう、第4回は駆逐艦です。夕雲型などを例として取り上げます。第1回「共通/巡洋艦利根型」は以下になります。

一等駆逐艦夕雲型 夕雲型の定員表は、一番艦夕雲が舞鶴海軍工廠で進水して本籍を横須賀鎮守府と定められた昭和16(1941)年3月16日に内令第221号で制定された。その内容と備考を以下に示す。

 乗員総計225名のうち士官は7名で3.1%、准士官以上は12名で5.3% にな

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候補生の「免官」

候補生の「免官」

 一部で重宝されている復刻版の「海軍義済会員名簿」。海軍義済会は海軍士官の互助組合みたいなものだが、現在では事実上海軍士官名簿として利用されている。自分もずいぶん昔に神田の文華堂書店で入手した。確か1万6千円くらいしたと思う。

 で、その名簿を見ていると記事のところに「戦死」とか「免官」とか書かれているのだが、意外に候補生に免官された者が多い。「若いころにやんちゃをやって首になる人が多いのかな」

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定員表を読んでみよう (3) 航空母艦翔鶴型

定員表を読んでみよう (3) 航空母艦翔鶴型

「定員表を読んでみよう」の第3回は空母です。例として翔鶴型をとりあげます。第1回「共通/巡洋艦利根型」は以下になります。

翔鶴型の定員表 空母翔鶴の定員表は、昭和14(1939)年12月27日内令第1058号で制定された。内令自体は見つからなかったが、アジア歴史資料センターで閲覧できる「内令提要追録」に別表が転載されており、手書きで日付と内令番号が記入されている(リファレンスコード C13071

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山本五十六と吉田善吾 - 順位について

山本五十六と吉田善吾 - 順位について

 山本五十六と吉田善吾は海軍兵学校の同期生で、その順位は兵学校卒業時は山本のほうが上だったのですが、将官になると逆転しています。その経緯を追いました。

 それぞれの伝記記事は以下になります。

同期の桜 山本五十六はおそらく旧日本海軍軍人としてはもっとも著名な人物のひとりだろう。吉田善吾は知名度では見劣りするが山本の前の聯合艦隊司令長官である。ふたりは海軍兵学校の同期生(32期生)で、日露戦争中

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定員表を読んでみよう (2) 戦艦長門型

定員表を読んでみよう (2) 戦艦長門型

「定員表を読んでみよう」の第2回は戦艦です。例として長門型をとりあげます。第1回「共通/巡洋艦利根型」は以下になります。

長門型定員表 昭和12年4月23日多くの定員令別表(定員表)が改定されその中には長門型戦艦も含まれた。長門型戦艦について言えば、この定員表の規定は小改正を加えながらも基本的には終戦まで維持されることになる。「海軍制度沿革 巻10」760ページに掲載されている定員表と備考を下に

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定員表を読んでみよう (1) 共通/巡洋艦利根型

定員表を読んでみよう (1) 共通/巡洋艦利根型

 艦内編制令の内容と、海軍定員令の別表(定員表)を見比べてみるとけっこう細かいことまで読み取れることがわかりましたので、実際にやってみようと思います。

艦内編制令 艦内編制令の内容については以前に記事を公開しているのであらかじめこちらに目を通していただければありがたい。

 一方、常備編成(=分隊の構成)についてはあまり詳しく触れず一部の例を挙げるに留めていた。すべてを説明しているとあまりに長く

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Wikipedia の潜水母艦長鯨艦長リストについて

Wikipedia の潜水母艦長鯨艦長リストについて

最近、太平洋戦争の主要軍艦艦長リストというのを作成しているのですが、その過程で Wikipedia 「長鯨(潜水母艦)」の艦長リストに誤り(と考えられるもの)を見つけたので、まとめます。

歴代艦長問題の記事には「歴代艦長」という項目があります。出典は「艦長たちの軍艦史」「日本海軍史 将官履歴」「官報」とされています。

ここで指摘するのはそのうち以下の部分です。

この時期はまだ辞令が官報に掲載

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某名作アニメ映画の「巡洋艦艦長」考察

某名作アニメ映画の「巡洋艦艦長」考察

 先日、ついったーのタイムラインに「レイテ沖で戦死した巡洋艦の艦長が大佐どまりのはずがない」というメッセージが流れてきました。これは「火垂るの墓」の主人公の父親が「レイテ沖で戦死した巡洋艦の艦長だった大佐」という設定でありながらその後孤児として困窮したという展開に対し「海軍は何をしとんねん」というツッコミから派生したものなのですが、この1行からインスパイアされてちょっと調べてみたのでまとめました。

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海軍大学校「卒業」とは

海軍大学校「卒業」とは

 旧日本海軍の最高学府として「海軍大学校」がありました。勘違いしている人が多いようですが、今の大学とも防衛大学校とも位置づけは異なります。現在、かつての海軍大学校に対応するのは海上自衛隊幹部学校もしくは統合幕僚学校になるでしょう。海軍大学校についてみていきます。

海軍大学校の創設 明治のはじめ、海軍が創設されたころには海軍士官を養成するための海軍兵学校がまず整備されたが、艦船を運用するのが精一杯

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皇族附海軍武官

皇族附海軍武官

 以前、皇族の海軍武官に関する記事を書きました。

 海軍武官である皇族には皇族附海軍武官が附属し、俗に「御附武官」などと呼ばれました。阿川弘之の著作では皇族と御附武官の駆け引きが描写されています。

制度のはじまり 明治のはじめ、皇族が政府や軍の要職を多く占めていた時期にはかえってこうした御附武官の制度は確立していなかった。海軍においてはじめて御附武官が置かれたのは明治22年、海軍兵学校生徒だっ

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依託学生とROTC

依託学生とROTC


海軍委託学生 日本海軍では、特定の学科で学ぶ大学生のうち志願するものを依託学生に採用して、卒業後に海軍士官に任官させた。東京帝国大学学生で海軍造船学生だった堀元美(のち海軍技術大佐)によると、一部の科目が必修とされたことと、ときどき海軍省に出頭してわずかな手当を受け取ること以外は普通の学生と全く変わらない日常だったという。一種の青田買いだったとも言える。

 依託学生制度は明治の初めに技術学生を

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謎の第102号哨戒特務艇

謎の第102号哨戒特務艇

戦後の掃海業務 昭和20年、敗戦によって生き残った海軍艦艇は戦闘任務を解除されましたが、海外からの邦人引揚と沿海の掃海に引き続き従事することになりました。10月1日、こうした艦艇は海軍籍から除籍した上でそれぞれ特別輸送艦、掃海艦に指定することとされましたが、実際に指定がされたのは海軍省が廃止されてその事務が新設の第二復員省に引き継がれた12月1日が最初でした。

 第二次大戦中に日本が防御のために

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特修兵

特修兵

 某ウィキペディアで「特修兵」を検索してみたら独立項目はなく「下士官」の歴史の中に埋め込む形で言及されていました。経緯は追えますがその意義や運用については読み取りづらく、そのためここでまとめてみることにします。

特修兵とは 現在の社会でも資格を持っていることが仕事に有利に働くことは多い。職種によっては資格が前提であることがある。公的な資格でなくとも組織内で内部資格のような制度を設けている場合もあ

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防護巡洋艦 笠置、座礁する

防護巡洋艦 笠置、座礁する

 南北朝時代に後醍醐天皇が立て籠もって鎌倉幕府に抵抗したのが京都府南部の笠置山でした。それにちなんで笠置と命名された軍艦が2隻ありますが、その初代の話です。

防護巡洋艦笠置 日清戦争の後、清国から得た賠償金を主な原資として日本海軍は大々的な軍備拡張に乗り出した。仮想敵国はロシアである。軍艦の国産はすでに始まっていたが、清国と違ってロシアは欧州列強の一角を占め、英国には及ばないが日本や清国と比べる

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