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マイワイフが企画する名古屋周辺の旅「清州城」

こんにちはRYUです。今日は新年の城巡り企画の第2弾として、織田信長が10年にわたって居城にした歴史の舞台、「清州城」を紹介したいと思います。織田信長の死後、世継ぎを決めるための「清州会議」が開かれた場所でもあり、2013年には三谷幸喜原作の映画が制作されました。

ちなみに紛らわしいことに、2004年の町村合併の際、「清洲市→清須市」に名称変更したらしいです。その結果、「清須市立 清洲小学校」という学校も出現してしまったとか。こういった混乱を予期せず決めてしまったのは、行政側の責任としか言いようがないです。

ではまず、清州城の位置から見てみましょう(マップ左上)。

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名古屋駅から車や名鉄電車で15分程度の距離です。すぐ脇を新幹線が走っているので、明るい時間帯なら新幹線からも見えます。築城は1405年と古く、守護代織田家の本城として長く機能しました。1609年に清州城から名古屋城に遷府されるまで、尾張国の中心地は名古屋ではなく清洲だった!そうです。城を移した理由はいくつかあるようですが、1586年に発生した天正地震によって清洲城や城下町が大きく破損したことが大きな要因と考えられているようです。

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無料駐車場も完備!なので、この日は車で到着。この駐車場は五条川をはさんでお城の対岸にあるので、橋を渡って天守閣に向かいます。正直言うと、コンクリートで再建されたお城なので期待していなかったのですが・・・。

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なかなか良い風情じゃないですか♪

派手さを抑えてレトロに作られていて好印象。そして近くに寄ると・・

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おお♫ 立派じゃないですか♪

前回見た「犬山城」に形状・大きさともに似ている気がします。実はこの清洲城、設計図や写生画など、築城当時の資料が残っていない!んだそうです。じゃ、どうやって再建したかと言うと・・・

当時の他の城を参考に、想像で作った♪

・・・んだとか(驚)。元の図面の絵も無しで城を作るって、ちと無茶な話ですね。ちなみに清州城は名古屋城に遷府した後、解体されたらしいのですが、解体した材料で作ったのがこちら。

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(GoogleMap)

名古屋城の西北隅櫓。

たしかに天守閣みたいな形をしていますが、この時代からリサイクルの概念があったとは立派です。グレタさんに伝えたい。

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内部に入ると、当時の下級武士の生活についての展示とか。

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清洲の市場の様子を伝える展示があります。ちなみに、織田信長は「楽市楽座」で有名ですが、あの市場は清洲ではなく岐阜だったとか。

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最上階に上がると、復刻版の金鯱の展示がありました。顔が名古屋城と大きく違います。調べると面白そうですが、今月はちょっと時間が無いな。

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天守閣からの風景。新幹線が通ります♪

爽快です♪ ちなみにかつての清洲城は川の対岸の公園部分に立っていたと考えられています。現在は敷地内を、新幹線と東海道線が分断する形になっています。

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枯山水の庭。竜安寺ファンの私には嬉しいです♫

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対岸の「ふるさとやかた」では地元のお土産も用意。

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本当はどんな形だったか?わからないまま再建した模擬天守閣がどんなものか?行く前は半信半疑だったのですが、来てみたら予想以上に楽しめました。

それに・・・新しい年代のコンクリート造りなので、空調が効いていて快適です。築城当時のままの「犬山城」はメチャ寒かったし、昨夏訪問した「姫路城」はメチャ暑かった。エアコンが入っていて快適に楽しめる「お城レプリカ」って、意外に貴重かもです。

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そんなわけで、名古屋駅から近くて快適に楽しめる清州城レプリカ、十分におススメできるスポットでした。機会あらばぜひお立ち寄りください。さて、次はどちらの城にしようか考えます(笑)。  (RYU)