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今しか言えない 村上春樹論 ~ノーベル文学賞14回目の選外によせて~

こんにちは。文学部出身のRYUです。皆さんご承知のとおり、世界的な人気作家である村上春樹氏が、14回目のノミネートとなる今年もノーベル文学賞を逃しました。きっとSNS上の「村上談義」も賑わっていると思うのですが、何を隠そう、私も1990年代からほぼ全作品を読んでいる身名古屋を舞台にした作品「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」もあることだし、今回だけ「村上談義」に参加してみたいと思います。

ちなみに私は、村上作品を全面的に支持する、いわゆる「ハルキスト」ではありません。好きな部分と、疑問な部分が両方あります。また、ノーベル賞については「むしろ取るべきではない」と思っています。そんな理由を個人の意見として、以下に書き連ねてみます。

まずは、村上春樹が嫌いな皆さんへ。

嫌いな方の理由は、大きく2つに分かれるんじゃないでしょうか?

一つ目は、性的な描写が嫌だという方。たしかに「ノルウェイの森」以後は性描写が多い作家ですが、村上氏自身がこの点に関しては、著作「村上さんのところ」の中で「必然性があって、こじ開けようとしている」と回答しています。恋愛している男女間ならエッチに至るのも自然なことなので、性的な描写も受け入れられるようになるのが「成熟」だという見識なんでしょう。この点には賛同しますが、苦手な方は無理せず、性描写が少ない「羊をめぐる冒険」「ダンスダンスダンス」あたりから読んでみてはどうでしょうか。きっと楽しめると思います。

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そして2つ目は、難しくてわからんと言う方。村上春樹の長編小説は、多くが2つ(1Q84では3つ)のパラレルワールドで進行するので、時系列に並べようとすると混乱します。実は、進行が時系列通りにならないのは現代小説によくある特徴で、その起源は現代科学なんです。ちと大げさな話になりますが・・・アインシュタインが「相対性理論」で重力場の条件によって時間の進み方が違うことを予測した結果が、20世紀以降の文学に影響を与えました。ゴダールの映画の多くが「時系列」で構成されていないのもそのためです。

ちなみに村上春樹の小説の「2つのパラレルワールド」は、多くの場合「意識」と「無意識」の世界を表しています。こちらはおそらく、無意識の領域を探求した心理学の元祖、フロイトの影響だと思われます(これも私見)。

こんな風に現代文学は科学の影響を受けてリアリティを探求した結果、確かにちょっと難しくなったのですが、このへんはあまり気にしないで感覚だけで読み進むのもアリじゃないでしょうか。

次に、ハルキストな皆さんへ。

おそらくハルキストをいちばん強く魅了するのは、村上作品の主人公が提示する「1980年代のライフスタイル」だと思います。村上作品の主人公は「大金持ち」ではなく、持っている車もスバルだったりするのですが、音楽やグルメに詳しく、ファッションもシック。ライフスタイルの端々がオシャレです。料理も上手で、「簡単なサンドイッチ」とか言って作るのが「スモークサーモンとケッパーを使ったもの」だったりします(笑)。原型になったのは村上氏がよく食べていた神戸「デリカテッセン」のサンドイッチらしいのですが(見てみたい方はこちら⇩ 私も食べに行きました。)・・若い男が、単価1500円以上のサンドイッチを「よく食べる」なんて無理だと思います(笑)。

そして恋愛も開放的で、女性への対処も上手。さらに、そのプロセスがいちいちさりげない。

「20代でこんな男はいねーよ!」

・・・と、読みながら思ったものです。思えば、ファッションブランドのBEAMSとかSHIPSが誕生し、「ボジョレーヌーボ―」のブームが始まったのもこの頃でした。日本全体が経済成長してライフスタイルが「オシャレ化」している時代を、体系化したのが村上春樹だったんじゃないか・・というのが私の持論です。

特に、1980年代をリアルタイムで過ごした世代の方にとっては村上の作品世界は自分が若い頃のキラキラした思い出と重なるので、村上作品を「過去の自分ごと」として愛していると思います。こんな報道を見ても⇩、受賞を心待ちにしている真性ハルキストは50代以上ですから、やっぱりこの年代にウケるんだろうなと・・。

ちなみに、村上春樹作品の魅力として他に「メタファー」もあるのですが、こちらはさらに理屈っぽくなるのでまたの機会にします。


さて、ここまでは私が村上春樹を肯定している部分について書きましたが、次は・・・

賛成できない部分について書いてみます。


まず第一は、ある時点から商売に徹してしまったこと。村上春樹の作品世界が完成し、ベストセラーになった「ノルウェイの森」が出てから、読者は毎回、「同じ作品世界を読みたい」と要求するようになります。しかし作家にとっては、何度も同じような作品を書いても意味がありません。「ねじまき鳥クロニクルズ」「海辺のカフカ」あたりでは、「もう過去と同じ作品は書きませんよ」というメッセージを読者に送りました。これに対し、「1Q84」では主旨替えして、あっさり読者が望む作品世界を再び書くようになりました。タイトルが「1984年」を示す通り、「皆さんが読みたがっている80年代についてまた書きましたよ。買ってくださいね」という、作者からの転向メッセージなわけで・・・。これ以降の作品は、個人的に見るべきものがないと思っています。

第二は、オリジナルと思えない作品があること。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は実に完成度が高い作品だと思っていたんです。安部公房の「バベルの塔の狸」を読むまでは。どちらの作品もパラレルワールドが進行する内容なんですが、設定が実によく似ています。関心がある方は、両作品を読んでみてくださいね。

そして第三は、イスラエルで「エルサレム賞」を拒否せず受賞していること。戦後の平和主義を徹底してきた方なので、この点はちょっと残念に思います。

では最後に・・

「ノーベル文学賞を取るべきではない」と思う理由について。

村上春樹は戦後まもない1949年に生まれた、いわゆる「団塊の世代」です。戦後のリベラルな価値観を持っていることが作品世界にも表れていて、「権威」や「体制」を嫌い、「自由」や「愛」を愛する戦後型の主人公が登場します。「自由を求めて権威に反対してきたはずの村上春樹が、ノーベル賞という権威を求めるべきではない」と思うのです。受賞を心待ちにしているファンの方の気持ちを否定する気は、もちろん無いんですけどね。

また、ノーベル文学賞の作品には通常「普遍性」が要求されるのですが、村上春樹の作品の魅力は、その時に流行した音楽やライフスタイルなど「時代性」に追う部分が多いです。このあたりも、「ノーベル賞にはそぐわないんじゃないだろうか」と思う理由です。

色々書き連ねましたが、世界中で村上春樹の本は圧倒的に売れました。もはや何か国で計何億冊が出版されたのか?見当もつきません。これだけの人口に「読書させた」というだけで、大きな価値があると思います。また、その作品は主人公がエッチしたりパスタ茹でたり、ジャズ聞いたりして生活を謳歌しているだけでなく、暴力や戦争、戦争につながる体制を暗に批判していること、本質的な自由や愛の大切さを示唆していることなどが共感を得ているから、これだけ支持されたのだろうと推測します。

100年後も読み継がれる普遍性は無いかも知れませんし、先に書いたようなネガティブな部分もあるのですが、20代のころの自分にも大きな示唆を与えてくれた村上春樹の作品が、これからも長く残ってほしいと思います。 (RYU)

















私が村上春樹を知ったのはバブル期で、最初に読んだのは当時の話題作、「ノルウェイの森」でした。