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訳あって小野市(兵庫県)に行ってきました

こんにちはRYUです。先日、初めて有馬温泉を訪問した記事をUPしたのですが・・・。このとき神戸電鉄の路線図を見て、ひとつ気づいたことがありました。

神戸電鉄の粟生線にある「小野駅」は、確かウチの奥さんが中学~高校時代を過ごした町です。奥さんに聞いてみると、「高校を卒業してから数十年にわたって行ったことがない」とのこと。「じゃ次は行ってみるか」という流れになり、今回の訪問に繋がりました。

奥さんによると、小野市は「何もない所」で観光向きではないらしいので、今回は奥さんの過去の記憶を巡ることを目的にしたいと思います。さて、どんな所なのか興味が湧いてきました・・・。

▼神戸電鉄路線図

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神戸電鉄路線図

さっそく「小野」に出発

この日はランチ(というか昼呑み)して、神戸電鉄の始発「新開地駅」からスタート。小野市まで行く電車は、なんと1時間に1本だけ(土日祝)でした。ちなみにこの駅、改札の表示通り「阪急電鉄・阪神電鉄・山陽電鉄・神戸電鉄」の電車が入線する複雑な駅です。しかも路線図のとおり、厳密に言うと「新開地=湊川」は神戸電鉄ではなく神戸高速線。関東でも、東京メトロ・都営地下鉄・東急線が重なる「三田駅」など乗り換えが難しい駅はありますが、新開地はそれ以上の難度だと思います。

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新開地駅改札

ランチ後に新開地から神戸電鉄に乗車。22駅先の小野駅を目指します。トイレが厳しくなる距離かもです。

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このホームからの行く先は4路線。難解です。

「鈴蘭台」から先は単線になるのですが、このあたりは山肌に住宅が建て込む風景が続きます。このへんのお宅は眺望が良さそう!ですが、坂道が多いので住むには大変かもですね・・・。

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車窓からみた鈴蘭台付近の住宅地

さらに進むと、住宅がまばらになって田園風景に。線路と私有地の間には柵が無い!ところもあり、ローカル線のほのぼの感MAXです。

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こちらは三木を過ぎたあたり

電車スレスレ(というか車体に当たってる)まで木々が茂っているところも多く、時おり風景が「全面緑」になります。

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車窓がこうなる時間が続きます

路線の西側には遠景に山々も見えてきました。山の向こうが姫路らしいですが全然ピンときません・・・。

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山の向こうは姫路方面

終点近くなると、電車内もガラガラに。ほぼ住民の方だけになりました。

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まもなく小野駅

小野駅に到着

そしてダイヤ通り、乗車約1時間で小野駅に到着しました。奥さんによると以前は駅の陸橋や階段はなく、地面を渡ったそうです。

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立派になった(らしい)小野駅

いちおう駅ビル?もありますが、これも以前はなかったとのこと。学習塾と介護関係の会社が入居していましたが、カフェやファストフードがないのはちょっと寂しいです。

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電車本数が少ないためか?人影もまばら

かつて賑わった商店街

駅の近くには、かつて賑わった小野商店街があります。奥さんは中高生のころ、よく文具やレコード(CDではなく)を買ったらしいです。全国的に「シャッター商店街」になってしまう事例は各地にあるのですが、小野の場合はその上を行ってました。

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約40年ぶりに商店街を歩く奥さん

スケルトン商店街

シャッターさえ無い商店街に、アーケードだけが残っています。いわば骨組みだけのスケルトン商店街・・・。約40年前は賑わっていたそうですが、地方経済の疲弊をつぶさに見た気がします。

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40年前、賑わいはありましたがアーケードは無かったそうです

改装されぬまま閉店した店舗も多かったです。こちらの呉服屋さんは、保存する価値がありそうです。

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年季の入った呉服屋さん

そんな中で唯一、喫茶店「お茶○ん」(おちゃわん)が営業中だったので休憩させて頂きました。奥さんはケーキセット、私は和風パフェ。

パフェは抹茶のムース、わらび餅、粒餡にストロベリーアイスの組み合わせ。あいにく私は甘党ではないのですが、どのパーツもクオリティ高くて美味しかったです。

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和風バフェ680円

奥さんの旧実家へ

休憩後は、かつて奥さんが住んでいた「小野ニュータウン」に行ってみることにしました。山あり 谷ありの地形なので直線で繋がっておらず、以下の点線で示した「回り道ルート」で約2kmの距離。バスもタクシーも走っていないので徒歩です。

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山や谷に遮断されるので大回り

距離もありますが、アップダウンがあるのでさらに体力を削られます。奥さんが住んでいたころは舗装さえされておらず、自転車がよくパンクしたそうです。

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徒歩ではキツイ坂の連続

車道を外れると、人影もないこんな道ばかり。中高生の女の子が通学するのは危険だったと思うのですが・・・。よくぞ無事でした。

車道を外れると何もない道に。しかも当時は未舗装だったそうです(StreetView画像)

歩くほどに「なぜ義父(故人)はこの場所に家を買ったのか?」疑問が湧いてきました。昭和の住宅造成ブームの頃は、無理してでも遠くに家を買うのがトレンドだったんでしょうかね。

約40分歩いて、かつて奥さんの実家があった場所に到着。手前の電柱の右側あたりですが、既に当時の家はなく建て替えられています。平成の時代になって、近くに国道175号が整備されたので入居者が増えたようですが、奥さんが住んでいた時代は家もまばらだったらしいです。そりゃそうでしょう・・・。

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当時の家は既に無く、別の家が建ってました。

近くの高台からは、中国山地の山々が見えます。眺望は抜群ですね。ちなみに手前の家は切り立った崖のすぐ下に立っており、土砂崩れが心配な立地です。災害になりませんように。

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当時は自宅窓から、小野駅近くの中学が見えたそうです。

最後のミッション

そんなわけで「思い出の場所」を一通り確認したので帰路についたのですが、今回はもう1つのミッションがありました。先ほどのマップ にある、奥さんの中学時代の同級生のお宅を訪問します。奥さんが転居を繰り返したので音信不通になり、約30年ぶりだそうです。実家の位置以外は電話番号さえ分からなくなったので、ダメ元で玄関でピンポンしました。幸い応対してくれた姪にあたる女性が連絡が取り次いでくれて、3日後に・・・

30年ぶりの再開

やっと会えたそうです!感激のあまり、ランチから8時間、ずーっと会話が続いたんだとか。確かに観光にはあまり向いていない処ですが、親近感を感じる町になりました。用事は無いですが、機会ができたらまた行ってみたいと思います。皆さんも「数十年ぶり」の町があったら、再訪してみてはどうでしょうか?きっと発見があると思います。(RYU)

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30年ぶりに親友に再会した奥さん