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サヨナラの意味

僕は1999年から神奈川県横浜市でサッカークラブを立ち上げ、ずっとそこで「代表」として仕事をしてきたのですが
このたび、そのクラブを辞めました。
クラブはこれからも続きます。僕が、クラブから離れたということです。

以上、報告でした。皆さんサヨナラ

・・・

と、あっさり終わりにしたいところですが、まぁそうもいかないので、最後の日のことを書きます。

先日の記事にも書いたように、僕はこの4.5月、自分が招いたミスで結構なレベルで追い詰められ、5月には心と体がぶっ飛んで、心療内科のお世話にもなりました。心が乱れると吐き気が起こり、一瞬で熱が上がる。心と体は親密に繋がっているということを、この身をもって知りました。

そんなこんなで代表を降り、でも体調が治ればまた復帰するかなと思っていたところに、新体制となったクラブ側から「クラブを離れてほしい」と言われ、人生初の「クビを切られる」こととなったわけです。
誤解の無いように言っておくと、わだかまりはありません。その解雇宣告も、理解はして受け入れました。体調を気遣ってくれたこともあっただろうし。

そして先日、最後に保護者の皆さんの前に出てきてほしいと言われ、出て行ったというわけです。
病院の先生には「行ってはいけない」と言われました。「外に出てはいけない心と体なのに、それを強いるのは法律的にもおかしい」とまで言ってくれました。心療内科の先生とはいえ、そこまで言って自分に寄り添ってくれる人がいるということだけでも、勇気が出ました。さらにある保護者の方からも、同じような温かいメッセージも頂きました。嬉しかった。

体調が完全に回復したらもちろん最後に皆さんの前に出て行って挨拶をするつもりではいました。でもそれは6月の中旬以降になるかなと思っていたけれど、どうしてもその日に来てほしいとの事だったので、病院の先生の指示に背くことにはなったけれど、当日出かけて行ったわけです。これで終わるならば、という思いもあったし。

当日はいろんな方が僕の体調を気遣ってくれて、温かい言葉をたくさんの人がかけてくれて。
この人とそんなに話したことなかったなぁという、やや強面のお父さん(ごめんなさい)も、こっちがビックリするほどに、優しく温かい言葉をかけてくれました。あるお母さんは、息子と一緒に涙を流してくれた。

なので、もちろん重苦しい雰囲気やその他いろいろもあったけれども、自分が事前に想像していた空気感とはやや違う、あぁ、来て良かったなと思える時間になったのです。卒業生も来てくれたし。

この日はあくまでも「大人が集まる会」だったのだけれど、そこにジュニアユースの選手達が数名、来てくれていて。

彼らに僕から話をさせてもらったけれど、でも、キャプテンが「実は、辞めないでほしい、って言いに来たんです」と。

驚いた。
彼らがそんな意思を伝えに来てくれているとは、思いもしなかったから。

また、これはあるお母さんからその夜に聞いた話だけれど、ある子は、他の子と一緒に
「くぼっちに、辞めないでって頼みに行く」
「くぼっちがもし大人達に責められるようなことがあったら俺らが止める!と言って出かけて行ったんですよ」と。


なんだよそれ
泣かせるなよ
お前ら、そんな熱いキャラじゃなかっただろ、、と

夜、そのLINEをもらった時に、ひとりで勝手に泣いていた。

全員ではなかったのかもしれないけれど、彼らがそんな想いであの場に来てくれていたのかと想像したら、余計に泣けてきた。

でも、これまで彼らにサッカーを通じて「勇気と優しさ」の話や「仲間の中でプレーすることの意味」などをずっと伝えてきた結果、最後にこんな学園ドラマのような行動を起こしてくれたのだったら、俺のコーチ活動、本当にもうこれで充分なんじゃないか、本当にもう、これでコーチ生活は「上がり」でいいんじゃないかな

って、そんなふうにも思えてきて。

大して強いクラブだったわけじゃない。誇れるような実績もない。
でも、自分達で思いを表現し、人を想い、勇気を出して「その日しかない」その日に行動を起こしてくれる選手達がいてくれたということは、僕のこれからの人生できっと死ぬまで忘れることはないだろうし、きっと、死ぬまで感謝し、誇りに思い続ける。

大会実績なんかいらない。何もいらない。だってもう、これで充分じゃないか。
フットボーラーとしての矜持を最後に見せてくれた、最高の、自慢の選手達だ。

これまでにも、俺のコーチ生活、もう充分じゃないか、上がりでいいじゃないかと思えるようなことは、何回かあった。
自分の出身中学で外部コーチをしていた時、中3の最後の大会の初戦の朝、試合会場近くで選手が車に轢かれ、その連絡を受けて僕が駆けつけた時、チームメイトの彼らは倒れている子を励まし続け、車の交通整理をしながら、自分達で呼んだ救急車を待っていた。事故を起こした運転手は、その横でゲーゲー吐いていた。

彼らに一応「今日の試合、どうする?」と聞いたけど「コーチ、試合なんか出来るわけないよ、もう終わりでいい」と言ってくれた彼らの姿。あぁ、こいつらめっちゃカッコよく成長してるじゃんかと思えた、僕にとって未だに忘れられない日。

高校女子でコーチをしていた頃。
ある代の卒業生から、数年後にメッセージをもらった。

「昨日、久保田さんのブログを数年ぶりに読んだのですが、今、私が生きていく上で大切にしたいことが書かれていて驚きました。当時の久保田さんの話は正直ほとんど覚えてませんでしたが 笑 それでも、久保田さんが伝えていたサッカーだけに留まらない人生論がしっかり私の中に流れていると思うと、驚きと同時に温かい気持ちになりました。とても大切なことを得たと思いますし、何より今もサッカーをプレーするのが楽しくて大好きです」

彼女がこのメッセージをくれたのは、僕の誕生日だった。本当に嬉しくて、このメッセージでもう、俺のコーチ生活終了、いいコーチ人生だった!と言ってもいいよねと本気で思えた、嬉しいメッセージだったのを覚えている。

同じ高校女子のある代の子達が、引退試合でとんでもない魔法のような試合を魅せてくれた日とか

スエルテのある代の子達が、スーパーなStyleで県大会を勝ち抜いて行ったあの頃とかも

これらの素敵な思い出に並ぶ、もしくは勝るくらいに、この日ジュニアユースの選手達が示してくれた行動が、僕には本当に嬉しかった。これまでのコーチ活動のご褒美を、くれた気がした。

自分にとって、自分がつくって20年以上続けてきたクラブを去ることは人生の中においてもかなりのショッキングな出来事だ

と、
普通では思うのだろうけれど、なぜだか不思議と、それほど落ち込んでいない。そうさせてくれたのは、この日のジュニアユースの選手達だったり、僕の前で泣いてくれた選手やお母さん、そしてたくさんの温かい言葉をかけてくれた多くの方々との、貴重な時間を得ることができたから。これも、これまで続けてきたことへのご褒美なのだと思うようにします。皆さん、本当にありがとうございました。

サヨナラは、普通は悲しいものだ。でも、サヨナラするからこそ、この日のように人の温かさや優しさ、自分がこれまで気づけていなかった想いに気づけるという幸せを得られることもあるし、サヨナラがあるから出逢いもあり、終わりがあるから始まりもある。だから決して悲しいことばかりじゃない。

サヨナラに含まれる意味には、いろんなものがある。本気でそう思えた、最後の日でした。

今回この文章を書けたことで、これでやっと、僕も次への一歩が踏み出せそうです。皆さん、これからの新しい自分を、またよろしくお願いします。

ところで 勘の良い方はもう気づいているだろうけれど、この記事のタイトル『サヨナラの意味』は、大好きな乃木坂46の名曲からとりました。

その歌詞の一部を、最後にここに書いておきます。この曲、旋律も美しいし、MVの世界観も最高で、大好きな一曲です。

『 サヨナラの意味 』(作詞・秋元康/作曲・杉山勝彦)

歳月の流れは 教えてくれる
過ぎ去った普通の日々が かけがえのない足跡と

サヨナラに強くなれ この出会いに意味がある
悲しみの先に続く 僕たちの未来
始まりはいつだって そう 何かが終わること
もう一度君を抱きしめて 守りたかった愛に代わるもの

大切なもの 遠ざかっても
新しい出会いがまた いつかはきっとやってくる

サヨナラを振り向くな 追いかけてもしょうがない
思い出は今いる場所に 置いて行こうよ
終わることためらって 人は皆立ち止まるけど
僕たちは抱き合ってた 腕を離してもっと強くなる

サヨナラは通過点 これからだって何度もある
後ろ手でピースしながら 歩き出せるだろう
君らしく




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