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「意味ない」なんて言わないで。見出すこと

そんなの意味がない
無駄だ
もっと効率よく

そんなことを、サッカー指導において(サッカーに限らずですが)子ども達に平気で言ってしまう人が多いように思います。

子どもの頃から効率よく行動させ、無駄な事もさせず、子どものすることや興味を持とうとしていることに、大人目線で「そんなの意味がない」と平気で言って止めさせて、あたかも、それで「指導した」気になってやいないか。

子どもは、意味がないように見えることをたくさんする。無駄なことや非効率なこともたくさんする。その中で「アハ体験」を繰り返しながら、少しずつ自分で学んで成長していく。

水溜りにジャブジャブ入っていく子どもを、大人が止めちゃうのはもったいないじゃないですか。汚れたら洗えばいいだけなのに。水溜りを華麗にジャンプしようとワクワクしているのかもしれないし、ひょっとしたら、その子は水の上を歩ける忍者の末裔かもしれない。(そもそも忍者が水の上を歩けたのかどうかは知らん)

大人が「無駄」だと思い込んでることは、おそらく無駄じゃないものばかり。
大人が「意味ない」と思い込んでることにも、きっと全てに意味がある。

いかにも意味がないように見えることを子どもがしようとしている時に「そんなの意味がない」「無駄だからやめとけ」という大人でいたいのか
それとも
一概に否定せずにそこに意味を見出してあげる、何なら一緒に意味を考えてあげるような大人でいたいのか。

子どもに直に接する大人として自分はどう在りたいかという、ほぼ哲学の話にもなってくるわけです。

例えば
サッカーでいえば、リフティング練習やドリブル練習、自主練を否定する人が、日本の指導者界隈にはたくさんいます。

「スペインではリフティングもドリ練もやらない」
「そんなのサッカーに必要ないから意味がない」
「本気で練習をやってれば、自主練なんてする体力は残ってないはずだ」

などなど。

僕の見解
「スペインではリフティングもドリ練もやらない」
ラッキー!だったらなおさら日本ではやるべき。Japan’s Way でスペインをひっくり返そうよ

「そんなのサッカーに必要ないから意味がない」
それはあなたの思い込み。リフティング練習もドリ練も、サッカーには必要です。リフティングやドリブルを強化するためにやらせてるのだと思っているのなら、それがそもそもの勘違い。
(これに関しては、後日たっぷりと記事を書きます)

「本気で練習をやってれば、自主練なんてする体力は残ってないはずだ」
これも大人側の勝手な勘違い。コーチのもとでやらされるチーム練習と、自発的にやる練習では「心の疲れ方」が違います。
人間は本能として、絶対に全力を使い切らない。必ず力は残ってるの。デザートは別腹やで。

ということで、リフティングもドリブルも自主練も、全く無駄じゃないです。意味、たっぷりあります。
効率悪いかもしれないけど、急がば回れというじゃないですか。

上記はあくまでも一例中の一例だけど、子どもが(選手が)何かをした時、何かをしようとしてる時、そこに何を見出すか という観点が、指導者には必要なのだと思います。

表面だけでなく、見えないものをたくさん見ること。まさに「見ぃ出す」ってことですね。

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