見出し画像

We’ll be alright

3月26日(木)小学生の、2019年度最後の最後の練習を終えて

3月27日(金)U-13リーグが予定されていたのだけれど、コロナで中止に。その代わりにと、ジュニアユースのトレーニングマッチを新横浜公園で実施した。

3月28日、予定されていたU-10のリーグ戦最終戦がやはりコロナで中止になり。結局この日からうちのクラブも本格的に活動休止期間となった。

よしそれならば、尊敬する八ヶ岳の田畑さんを見習ってこの活動休止期間は毎日何かしらの文章を書こう、と自分で決めた。
ブログでも、媒体に寄稿するコラムでも何でもいいから、とにかく毎日文章を書こうと心に決めて、SNSなどでもそう発信した。

3日間、ちゃんと書いた。
でも、3日で終わってしまった。

実は3月31日、自分の身にとんでもないことが起こり、というか自身の大きなミスが発覚し、正直、文章を書くどころではなくなってしまった。
自分にとっては、コロナとかどうでもよくなるくらいの大きな出来事だった。時間が止まったような感覚だけれど、対応に追われるままに、そのまま慌ただしく4月が始まってしまった。
毎日文章を書き続ける。それが文字通り三日坊主で終わってしまったのは、そういう理由からだった。

もちろんこれは自業自得のことで何も言い訳のできない自身の大きなミスであり、多くの方々に迷惑をかけてしまった。本当にごめんなさい。申し訳ありませんでした。そして、これはまだ終わっていないことでもあるのだけれど。

4月は、地獄だった。

自分が招いてしまった大きな事態、そして自分を取り巻く環境が大きく変わってしまったことを自分で受け止めきれず、頭がパンクした。
人生最大のピンチだと自覚したけれど、それを受け入れる自分のタンクがこんなに小さいとは、思ってもみなかった。

自分はもっと、強い人間なのだと勝手に思っていた

毎日、吐き気が止まらない。LINEの通知が来るたび、あの黄緑のアイコンがスマホの待ち受けに表れるたびに動悸が激しくなり、顔中に熱が走るのがわかる。体温てこんなに簡単に上がるのだと、初めて知った。

それでも、以前から依頼されていたインタビューの仕事だったり打ち合わせだったりもこなさなければいけない。
そうして人と会っていても喋っていても、その場では取り繕っているけれど、頭の半分ではあのことが巡り巡って、今目の前にいる人は、自分の前にいるのだけれどほぼいないのと同じような感覚だった。

事情を知らない知人だったり卒業生から全く関係ないLINEが来れば、悟られないように明るく返信しなきゃいけない。
でも、やはり動悸は止まらないままだった。そして毎日、なぜか発熱する。

そんな中、自分で自分のことを「さすがにヤバい」と思った決定的な出来事があった。

ある日、こんな夢を見た

僕は11年間続けていた某都立高校女子サッカー部のコーチを4年前の春に辞めているのだけれど
まだコーチを続けている設定の夢で、でも、最近忙しくて全然行けてないなぁという夢だった。みんな元気でやってるかな、アイツもアイツも、うまくなったかなぁとか。
夢の中で「あ、今日の夕方は空いてる。女サカの練習は16時からだから、久しぶりに行けるじゃんか」という夢だった。

夢って目が覚めたら結構すぐに内容を忘れてしまうものだけれど、この日の夢は、目が覚めても鮮明に覚えていた。
そのまま「本当に最近忙しくて全然行けてなかったなぁ」と
そして「今日は何も予定がないから、16時からの練習行けるじゃんか。久しぶりでビックリされるかな、どんな練習やろうかな」なんて、起きてから午後になるまでずっと思っていて、荷物も揃えて本当に練習に出かける準備までしていた。
ウキウキしながら。

とっくに、4年前に辞めてるのに。
もう誰も、サッカー部には知ってる子なんていないのに。

そのことに気づいたのは出かける寸前だった。もう出来もしない夢の中の設定を起きてもずっとそのまま信じ込んで、本当にコーチとして、練習に出かける寸前だった。うまくなったかなぁと想像したアイツもアイツも、まるで架空の人物だった。

このことに気づいた時、そんな自分が自分でも信じられなくて
さすがにこれはヤバい、と相当にショックを受けた。
一気に熱が出た。また、吐き気が止まらなくなった。

数日後、ある駅のホームで電車待ちをしている時、通過電車が向かってきて
「あぁ、今ここから軽く横にステップすれば、一瞬で全てが終われるな」と思った。特急電車が自分の5mくらいに迫るまで、本気で思ってた。
もちろん実行には移さなかったけれど、そんなことを少しでも思ったのは、人生で初めてだった。自分でもゾッとした。

次の日、気づいたらホームの淵のところギリギリに立っていたらしくて、知らないおじさんがギリギリで引っ張って助けてくれた。おじさん本当にありがとう。
また自分でゾッとして、怖くなって、思いきってそれを近所に住む知人に話したら、その日のうちに病院に連れて行かれた。

まさか自分が、心療内科というところにお世話になるとは夢にも思っていなかった。

その病院の先生が、本当に優しかった。これまでの話を全て聞いてくれて、話を聞いてもらっているうちに、涙が出てきて止まらなくなった。
全て、吐き出させてくれた。人の前であんなに泣くなんて、やっぱり人生で初めての経験だった。

全般性不安障害。ひとりで外出は絶対にしないで下さい、とも言われた。
好きなことはなんですかと聞かれたので「文章を書くことです」と答えたら
「それならば好きな時に好きなだけ、文章を書きましょう」と言ってくれた。

今書いているこの文章も、その一環で書いている。誰が読んでくれているのかもわからないし、たくさんの知人に読まれるのは少し恐怖心もある。
でも、恥を晒すような内容だけれどそれでも、全てを吐き出すと、何だか少し楽になるんです。

一日の中で、気持ちは乱高下する。熱が出て、吐き気がして、もらった薬を飲むと、少し落ち着く。眠たくもなって、深く眠ってしまえる。
ひとりで外出はできないけれど、信頼できる人と一緒なら散歩はしたほうがいいというので、知人に協力してもらって、夕方に街に出る。そして空いている時間に文章を書き、好きなアーティストのLiveをYouTubeで観て、熱が出て薬を飲んで、また眠る。その繰り返しになってしまった。

女サカの過去の教え子たちとのオンライン飲み会も、複数回やってもらった。すっかり大人になった彼女達と話していると、気分が本当に楽になる。
話していると全てを忘れられるし、楽しくて、あの頃が懐かしくて仕方がない。

そしてまたひとりになって、寂しくなって熱が出て、薬の力を借りて眠る。そんな毎日を送っている。

この間、いろんなことがあったしいろんなことを言われたりもしたけれど(もちろん自分が悪いのだからそれも当たり前)
でもそれ以上に、いろんな人たちが自分のことを心配してくれてメッセージをくれたり、電話をかけてきてくれたり、実際に会ってくれて話を聞いてくれた。卒業生達からも、たくさん。みんな、味方でいるよと言ってくれた。

先日は、大切な人がわざわざ会いにきてくれた。大量の食料を持って。心配する素振りもそんなに見せずに、ただただ楽しくいつも通りに接して話してくれた。それが、本当に嬉しかった。いつもの自分に戻れた時間だった。

これらたくさんの人達に、僕は命を救われたと思ってる。
人の優しさってこんなに有り難いものなのかと、この歳になってこんなに痛感するとは思わなかった。

また、音楽にもたくさん救われた。中でも今、Stay home の一環で B'z が過去のLive映像をフルで配信してくれていて、その中でも「brother hood」という曲の歌詞に救われた。

朝帰りで疲れ果てた体を 床に投げ出して
今日あった最悪なNEWS ハッピーなNEWS
思い浮べていけば また目がさえて眠れない
BROTHER 生きていくだけだよ
ためらうことなど何もないよ 今更
どうか教えてほしいんだ 苦しい時は苦しいって言ってくれていいんだよ
baby, We'll be alright We'll be alright
うまくいってるかい なかなか大変だよな 全く
こっちだって毎日クタクタになってる
たまにはしょーもないハナシで盛り上がろう
言いたいこと言えるから いつも最後は笑顔で別れられる
BROTHER 生きていくだけだよ
ためらうことなど何もないよ 今更
同じ道をゆくわけじゃない
それぞれの前にそれぞれの道しかないんだ
baby, We'll be alright We'll be alright
We'll be alright
どこかであいつがベソかいて どこかでおまえがブッ倒れて
どこかでボクがヤケになってる 味方がいないと叫んでいる
みんな生まれも育ちも違ってるし ベッタリくっつくのは好きじゃない
いざという時手をさしのべられるかどうかなんだ
だからなんとかここまでやってこれたんだ
You know what I mean
BROTHER 生きていくだけだよ
ためらうことなど何もないよ 今更
走れなきゃ 歩けばいいんだよ 道は違っても ひとりきりじゃないんだ
baby, We'll be alright… We'll be alright…

そして2013年に行われた日産スタジアムでのLiveで、ボーカルの稲葉さんが最後のMCで語った言葉を聞いて、またボロボロに泣き崩れてしまった。

これから、僕らにも皆さんにも、いろんなことがあるでしょう。楽しいこと、つらいこと、それこそもうボロボロに打ちのめされるようなこと、それもまあ当然あるでしょう、生きてるからね。でも、火さえ消さないで、灯し続けていればこうやってまた僕ら⋯すごいいい顔で会えますから。絶対会えると思いますよ!

ハードに歌い狂うイメージがある稲葉さんだけど、Liveで語る彼の言葉は、どれもこれも、本当に人間味に溢れている。
この時の稲葉さんの口調も表情も、本当に優しくて。まるで自分に向けて言ってくれているかのように感じて、何度も何度もリピートしながら、この言葉を今日も聴いている。

自分も、こんなことが言える人になりたい。弱っている人に「大丈夫だよ」「味方だよ」と言える人になりたい。稲葉さんに限らず、実際に僕に対して優しく「味方でいるよ」と声をかけてくれたたくさんの仲間達が、そう思わせてくれた。

きっと今まで、そんな自分じゃなかった気がする。自分のエゴ、自尊心、理想と現実のギャップにイラつく未熟な自分。
自分を証明したい、それがまず先走っていたような気もする。

結果、それでたくさんの選手達を傷つけてきたこともあると思う。今回自分が痛感した自分の弱さが、逆にそれを強く痛感させてくれた。

今後のことはまだどうなるかはわからないけれど、社会に復帰したら、優しい人になりたい。それはもう、本当に心に決めた。
苦しんでる人、傷ついてる人、打ちひしがれている人に、大丈夫だよ、味方でいるよって言えるような人にならなければと、今は心からそう思える。

今日も気持ちは乱高下するしきっと薬の力を借りて眠るのだけれど、それでも、この文章を書いて、少しだけ楽になりました。
最後まで読んでくれて、ありがとう。

毎日書く!なんてもう決めずに、書きたいタイミングで、また好きなように書いていこうと思います。

「死ぬならひとりだ、生きるならひとりじゃない」
(B'z / RUN)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?