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見えない精神、心を見えるように

実は昨冬から韓国語を勉強し始めてまして(その理由は近々書きます)

その勉強方法の一つとして、YouTubeで観はじめたNiziプロジェクトオーディション。もちろん、それまでもこのオーデションのことやここで選ばれたNiziuのことも知ってはいたけど、詳しくチェックするほどではなかった。J.Y.Parkさんのことも、TWICE や 2PM のプロデューサー、くらいの認識でしかなくて。

その結果、世間の多くの人と同様、どっぷりとハマってしまった⋯ オーデションの過程を見続けていくうち、親心爆発でまずはNiziuのメンバーたちにハマり、その流れでTWICEにもハマり(ツウィちゃんかわいすぎて)そして案の定、J.Y.Parkさんが彼女達にかけてあげた数々の名言と優しさに感動し、心を揺り動かされた訳です。ホントに自分は単純な人間だ。

で、今回のコラムで紹介したいのはその中でのひとつの場面。音楽とは、芸術とは、ということをJ.Y.Parkさんが説くシーン。まだ初期段階、地域別オーディションでの話です。

この動画の最初に出てくる谷川陽菜さんは、5年間、セミプロのようなグループでアイドルをしていた子。
それが解散し、夢を捨てきれずにNiziプロのオーディションを受けに来た。

彼女の歌とダンス披露が終わった後に、プロデューサーのJ.Y.Parkさんが彼女にかけた言葉。

新人みたいな切実さ、必死さ、情熱が感じられて、本当によかったです。
でも、切実さや必死さが感じられるのはいいけど、僕や観衆にいい子に思われることが、まるで、踊って歌う理由になってしまっているようです。
この5年間、表現することだけに集中してしまっていて、自分自身がしっかりと感じて表現しているようには見えません。
谷川さんが、誰なのかよく分かりません。
僕にいい子に見られることだけを考えているから。
僕たちはみんな、一人一人の顔が違うように、一人一人の心、精神も違います。
見えない精神、心を見えるようにすることが、芸術です。
だから自分の精神、心、個性が見えなかったら、そのパフォーマンスは芸術的な価値がないです。
歌とは何か、ダンスとは何かということを急いで教えてあげないといけないと感じました。

彼女が部屋から去った後

自分自身へのプライドがあって初めてそれを表現できるのに、自分自身へのプライドがなさすぎるから、本当に心が痛むんだ。
5年という時間が、そうさせてしまったのかも⋯

と彼女に同情し、心を痛めるParkさん。それぞれの問題点をその場で的確に指摘できる目だけでなく、こうして一人一人に寄り添える心を持ってるからこそ、彼は名プロデューサーなんですよね、きっと。

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見えない精神、心を見えるようにすることが、芸術。だから自分の精神、心、個性が見えなかったら、そのパフォーマンスは芸術的な価値がない

この言葉は、音楽や芸術だけでなく、サッカーでも同じですよね。

勝つためにやる、上手く見せるためにやる⋯なら、百歩譲ってまだいい。もちろんこれが最優先になってほしくないけど。でも

監督、コーチ、親からこう言われたから
こう言われたくないから
評価してほしいから、叱られたくないから、褒めてほしいから

これでは、その選手が持つ個性や感性、魅力はおそらく現れにくい。

でも現状、こういう子どもがたくさんいる気がする。こうさせてる大人はもっとたくさんいる。監督も、コーチも、親も、先生も。

音楽や芸術だけでなく、スポーツだって一種の表現活動。自分を表現し、そこから何かが伝わったときに、人は感動する。その人を動かすこともできる。真の意味で、応援もしてもらえる。

その子が持つ精神や心が解放されて思いっきり表現されるような環境で、サッカーさせてあげたい。子どものうちから存分に。

今の日本のジュニア年代の現場は、さてどうでしょうか。

下記のコラムでも、J.Y.Parkさんの魔法的な言葉について書いています。宜しければぜひ。↓↓


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