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子どものため、次に繋げるため、という大人の自己満

この前の日曜日、昨年まで関わっていたクラブの試合を久しぶりに観に行きました。カテゴリーはU-12。

もうこんな時期だから、6年生達はこのクラブで行う試合もあと数回しかない。
そんな中で行われた、4チーム総当たりでのローカルなカップ戦。

1試合目も2試合目も大量得点で勝利して、最後勝てばもちろん優勝、引き分けでも1.2試合目にあげた得点の貯金で優勝、というシチュエーションで迎えた3試合目。

先に2点取って、このままあっさり決まっちゃうのかなと思って観ていたけど、、正直、あまり内容はよくない。
選手それぞれに遊びとゆとりがなく、その上、守備のことを考えずにただ攻めてるという雰囲気でのプレーが続いていたから、これはそのうちやられるかもねなんて思いながら観ていたら、案の定、カウンターから一気に2-2と追いつかれてしまった。

選手のお母さん何人かと一緒に観ていたのだけれど
「内容よくないし、このまま引き分けで結果オーライ、やっぱり優勝でしたイェーイなんてなるよりは、もう一点決められて逆転されて、負けたほうがよっぽどいいんじゃないですか」なんて話しながら。

本当にそう思いながら観てたんですよ。これなら、この子達のために負けたほうがいいって。決勝戦というものは、負けて準優勝で終わって、悔しい思いを抱えて帰ったほうが次に繋がるしね、なんて。

結局そのまま2-2で終わって彼らは優勝したんだけど、その時は「何だかなぁ」と思いながら
「地味な優勝やな〜」なんて半分からかいつつ、彼らと一緒に写真撮ったり。

その後も、コーチに「あの内容なら、わざと負ける演出して逆転負けしたほうが良かったのに」なんて、冗談まじりに話したくらい。

でも帰った後、少し頭を冷やしながら考えたんですが

次に繋げるためとか言うけど、次って何なんですかね、と。
子ども達のため、とも言う。でもそれ、本当に子ども達のためなのかなと。
子ども達のためとかいう美辞麗句、使いすぎて錆びつきすぎて、それ、ただの大人の自己満なんじゃないか。

「子ども達のため」と大人が飾って言う言葉は、子どもが本当に望んでることじゃないんじゃないかと、切り替えが早すぎる僕はキムチを食べながらそう考えてました。

みんな、よく言うじゃないですか。

子ども達のために
次に繋げるために
調子に乗らせないために
お灸を据えるために
悔しい思いをさせるために
これからのために、今後のために、未来のために⋯

書いてて恥ずかしくなりました。これ全て大人のカッコつけであり、自己満足の極みじゃないか。

6年生達もあと数試合しかない、この時期のカップ戦。
優勝したいと思うのも当たり前、これ勝てば優勝みたいな試合ならば硬くなるのも当たり前、いつものパフォーマンスができなくなるのも当たり前。

優勝して、無邪気に喜ぶのも当たり前。それが、子ども本来の姿じゃないか。

それを
「彼らの今後のために」とか「内容が」なんて考えながら偉そうに観ていた自分が少し恥ずかしくもあり、情けなくもなった。

彼らにとっては今後、とか次、とか関係ない。ただ目の前の試合に勝ちたいし、どうせなら優勝したいし、みんなでいい思い出作りたいよね。それだけで充分なはずなのに、と。

もちろん、大人が「ただ勝てばいい」と思って先走るのは最低の極みだけどね。(そういう人はたくさんいますが)

自分がずっと見続けてきた子達だからつい厳しい目で見てしまったり、辛口なことを感じながら観ていた自分は、完全に自己満な指導者の仲間入りをしていたのかもしれない。

自分は昨年から高校生のコーチをしているのだけれど、高校生を指導し始めて、今まで気づけなかったことにたくさん気づいたことがある。高校生でこれなら、小学生なんて気難しく教える必要は全くないじゃん!みたいな。
だから今もし自分が小学生のコーチに戻るとしたらきっとこうする⋯なんていう妄想をたくさんしていたのだけれど

いざ目の前で小学生の試合を観たら、めっちゃ気難しい目線で偉そうに見てしまっていた。あかーん!
まだまだ器量が狭い。懐が浅い。

これまでも、あの子達にはたくさんのことを教えてもらってきた。
昨年春に彼らからは離れたけれど、こうして離れた立場になっても、最後に大切なことを教えてくれた。本当に、感謝しないといけないなぁ。

高校生を指導するようになって気づけたこと。
その上で、小学生の指導について新たに思えたこと。

これは、また今度たっぷりと書きたいと思います。

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みんな、優勝おめでとう!

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