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バー当てばかりが上手くなったあるサッカーコーチの話

11月・12月と、有り難いことにかつての教え子の結婚式と披露宴に列席させてもらったんですよ。

11月は新郎新婦ふたり共に教え子(自分が代表をしていたクラブで同学年チームメート同士だった)というほぼ奇跡のようなミラクルストーリーで、12月は、かつてコーチを務めていた高校女子サッカー部のキャプテンだった子。

結婚式の立て続けというのはさすがに財布が寂しくなる。ご祝儀だけじゃなく他にもいろいろかかるしね。
しかしこの財布の寂しさは全く困ったものではなく、むしろとても嬉しいものだ。人のお祝い事にお金を出せるなんて、人生でこれ以上に嬉しい出費はあるのだろうか。ないよねきっと。

いや教え子の結婚式に出て浮かれてる前にまずは自分で自分の結婚式を挙げてみろこの永遠イキ遅れめ、と言われそうだが、うるせぇ、俺は結婚できないんじゃなくて結婚しないだけだ、とここ20年くらいずっと言っている気がする。

「このバー当てが成功したら俺は今年中に結婚できる」

と選手たちの前で宣言してからバー当てをするという行為はそれこそこの20年くらいあらゆる指導現場でずっとやっている鉄板ネタなのだが、バー当ては得意なのでいつもほぼ当たる。でもまだ結婚はしていない。
そのうち「この人、このネタいつも言ってるから気にしないでいいよ。どうせ結婚できないし」と、すっかり僕に慣れてしまって小生意気に成り上がった先輩部員がまだ純粋で何も知らない新入部員に教えてあげるというのはかつて指導していた女子サッカー部での伝統行事にもなっていたほどだ。

無駄なバー当てチャレンジを続けてきた結果、俺のバー当てには年々ますます磨きがかかり、たぶんだけどバー当てだけなら日本一うまいサッカーコーチな自負がある。NIKEのCMのロナウジーニョばりにうまい。

・・・

そんなことはどうでもいい。
とにかく11月と12月に教え子の結婚式に出席させてもらいこの上ない幸せを感じながらとてもHappyな年末を迎えようとしているところで、このnoteを書き始めています。皆さんこんにちは。

11月の結婚式では、有り難いことに主賓スピーチまでさせてもらった。スピーチしながらふたりの小学生時代の映像をサプライズで流そうと思い、ふたりには内緒で式場の方とコンタクトをとって2回も打ち合わせに通ったり。事前にそんなことをしている段階から何だかとても嬉しくて、幸せな気分ふわふわ。

しかしそうまでしておいて肝心の当日話す内容はほぼ何も決めずほぼぶっつけで臨むというギャンブル状態。その場でふたりの顔や懐かしいご両家の方々(両家とも昔から知ってるからなんだか不思議な気分!)の顔を見ながら話せばきっと言葉は出てくるだろうし、何たってふたりがサッカーをしてくれていたかつての「SUERTE juniors横浜」というクラブでは「アドリブラー」というフレーズを全面に出して「アドリブ上等。閃きで崩しちゃえ」というノリだったので、ここで俺が台本がっちり準備してたらおかしいやろ全部アドリブでいったるわ、という強気でマイクの前に立った瞬間、やっぱりある程度は準備しておけばよかったと後悔して膝がガクガク震えました。やっぱり準備って大事だね。

まぁそれでもそこそこ笑いも取れていい感じで話すこともできたし、おめでとうよりもありがとう、をふたりに伝えることもできたし、コーチとしての最後のお願い、を新郎に伝えることもできた。あぁ、よかった。

そういえばこの式の最中、一番はしゃいでいたのは新婦のパパでした。長女が嫁に行くのに!こういう時ってパパは普通泣いたりするのに!
そして最後の挨拶のところでは新郎パパ、新婦パパ、そして新郎、このオトコ3人で抱き合ってふざけて、ご両家の女性陣が呆れてそれを眺める、というオチまで見せてくれました。こんなところも含めて、このご両家サイコーなんですよね。

大伍、早貴、本当におめでとう。そしてありがとう。

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12月に出席させてもらった披露宴は旦那さんの出身地だという静岡県三島で行われたので、当日はいざ新幹線に乗って三島まで。

40分くらいであっという間に着いちゃった。三島って近いんですね。

都立国際高校女子サッカー部23期キャプテン・ひかる様の結婚披露宴。この代は選手たちだけじゃなく保護者のパパママたちも含めて仲が良くて、よく飲み会などもやったりもしてた代。選手たちもまぁそれはそれはひと癖もふた癖もある⋯じゃなかった、とても個性的で魅力的な子たちばかりで、卒業してからもちょいちょい飲みにいったり集まったりと、僕にとっても未だに一番交流のある子たちでもあるんですよね。
その代のキャプテンひかる様の結婚披露宴のために皆が三島に集まったという当日。ちなみに現役時代から僕は彼女に頭が上がらなかったので、当時から「ひかる様」と呼んでます。今でもそうです。彼女には一生頭が上がりません。

式場に着くなり、先に着いていた子から「ネクタイが変。直せ」と言われ
(ネクタイの結び方が一生わからない)
また別の子からは、荷物が多くてリュックを背負って来た僕を見るなり
「スーツにリュックはありえない。早くロッカーにしまってきな」と怒られ、強制的に別階のロッカーに連れて行かれた。
こんなツンツンしてるくせに「行ってこい」じゃなくて一緒に来てくれるところが彼女らしいのだが、ロッカーに入るとき「先に戻ってていいよ」と言っても「いいよ、待っててあげるから」ともう完全に「世話の焼けるおやじの面倒を見るムスメ」という図式が、この子たちとはいつからか成立してしまっている。ありがたいというか、何というか。

こういうところも含めてこの子達とは昔から波長が合った(と、勝手に思っている)んですよね。だから久しぶりに会ったとしても、まるでつい昨日も会っていたかのようにすんなりと自然に会話ができる。こういうのも、地味に超嬉しい。

11月の主賓スピーチに続き、この日は僭越ながら乾杯の音頭を任せられ。司会の方に「恩師」って紹介された。そんな滅相もない⋯有り難き幸せ。
「僭越ながら」という、これまでの人生で一度も使ったことのない言葉をこの2ヶ月間でいっぱい使った。僭越、ってどういう意味だろう。とりあえず意味など知らずまま、11月のスピーチでもこの日の乾杯でもたくさん使いました。

乾杯の音頭も予想以上の笑いが取れていい感じで進み「ご両家の皆様のご多幸をお祈りして⋯」などの言わなきゃいけないいくつかの定型文も言えてホッとしたのも束の間、えっ、あと何を言わなきゃいけないんだっけと頭が完全ドフリーズ。「かんぱい」の4文字が出てこなくて5秒フリーズしてしまい会場の雰囲気を微妙にさせたところで「乾杯!」

席に戻ると彼女たちがかつて一度も俺には見せたことのないような満面の笑顔で優しく迎えて乾杯しに来てくれたことが嬉しかった。きっと出来の悪い息子を見守る親のような気分だったのだろう。もはや立場逆転。

俺の仕事はここで終わった。ホセ・メンドーサとの死闘を終えコーナーに戻ってそのまま死んでしまった矢吹丈のように、真っ白に燃え尽きて椅子にへたり込んだ。と思ったら隣に座っていたやつが「お色直しのドレスの色、青だったら1,000円ください」といきなり意味不明にゆすってきたので一気に現実に引き戻される。そのうち他の奴らも参戦してのドレス色当て選手権となったのだが、結局ドレスはピンクで正解者なし。無駄な出費はなんとか免れた。

あとは美味しいご飯をたくさん堪能させてもらって、感動的な式とひかるがパパとママに向けて読んだ手紙に号泣して、彼女たちとの楽しいバカ話にも花が咲いて、本当に本当に楽しい時間を過ごせました。メインの肉が柔らかすぎて歯がいらなかったし、〆に鰻が出てきて「さすが三島」と感心しつつ、一緒についてきたスープを鰻重にぶっかけてひつまぶし状態にしていいのか分からずにひとりで悩んだけどやっぱりそのまま頂いた。三島の鰻、本当に旨かった。

幸せな時間てあっという間に過ぎてしまうから寂しいよね。終わった後も切ないから一人で帰りたくない。
ということでおじさんのくせに2次会にも参加させてもらうことになって、それまでの時間を潰すために皆でカラオケボックスに行ったのだけれど、あいつらとうとうボックス内で普通に着替え始めやがった!泣
俺はもう完全に「空気」扱いをされている。そういうところも含めて、この子たちとはやっぱり波長が合うんだよね。

たくさんお祝いしてたくさん話してたくさん飲んで。最後は疲れ果てながら一緒に新幹線で帰る。やっぱりたくさん飲みながら。
そんな時間を一緒に過ごせることも、何だかとっても嬉しい。いつになってもそう。教え子ってそういう存在なんだよな。

日常に帰れば、みんなそれぞれの立場でそれぞれの仕事をがんばってる。今の仕事をやめるつもりなんていう話を聞くと、心配で心配でたまらない。
いつになってもいくつになっても例えおばさんになってもずっと、俺の教え子であることには変わりない。だから何か困ったことがあったらすぐに飛んでいくし、いつでもいつまでも、かつて移った情が消えることは決してない。
そんな存在が「教え子」ってことなんだろう。少なくとも、俺にとってはそうなのだ。

しかしこの日はたくさん飲んだな⋯体重3キロ増。

そういえばこやつらはかつて「出世したらおごりますね!」と言ってくれていた気がする。みんなもう立派な社会人だし最近ボーナスも出ただろうから、もうそろそろかつてのコーチを焼肉に連れていくとか温泉に連れて行くとかしてくれてもいいんじゃないかと思うのだが、待てど暮らせどそんな連絡は一向にこない。

ってまぁ絶対にないだろうな。そういうところも含めてやっぱり波長が合っている。あいつらもわかってる(泣)
いつまでもずっと、俺が焼肉おごることがこれからも続いていく。
それも幸せだったりするのよね。


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つい先週末は、かつての「SUERTE juniors横浜」の卒業生たちを集めて久しぶりに「サッカー広場」を開催。といっても5日前の急な告知だったので「4〜5人くらいでも集まればいいかなぁ」と思っていたのだけど、会場に着いてみたらまさかの30名超え!超超嬉しい大誤算。11月の新婦ももちろん参加。新郎は来れなかったけれど。次は夫婦で来いよ!

下は中1から上はアラサー世代まで。そして選手たちだけでなく懐かしのパパママたち、そしてかつてのサイトーコーチまでも予告なしにふらりと来てくれるこの感じ。スエルテファミリーの絆を実感して、声に出さずとも涙も流さなくとも、心の中で号泣レベルに感動してました。

復活・SUERTE juniors。みんなありがとう

嬉しい。本当に嬉しい。文章を書く身としては「本当に」という言葉を安易に使いたくないんだけど、今回だけは使わずにいられない。本当に本当に、嬉しかった。みんな本当にありがとう。あぁ、また使ってしまった。

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正直に言うと、今年は自分の身にたくさんのことが起きてしまった年だった。
悔しい思いもたくさんして、夏にはボロボロ。全人格を否定され踏み潰され、自分の存在意義はどこにあるんだろうと絶望したこともあった。
仲間だと思っていた人物に実は陰で弓を引かれ背中を刺されていたのだと知った時の落胆と虚しさは、忘れたくても忘れられない。結果、病院にも通った。

でも。そんな今年も終わりに近づいたこの時期に偶然なのか必然なのか、かつての教え子たちにこうして会える機会が続いて、絶望していた自分の心もようやく立ち直り始めている。自らの存在意義を失くしかけていたけれど、実はそんなに絶望することはなかったんだと気づく。
俺のプライドはここにあるじゃないか、俺の生きた証はこの子たちなんだと、かつての教え子たちとの時間が自分を蘇らせてくれたというか、今はそんな気がしてるんです。

夏以降、ずっと通っている整骨院の先生が最初に言ってくれた言葉が忘れられない。
「私は整骨院なので久保田さんに起きたことは変えられないけれど、久保田さんの中の受け皿を大きくすることはできます」と。
この先生にはずっと自律神経をさわって調節してもらっていて、この前ついに「受け皿、だいぶ大きくなってきましたね」と言ってくれた。
自分でも、そんな実感がある。

新たな出会いも始まった。3月から始める女子クラブの体験練習会には、たくさんのサッカー少女たちが参加してくれている。
それぞれの境遇はさまざま。想いもさまざま。こんな自分を既に頼ってくれている子もいる。そんな彼女たちの力になりたいし、これからの時間を一緒に費やしていきたい。
そんな想いに切り替えることができて、今は完全に前を向けている。頭と心の中にある僕の受け皿は、彼女たちで埋まり始めている。

新たに出会ったこの子たちも、いつかは「教え子」という存在になっていく。卒業してからもほどよい付き合いをしていけたらいいな。そう思わずにはいられない。

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息子も娘もいない自分にとって、これまでサッカーを通じて関わった数々の教え子たちこそが、息子や娘みたいな存在。
もちろん本当の親御さんが子どもに注ぐ愛情には決して敵わないのだろうけれど、ある時期を一緒に過ごし自分のすべてを注いだ教え子たちは、大袈裟な言い方かもしれないが本当に自分の「生きた証」のような存在だと思ってる。まぁ彼ら彼女らからしてみたら、勝手にそう思われて迷惑な話かもしれないのだけれども。

だから教え子って、自分にとっては何があっても守るべき存在なんですよね。
たとえ誰かが犯罪を犯したとしても俺だけは「やってない」と信じてあげたいし、最後まで味方でい続ける。理屈じゃなく、そういうもんなんだ。

ここに書いた子たちだけじゃなく、かつて自分に関わってくれたすべての選手たちが自分にとって大切な教え子たち。
スエルテ、LOBOS、都立国際、烏山中、太子堂中、十文字、湘南学園、希望ヶ丘高校、INAC
そしてこれから始まる、LINDA SMILES

きょうはすべての選手たちに捧げるためのnoteでした。

これを読んでくれた人へ。誰でもいいので、誰か老後の僕を介護して下さい。
だって教え子だろ!(頼)

バー当てに磨きをかける日々は、これからも続いていく


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結婚式の思い出

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