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すごいアドリブ力!117「即興性のアドリブ力」

こんにちは、くらです。

(いつも「みんなのフォトギャラリー」からすてきな画像を拝借しております。今回は、ますみゆたか/真澄悠貴さんの画像です。ありがとうございます。)


イギリスの作家オスカー・ワイルドが言っています。

「生きるとはこの世でもっとも○なことである。大抵の人間は存在しているにすぎない。」

○に入る漢字一文字は何でしょうか?


[こたえ]稀
(『普通がいいという病』泉谷閑示(講談社現代新書)より引用)

存在しているだけ、と面と向かって言われると、きっと頭にくると同時に、言い返せない自分がいるような気がします。何のために生きているのか、と問われたとき、あなたならどう答えますでしょうか?

上記著書にて、作者は、「生きているもの」と「死んでいるもの」の違いは、機械的反復にあるのでは、と言っています。ただの反復は生きているとは言えない、ということ。

「『生きているもの』にとっては、マニュアルではなくある種の即興性が大事です。それが生きの良さや鮮度を生み出すのです。講義や講演でも、あらかじめ原稿を準備してきてそれを読むだけですと、死んだ話をすることになってしまう。

聞いていて眠くなる話というのは、たいてい、立派な原稿があってそれを一言一句アナウンサーのように読んでいるものであったり、何年も同じノートをネタにした反復であったりするものです。それはどんなに良い話であっても、飛んでくるもの、伝わってくるものが少ない。

中には、『即興』とはいい加減なことなんじゃないかとか、手抜きなんじゃないかと考える人もあるかもしれませんが、『即興』とは最も生きているやり方なのです。十分に下準備した上で即興を大切にするということは、単なる手抜きの行き当たりばったりとはまったく別物です。

本当に咀嚼されていることであれば、原稿はむしろ自由な話の拡がりを妨げてしまいかねない。これは、演劇でも音楽でも、美術でも料理でも言えることでしょう。クラシック音楽の演奏で、『ここはこう解釈して演奏すべき』と指導を受けて、それに縛られてしまうと、ミスはないでれどもちっとも魂に響いてこない無味乾燥な演奏になってしまったりします。これも、即興性が失われてしまったためなのです。

即興性とは、常に新しいひらめきがあり二度同じものはないということですが、セラピーにおいても、それが生きているセッションになるのか死んだセッションになるのかを分ける大切な要素になります。

セラピストが勉強熱心に様々な理論を仕入れても、それだけに囚われてクライアントに向き合うと、『頭の中で教科書をペラペラめくってるような面接』という感想を持たれるような死んだセッションになってしまいます。

(中略)

人間は生き物ですから、一日違ってもすいぶん違う。その日どういう表情をして入って来られたか、どんな気を漂わせているのか、第一声はどんな感じに聞こえるか、どんなことから語られ始めるのか、毎回毎回それはとても違います。

そして、はじめの数分の中にその日のセッションの総目次が現れているのだという大切なことに、ある時やっと私も気付いたのです。その時に、自分の頭が何かの考えで一杯だったら、大切な兆候を見落としてしまって、セッションはどんどんズレてしってしまうのです。」
(前著より引用)


私はアドリブ力ということについて、ずっと考えてきました。この作者が言うように、二度とない機会をその時大切に生きること、常にひらめきがそこにあること、その即興性を自ら生み出して、自分も周りも先へ進むことのできる力を、私なりにアドリブ力と定義しております。

大切なことは、そのときを、生きている、ということ。そして、生きている、ことを大切にするには、既存のものを知り、それを捨てること、そして、更にそこから一歩進んだものに自ら変えていくことが必要だと考えます。何のために。それは、自分も周りも、その場をいきいきと生きるため、と考えるからです。

今回もお読みいただきありがとうございました。

「今日の一言:アドリブ力は、生きることを実感できる即興性を生み出す力」


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