対人関係で必要以上に傷つかないためのコツ(アドラー心理学的観点から)
礼儀正しく人当たりがよくて、自分のことだけを考えている。
今、そのような人たちが増えている気がする。ホワイト化が進む日本社会ではなおさら、その傾向が強くなっているのではなかろうか。
仕事をしていても、近所付き合いをしていても、趣味などを通した交友関係においても、私はしばしばそれを感じる。
みんな礼儀正しいのだ。みんな人当たりがいいのだ。温厚でなごやかで、決してきたない言葉を使ったりもしない。360度どこからどう見たって「いい人」なのだが、それはふとした瞬間に現れる。
えっ、何で?
えっ、そうだったの??
スッと体をすり抜けるかのように、彼らは私たちとの繋がりをかわす。
それは力まかせに鎖を断ち切るという感じではなく、器用に鎖を外して距離をとるという感じである。
もちろん彼らに悪意はないのだ。でも人によっては急に距離を取られたことによって、傷ついてしまうこともあるだろう。
もともと他者と距離をとろうとする人たちは一定数いる。そういう人たちは特に問題ないのだ。(問題ないというと語弊があるかもしれないが、そういう人たちはたいてい人づきあいがわるいか、あるいはきたない言葉をつかったりマナーもよくなかったりするので分かりやすい。だからこちらも「心構え」ができているので、不意打ちのようなダメージを受けることはないのだ)
礼儀正しく人当たりのいい人たちが、ふとした瞬間に見せる冷たさと非協力的な態度。問題なのはこっちなのである。
そしてそれは、アドラー心理学的にいうならば隠されていたセルフインタレスト(self interest)が現れた時だと私は思っている。
セルフ・インタレストとは、「自分に対する関心」という意味だ。
誤解のないように言っておくと、自分に関心がない人なんていない。
多かれ少なかれ、みんな自分には関心がある。でもそれをストレートに表に出している人と、普段はそれを隠している人とがいる。
かつてアルフレッド・アドラーは次のように言った。
見せかけの共同体感覚にだまされてはいけないと。
共同体感覚とはアドラーの作った言葉だが、それは英語でソーシャル・インタレスト(social interest)と訳された。つまり共同体感覚(ソーシャル・インタレスト)とはセルフ・インタレストの逆であり、自分ではなく「他者への関心」という意味である。
そう、「他者への関心」は見せかけることができるのだ。
アドラーは次のようにも言った。
その人の言葉を信じてはいけない。その人の行動が全てなのだと。
行動は隠せないというのがアドラーの考えであり、つまりどんなにネガティブな言葉を使いながらも、その人が協力的な行動をとっているのだとしたら、その人は自分への関心よりも他者への関心のほうが強いのだ。
逆にどんなに礼儀正しく、きれいな言葉を使っている人でも、行動が非協力的なものだったとしたら、その人は他者への関心よりも自分への関心のほうが強いのである。
ホワイト化していくこの社会で、見せかけの共同体感覚にだまされないように、ふだんからその人の行動や態度に注目しよう。
つまり、協力が求められる場面で、その人がどんな行動や態度をとっているのか。
例えば会社に出入りしている掃除のおばちゃんに対してどんな態度を取っているのか、あるいは飲み会などで次のお店を決めなくてはいけない時にどんな行動をとっているのか、あるいは仕事で担当を決める際に、その人がどんな役割を引き受けているのか。
日常生活で協力を求めれる場面は多々あるだろう。
そんな時に、その人のセルフインタレストとソーシャルインタレストの大きさの割合が垣間見える。それをよくよく観察しておくことが大事なのだ。
人当たりのよさやきれいな言葉にだまされず、ふだんの行動や態度(特に協力が求められる場面で)その人の本性が現れることを知っておきたい。
それが対人関係で、こちらが必要以上に傷つかないためのコツなのである。
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