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ロシア文学に出てくるロシア料理で、食の妄想をふくらませる

ロシアというとあまりよいイメージのない昨今ではあるが、本屋で思わず手に取り即買いしてしまったのが

『ロシア文学の食卓』(ちくま文庫)である。


本書は、東京外語大学教授の沼野恭子さんによる、ロシア文学に登場する食や料理をテーマにした本である。

有名なロシア文学作品に登場する料理や食事のシーンが紹介され、その料理や食事に込められた意味や背景が解説されている。

例えばこんな具合だ。

(それにしても、ロシアのレストランというのは、たくさん出すものだなあ!)と、隣の席の男がブリヌィに熱いバターをかけているのを見てフランス人は思った。(五枚もあるじゃないか!一人であんなに何枚も食べられるものだろうか?)
 いっぽう隣の男はブリヌィにイクラをなすりつけ、すべてを半分に切ると、五分も経たないうちにぺろりと平らげてしまった……。
「おい頼む!」男はボーイに呼びかけた。「もう一皿持ってきてくれ!これで一人前だなんて、あんまりじゃないか。十枚か十五枚くらいいっぺんに出せよ!あとバルィクと……サーモンでももらおうかな」

チェーホフ「おろかなフランス人」

それに対する著者の解説はこんなふうに続く。

 ゴーゴリの『死せる魂』のチチコフもブリヌィにバターをつけていたが、このロシア人は、ブリヌィにバターを塗ったうえにイクラを載せている。「バルィク」というのは、チョウザメの背肉を燻製にした珍味のことだ。
 フランス人道化師がびっくり仰天しているのも知らず、ロシア人はウォッカを一杯ぐいと飲み干すと、サーモンをつまんで二皿目のブリヌィに取りかかった。食べながらイクラの追加を注文し、タマネギとワインも取って、さらに……。

このロシア人の貪欲な食欲の描写を読んでいると、ブリヌィという食べ物ががむしょうに食べたくなるのは私だけだろうか?

「……あとは何にしようかな?ブリヌィをもう一皿もらおう……。ただし大急ぎでな」
「かしこまりました……。ブリヌィの次は何になさいますか?」
「何か軽いものがいいな……。チョウザメのロシア風セリャンカと、それから……それから…。今考えるから、あっちに行っててくれ!」

チェーホフ「おろかなフランス人」

本書の最大の魅力は、沼野さんの解説にある。例えば、このロシア人がバカ喰いしている「ブリヌィ」についての解説はこんな感じだ。

「ブリヌィ」をどういう日本語にするかというのはなかなかの難問である。これまで「薄餅」「薄焼き」「軽焼き」「パンケーキ」「ホットケーキ」などさまざまに訳されてきたが、どれもしっくりこない。「クレープ」が実物に最も近いのだが、これだとフランスのお洒落なニュアンスがつきまとってしまう。
ロシアのブリヌィは、酵母を加えた穀物粉の生地を発酵させてふんわり焼きあげるもので、ロシアがキリスト教を取り入れる前から食されていたと考えられており、いまだに愛されている国民的な食べ物である。

ちなみに、これがブリヌィだ。

もちろん、本書には豊富な口絵が用意されており、それを見ながら活字を追っていくことでさらに妄想をふくらませることができる。

そう、本書はロシア文学ロシア料理著者解説口絵で、一冊で四度美味しい本なのである。



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