見出し画像

ジャズを聴きながら、ある自由人のことを思い出す

今朝、通勤中に(なぜかむしょうに)ジャズが聴きたくなって、“NOW JAZZ BEST millennium”というアルバムを聴いてました。

私がジャズを聴くようになったのは、まぎれもなく植草甚一さんの影響です。この植草さん、一言で言ってしまうとむちゃくちゃ変なおじさんで、映画とジャズと古本(特に洋書)をこよなく愛し、コーヒーが大好きで、タバコを15分に一回吸うという超ヘビースモーカー。背は小さいのだけどお洒落で、1977年にはベストドレッサー賞を受けているほどの人です。

画像1

肩書としては、「映画・ジャズの評論家」ということになるのでしょうけれども、とにかく自分の好きなこと・興味のあることしかやらない超自由人だったんです。「散歩が趣味だ」と本人は言っているのですが、植草さんの散歩はいわゆる普通の散歩ではなくて、「買い物散歩」なんです。例えば神保町の古本屋を何軒もはしごして、古本を何十冊も買ってしまい重くて歩けないから帰りはタクシーで帰ってくるとか。本だけではなくレコードや雑貨や洋服なんかも、街でいいものを見かけるたびにバカバカ買ってしまうとか。

植草さんは、とにかく何か買って帰らないと落ち着かないという、いわば「買い物依存症」の人でした。そんな植草さんは本をたくさん書いているのですが、本のタイトルもものすごく変わっています。

雨降りだから、ミステリーでも勉強しようって(笑)

雨が降ってなくなってミステリーを読んでもいいわけだし、「ミステリーを勉強する」という植草さんの意味づけ(というか目的意識)にも恐れ入りますよね。さらに文章もとても変わっています。

これからしばらく、少し頑張って、イギリスやアメリカやフランスあたりの新しい推理小説を、それもなるべく新人に中心を置きながら、ある一つの目的をもって読んでいこうと考えている。その目的というのは、机の周りに雑然と積み重なっている推理小説のなかから、二日か三日に1冊は読んでいって、そのなかからもし誰かが訳したら読者が喜びそうな作品を、まず三十冊さがしてだしてみようということなのである。

そう、はっきり言ってどうでもいいことなのです。別に書く必要もないことをダラダラと書くところから、植草さんの文章は始まることが多い。でもね、これがなかなか癖になるのですよ。植草さんの書いたものを読むとホッとするというか、肩の力が抜けるというか。そんなにあくせく生きる必要はないと、思わせてくれるというか。

そんなこんなで植草さんにアディクトされた私は、もう20年くらい前に植草さんの何十冊もある著書を全てコレクトしてしまったのです。当時はAmazonなんかもまだ日本では流行ってなかったから、植草さんの本を置いている書店をマメに探し回りながら。

ジャズを聴きながら、植草甚一さんを思い出したというお話でした。


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?