40歳からの勇気〜なりたい自分になるためのアドラー心理学〜 【第7章:あなたは「なりたい自分」になれる】
劣等感をどのように使うか
あなたは、自分に秘められた潜在能力を存分に発揮したいと思うだろうか。
もしそう思うのであれば、あなたは自分の劣等感に注目すべきである。
これまでも述べてきたように、劣等感はあなたの関心のあるところにわき出てくる感情である。
つまりあなたが関心を向けているところ、その領域や分野であなたが『こうありたい!いや、こうあるべきだ!』という自らの理想とのギャップに生じるのが劣等感なのである。
劣等感は必ずあなたを何らかの行動へと駆り立てる。劣等感を補償しようとするのが、人間の本能だからだ。
『重要なのは、何を遺伝したかということではなく、幼い頃に遺伝として与えられたものをどう使うかということである*1』
このアドラーの言葉は、アドラー心理学がいわゆる「所有の心理学(何を持っているか)」ではなくて、「使用の心理学(もっているものをどのように使うか)」という考え方を重視していることを意味している。
つまり、遺伝や環境には影響を受けながらも、それらを使って「最終的に決めるのは自分自身」なのであり、アドラー心理学ではこの考え方を「自己決定性」(creativity)と呼んでいる。
そこで私は思うのである。実は劣等感も、その使い方を自己決定できるのではなかろうかと。
劣等感が、人間が宿命的に抱えるべきものであり、そこから逃れることができないのだとしたら、それを全て取り除こうとするのは健全ではない。アドラーも言うように、「適度な劣等感」は、健康で正常な努力と、成長への刺激になるからだ。
しかし、よくないのは「過剰な劣等感」だ。
第1章でも述べたように、「過剰な劣等感」は無能感を生み、人を落ち込ませ、成長できないような病的な状態を作り出すからである。
これを「劣等コンプレックス」と呼んだ。
人は、この「劣等コンプレックス」という神経症的な状態になると、人生の課題(仕事・交友・愛の課題)を正しい方法で解決しようとはせず、いわゆる脇舞台で忙しく立ち回るようになる。*人生の脇舞台
つまり劣等感は、全く無くしてもいけないし、過剰になり過ぎるのもよくない。劣等感は「適度」がいいのだ。昔からよく言われる「劣等感をばねにする」というのは、この適度な状態なのである。
過剰な劣等感を抱える人たちに対して、アドラーは次のように言っている。
『重要なのは、劣等感を減らすことである*2』
『劣等感を減らすことで、目標を変えてやるのだ*3』
劣等感の程度によって、その人が選ぶ道は2つに別れる。
一つは「社会的に有用な道」であり、もう一つは「社会的に有用でない道」である。
そして言うまでもなく、社会的に有用な道の先には「中央舞台」があり、社会的に有用でない道の先には「脇舞台」がある。
つまりアドラーの言う「劣等感を減らすことで目標を変える」とは、劣等感を適量にすることで、社会的に有用でない道筋を社会的に有用な道筋へと変えることを意味しているのだ。
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