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コロナ後という戦後は、ブラックでもグレーでもない、ホワイトな社会へ

日本の街がどんどん綺麗になっていく。
都心部の駅周辺を見ているとそれが顕著だ。私が住んでいる川崎も、20年前にここに越してきた頃とはずいぶん様子が違う。

例えば京急川崎駅の周辺には店構えがちょっと怪しくて汚らしいが、食べるとむちゃくちゃ旨い中華屋さんやホルモン焼きのお店が何軒もあったが、それらはもうずいぶん前になくなってしまった。

かつては風俗のメッカと呼ばれていた堀之内という場所にも、コロナ前(正確には東京オリンピック前)には、いわゆる「ちょんの間」と呼ばれる場所もまだ数軒残っていたが(ちょんの間についてはググってくださいね)、それも今やその跡だけを残したまま営業している様子はない。

ガラのよくないイメージのある京急川崎駅周辺は、その残り香をかすかに漂わせながらも、今やすっかりきれいな街へと変容しつつあるのだ。


岡田斗司夫さんがYouTubeで、これからの日本は「ホワイト社会」になっていくと言っていたが、私もこれには大いに共感する。

岡田さんは言う。
「汚くても美味しい屋台のお店とかは、もう流行らない」と。
あるいは「汚い言葉」や「下品なギャグやブラックジョーク」も、今すぐに使うのを止めたほうがいいと。


ジャニーズの問題に始まり、国会議員によるパーティーの裏金問題、そして吉本の某大物芸人による(過去の)性的強要の報道。

これらはみな、かつての日本というグレーな社会で、多くの人が知ってはいたし気づいてもいたが、見て見ぬふりをするか、あるいは「そういうもんだろう」と半ばあきらめの認識で接してきた事柄であろうと私は思う。

法的に問題のあることをブラック、法によって裁かれることはないが倫理的に問題のあることをグレーと呼ぶならば

岡田さんの言うように、今の日本はグレーさえも許容する社会ではなくなった、つまりホワイト社会になりつつあると言えるのかもしれない。



誤解を恐れずにいうならば、これはとても残念なことだと個人的には思っている。

大好きな池波正太郎の言葉を思い出すのた。

人間とか人生とかの味わいというものは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白とクロノ間の取りなしに。その最も肝心な部分をそっくり捨てちゃって、白か黒かだけですべてを決めてしまう時代だからね、いまは。

男の作法


良いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらも知らず知らずのうちに良いことをしている。それが人間というものだと、池波正太郎は言った。

ここに人間の奥深さがあり、だからこそ人間は愛すべき存在なのだと。



ホワイト社会は世の中の汚いものやわるいもの(事)のありとあらゆるものを、綺麗に洗い流してくれるだろう。権力の濫用や「忖度」などという言葉もいつかは消滅し、街は美しくなり、きたない言葉を使ったり悪口を言ったり、下ネタやブラックジョークを口にする人間を排除していくことだろう。

そしてこれはとても寂しい社会だと私は思っている。それは理屈では決められない中間色の味わいを捨てて、清廉潔白のみ(それはきわめて表面的なものなのだ)を求める、まるでのっぺらぼうのような味気ない社会になってしまう気がするからだ。


これも人類の進化の一過程であると言われればそれまでなのであるが、コロナ後の戦後を生きるわれわれは、何か大きなものを失いつつあるのかもしれない。そう考えてしまうのは、私だけだろうか。


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