がまんすることで、社会に適応しようとする人たちーその被害者意識が組織の風土改善を拒む
組織に属していると、がまんしなくてはいけない場面というのは実に多く
あるいはがまんしておいたほうがいい(そのほうが自分のためになる)という場面は多々ある。
特定の組織や共同体には独自のシステムやルールがある。それはきちんと明文化されていないものだとしても、その歴史の中で(暗黙のうちに)作られてきたルールや決まり事のようなものだ。
多くの人たちがそれに従おうとするか、従わなくてはならないと思い込んでいる。時代が変わり、そのシステムやルールがうまく機能していないどころか、明らかに組織を非建設的な方向に導いていたとしても、がまんしてそれを守ろうとするのだ。
では、この「がまん」とはいったい何を意味するのだろうか?
それはズバリ、社会適応なのだと私は思っている。
他者の集積である社会(組織や共同体など)に自らを適応させるために、人はがまんするのだ。
彼らが適応しなれけばならないと考えるのは、彼らにとって何よりも大事なのはその組織に所属すること(所属感を得ること)だからだ。
ここに、今の日本の多くの組織に共通してのしかかる問題、つまり「組織風土」を変えようとしても、なかなか変えられないのはなぜか?という問題に対するヒントがある。
日本社会に特に顕著に見られる傾向として、システムやルールを無視する人を排除しようとしたり、あるいはそれを(ある人が)変えようとしたりすると猛烈に反発するというのがある。いわゆる村社会のしがらみだ。
彼らは何も変えてほしくないのである。
なぜなら、これまでがまんすることで(その組織や共同体のシステムやルール)に適応してきたのに、それを変えられてしまったら、また新しい「がまん」を強いられるのではないかと思い込んでいるからだ。
つまり何が言いたいのかというと、彼らは組織発展のため(あるいは組織維持のため)にがまんしているのではなく、あくまでも自分がそこに適応するために、自分の居場所を確保するためにがまんしているのだ。
そう、彼らはもともとが幸福ではないのである。
その組織や共同体のルールを(がまんして)受け入れることで、自らの所属を果たしてきた彼らはただただ被害者なのだ。
組織風土を変えようとしても変えられない大きな理由は、彼らが抱えている被害者意識にあるのだと私は思っている。
つまり、こんなにがんばって仕事をしてきたのに(こんなにがまんして適応してきたのに)、(この被害者である自分を)まだこれ以上いじめようというのか?と。
このような被害者意識を取り除かない限り、組織風土を変えていくのは難しいと私は思う。
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