大人になる、ということ
有り難いことに時々、友人から身体を動かすスポーツのお誘いをもらいます。
そして、時々の時々はその機会に参加させてもらうのですが、最近そういった場に行ってなぜかこう……ヘロヘロになるまで全力を出し切れない自分がいることに気づいたんですよね。
知らず知らずのうちにストッパーをかけて、自分の動きをセーブしてしまっているという。
で、そこで思ったんです。
「大人になる」とは、身体を動かして遊んだときに体力がすぐ尽きることではなく、翌日のことを考えて身体を動かすのをセーブしてしまうことなのではないか、と……。
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何言ってんねんと思われるかもしれませんが、よく考えてみると他の場面で使われる"大人になる(大人になって○○)"という言葉も、こんな感じのニュアンスが多分に含まれていると思うんですよね。
「本当はこっちだと思っているけど、諸々の配慮をした結果そっちを選ぶ」とか、「本当は内なるエネルギーの赴くままに行動したいけど、グッと抑える」とか。
悪いことではないと思いますし、必要なことだとも思うのですが、ピュアな心の反応を抑制するものでもあるので、必ずしも良いとも言えなさそう……的な。
だからこそ、所ジョージさんのような遊び心、子ども心に溢れた大人に憧れる人が多いのかもしれませんね。知らんけど。
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