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本当の理解は、自分の経験の先にしかないはず

先週水曜日の午前10時半頃、予定していた仕事に向かう準備をしている最中に、1通のInstagramのDMが届きました。

「ほりけんさんも濃厚接触者にあたるかもしれません」

前日に食事を共にした友人からでした。

その日の仕事は即キャンセルし、そこから日曜日(PCR検査日)まで健康観察期間に突入。都合5日間の自宅待機だったわけですが……これは自分で経験をしておいてよかった、と今心から思えます。

(結果的に症状が全くなく、検査も陰性だったから言えるのかもしれませんが)

僕が自宅待機を体験してみて個人的に一番「あぁ、そうだよな………」と思ったのは、"自宅待機"は所詮お願いベースでしかなく、それを守るかどうかは個々人の意思に委ねられているということでした。

考えれば当たり前の話なんです。でも、自分ゴトとして「熱も咳も喉なの痛みも何も無いし、行けるんちゃうか……?」という思考が頭を数回頭をよぎるたびに、そのことを痛感するのです。

この期間僕は外食を一切せず、買い物も近所のコンビニ&スーパーのみ。しかも、あれば必ずセルフレジを使用して人との接触を極力避けたのですが、この選択もやはり僕の意思で行なっていたことなので、同じ境遇の人が必ず同じ行動をとっていたわけでは正直ないでしょう。

常々思うことですが、人が意思・思いだけで自らの思考や行動をコントロール"し続ける"ことは、ほぼ不可能です。その人が弱いとかそういう話ではなくて、生物の本質的に。

今回、僕は上記のような自宅待機期間に適した行動を取ることができましたが、あと数日続いていたとしたら、同じように続けられていた自信はありません。

怪しい体調でも仕事や会食に出てしまう人を叩く風潮もありますが、気持ちはちょっとわかる気もします(ダメですけどね)

そのことを自分の身と心をもって体験できたことは、とても貴重な時間でした(そして、自宅待機中にめちゃくちゃ仕事が捗った)



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