「正しい」をひたすら振りかざすことの危うさ
今朝、Twitterのとあるトレンドワードに関する投稿が炎上しているのを目撃しました。
投稿者はわりと「自分は被害者」的なスタンスの物言いだったのですが、そこについている返信は「いや、お前が悪いだろ」というのを、元投稿の"アカンポイント"を引用しながら突きつけるという構図。
正直、僕から見ても擁護することはできない内容ではありましたし、指摘されている内容はほぼ「正しい」のですが、この「正しい」というをひたすらに振りかざす光景には、若干の恐怖……というより虚しさ?悲しさ?危機感?を感じました。
人間、誰しも弱さやダメな面というのはあります。
「正しい/正しくない」という判断基準だけで物事を考えるなら「ダメなものはダメ」となりますし、それが大前提であると僕も思うのですが……
その前提を受け入れた上で、弱さや至らなさみたいな部分にも少しだけ目を向けてあげる、というのも「人と人との関係性」「人対人のコミュニケーション」には必要なのではないかと思います。
「正しい」をもって斬るだけではなく、その次・先に思いを馳せる……という。
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客観的な基準に沿って「良い/悪い」「正しい/正しくない」を即座に判断するのは、AIが一番得意にするところです。
「AIに仕事を奪われる」という未来がどれぐらいの速さで、どれぐらいの範囲でやってくるのか分かりませんが、「人にしかできないこと」を守っていくためには、実はまずこういうところからなのではないか?という気がします。
自分がそのようにしている人は、他人からも真っ先にそのようにされてしまう……というのは、この世の中の原理原則なので。
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