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無自覚な「最適化」

今日は朝から帯広出張です。地下鉄で新さっぽろまで出て、JRの始発特急に乗り換えるというルート。

住んでいる場所的に札幌駅まで出るよりこちらの方が楽、ということに気づいてからは、いつもこの経路で帯広に向かっています。

札幌市営地下鉄東西線は僕が高校通学に使っていた路線であり、新さっぽろ駅は他でもない、学校の最寄駅でした。

卒業してから10年どころか、まもなく15年が経とうとする頃ですが(恐ろしい……)、「新さっぽろ駅で降りるならこの車両のこのドア、だからこのあたりに座る」という当時の習慣は未だ強烈に自分の中に刻み込まれており、32歳になった今も何も考えずふらふら先頭車両に向かう自分の姿にはちょっと笑ってしまいます。

位置取り完璧

僕たちは日々を暮らす中で、こんな風な「最適化」みたいなものを、結構無意識でやっている気がします。

「人は考える/判断することが苦手(キライ?)で、なるべくその回数を減らそうとする」という有名な説も、多分この一環ですよね。

そしてそれは歳を重ねるほどに増えていって、だんだん新しいことや経験のないことをやるのが億劫になってくる。

「最適化」自体は人間の本能に従ったものであり、これ自体が悪いことではないはずです。

ただ、知らず知らずのうちに自分の行動範囲や選択肢を狭めている可能性もあるので、常に自覚的であるべきだなと思います。


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