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「年齢」は利他のために使う。利己のためには使わない

今朝、尊敬している同世代の一人・唐神 耶真人さんがこんなツイートをしていました。

この「年齢」の考え方について、僕の中にも明確な基準があってめちゃくちゃこだわっているので、今日はそのことについて書いてみたいと思います。

僕の勝手なイメージですが、世の中で「一流」と呼ばれる人ほどこのことを意識していると思うので、今まで考えたことがなかった…という方の参考になれば幸いです。

年齢の大小は何も本質的ではない

日本にはかつてから「年功序列」という文化が根強く存在して、今は昔ほどではないものの、相変わらず"上下関係"が重視される傾向にあります。ただ、これも一つの組織やコミュニティに定年まで、あるいはその先までずっと所属していることが前提のような気がしていて、「どこの人か」よりも「何が出来る人か」「何を成し遂げたい人か」の方が遥かに重要になった今では、従来のような力も働かないような気がします。

組織人であることに重きが置かれた時代には、そこに属した年数(=基本的には年齢と連動する)に価値があったかもしれませんが、そもそものことを言えばそこに仕事の本質的価値は何もありません。ペーペーでも出来る人は出来るし、年齢が高くても(以下略)

もちろん、年上の人(もっと言えば祖先)を敬うのは当然です。先人が築き上げてきてくれたものがあるからこそ、今私たちがここに在ることができるので。しかし、それはあくまで年下から差し出す敬意であって、年上から引き出すものではないんですよね。

これは完全に僕の個人的な見解ですが、「年上であること」を必要以上に振りかざしてくる人は、それ以外の部分で年下の人から敬われるポイントが少ない…という印象があります。何の本質的な価値もないカードを自分のために使うのは、虚しいだけかなと……。

対等な人間関係でこそ、生まれるものがある

じゃあお前はどうやねんとなると思うので、少し自分の話。

僕が尊敬している経営者・北の達人コーポレーションの木下社長がとあるインタビューで

「20歳を過ぎたら、ひとりの大人として扱う。だから、誰に対してでも敬語で、経緯を持って接する」

とお話されていて、それまでブレていた僕の軸もここで決まりました。

「年上と年下」という関係性で相対すると、どうしても本質とは別の部分の力が働いてしまいます。主に年下側に遠慮だったり、引け目だったり。

僕個人的に、そんな状況で行われるコミュニケーションでは本質的な価値の交換は行われないのでは?と思っています。なので、今はどんな年下の人にも敬語で接するようにしています。

これからは「ハタチを過ぎたら」どころか、10代のうちからビジネスの場に出てくる若者もたくさん出現すると思います。彼らは人生経験こそ少ないものの、幼い頃から最先端の技術に触れているので、専門分野のプロフェッショナルとしては抜きん出ている部分も多分にあります。

そこで「年上」というカードを切り、自分のことを守ろうとするような大人にはなりたくない…というのが、今僕の思っていることです。だからこそ、学び続けて、成長し続けなければいけないのですが。

「与える」ためには使う

ただし、こんなときには「積極的に年齢差を使いたいな~」という場面が僕の中にあって、それが「相手になにかしてあげるとき」です。

人に何かをしてあげたり、モノ(あるいはそれに類するもの)を差し出すと、受け取る側の人の中には「借りを作ってしまった」と思って嫌がる人もいますが、それも「年上から、年下に」という口実を使えば、かなり和らげることが出来るのではと思っています。

今回のお話は、あくまで僕個人の見解です。誰から言われているものでもないですし、誰に強要するものでもありません。

ただ、少し意識してみると周りの人との人間関係がフラットで、スムーズなものになるのでは?とも思っているので、何かの参考になったら嬉しいです。

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