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我が母はほぼ確定でADHDだろう

お疲れ様です。
ポンコツ限界人間です。


最近釣りライティングも始めました。
興味がありましたら是非。


さて、タイトルにも
ある通り我が母は人生でとんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんでもなく苦労してきた人だ。

ただ、これは
人によっては自業自得と捉えられても
おかしくないかもしれない。


まあ、このままだと脱線してしまうので
またの機会に話すが


我が母は恐らくADHDなのだろう

正直、病院にいって診断されているわけではないし、
実際に診断を受けた私はかなり緻密に検査をすることを知っている。

正直、病院によっても基準は曖昧かと思う。

ただ、これまでの母の歩んできた人生
性格、能力を考慮したときに

大多数の方は我が母はADHDだと思うのではないだろうか?

そこはこれから書いていくので
みてくださった皆さんの目で
判断していただきたい。



まず我が母のスペックだが

・偏差値36の高校で下から2番目の学力
・資格はなし(運転免許もなし)
・これまでの職歴が縫製業とスーパーのアルバイト
・現在無職(今後働くのは無理だと思う)

そういった感じだ
これだけを見ればただの無能な人間でしか
ないのだがこれから話すことは

ADHDの傾向がある私と果てしなく似ている特徴と
なんなら私よりも特徴が強い部分のあるので
それを紹介していく。

1.話好きなのに要点をまとめられず内容が頻繁にとんだり変わったりする

正直、これは聞いている身からしたら
うつ病になる程のストレスを感じるだろう。

例でいえば好きな食べ物の話をしていたのに
突発的にウォーキングの話をしだすみたいな感じだ。

これだけ聞けば意味わからないが。
今まで話していたことと全く関連性のない話を
突発的に話し出すのだ。

よく、ADHDの方は
頭の中で連想ゲームをしている
感じに近いと言われるが本当に突発的なのだ。

好奇心が旺盛なので
思いついたものや目についたものに
反応しやすい。

そこから話題を生み出すので
話がまとまらず。

かと、思えば急に話題が変わったりと

聞いている身からしたらストレスにしかならない。

ただこれはADHDの特徴だと
思えば、そこに対しての理解ができるだろう。

ただ、母はそういったのを親の敵の如く嫌う。

そりゃそうだ五体満足なのに
いきなりあなたは障がい者なんていわれたら
嫌に決まっている。

私は医者ではないので
決めつけることはできないが。

皆さんはこれを見てどう思うだろうか。

2.だらしないがそれに対しての自覚がない


正直我が家は常人では余裕で
病気になるほど劣悪な環境に住んでいる。

私も子供の頃は
毎年のように風引いたり肺をやられたり
何かしらの病になっていた。

いまから一部写真をみせるが
閲覧注意ともいえるので覚悟が決まったらみてほしい
覚悟がなければ目次に戻り3.まとめからみてほしい

それでは覚悟はよいか













我が家は当たり前のようにこんな感じ

もはやカビと汚れとゴミと共存しているのかと
いってもおかしくない程だ。

というか、我らがカビでゴミなのかと
思ってしまう。

私自身もADHD傾向があるので
気がついたら車内や部屋がとんでもなくとっ散らかる
ようになる。

それ故に定期的に片付けを行う日をつくるのだが

まあ、社会とは残酷だ
身も心も揉みくちゃにされて
まともに時間がとれないと
あっさり後回しになってしまう。

そうして、気がついたら
何十年分の汚れが溜まってしまうという
負の連鎖が生まれてしまう。

更にADHD最大のダメポイントを話すと
汚くなっているという実感がなく、自分がやらかしている自覚がなく、あたかも被害者ヅラをするのだ。

我が母は特にこの傾向が強い。

これ、赤の他人とかそこまで仲良くない人だったら
生命を、、、そこからは言いませんが。

それくらいには、腹がたってもおかしくないです。


まとめてしまうと
整理整頓が苦手で、汚くなっている実感がない、
気がついたら汚くなっている、掃除をやろうと思ったら違うことをやっている。

これって、、、、、

まあ、診断されてなければ
決めつけるのは良くないですが。


3.まとめ

まず、大前提我が母は
小学校低学年まで特別支援学級にいたのだ。

それを、だだこねて、癇癪起こして
無理やり普通学級に戻してもらったのだが
そこから先の学校生活が
どんなものか想像に難くはないだろう。

果たして、有意義で楽しい青春が送れたと思うか?

思うと思うならこの世の中の残酷さを知らなすぎる。
何様と思うかもしれないがそう言いたくなる。

我が母はいまだ生きづらさに悩まされている。

そう、ただのおかしい無能としか
思われていないのだ。


個人的ではあるが
ADHDと診断されたり、傾向があると言われた方が
遥かに気持ちが楽になると思う。

ただ、ADHDであろうがなかろうが
生きづらさを感じていても

生き抜くということが
どれだけ尊く素晴らしいものか
それだけはお伝えしたい。

それではまたm(_ _)m




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