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授業中寝てしまうのはなぜか?

(※ADHDを知らない方でこの記事に辿り着いて下さった方がいたら、授業中寝てしまうのはADHDの"可能性“があります。あくまで“可能性”なので、ネットや本などから情報を仕入れ、自分がそうかを判断してみてください。私は自覚のない人がADHDだと気づくきっかけを提供したいという思いでこの記事を書いています)


ADHDが授業中寝てしまう原因は、“もっと短くできる話を、長く説明されるから”と言って間違いないでしょう。ADHDはよく人の話が聞けないと言われますが、それはその話が長いからです。ADHDは、話を要点だけ聞きたい。では、一般の人に向けた説明(ごく普通のもの)の長さと、ADHDの人が好む説明(ADHDの頭に入ってきやすいもの)の長さを、比較してみましょう。実際に、数学の問題で、一般的な説明をADHDの人が好む長さの説明にしてみたので、次の動画を見てみてください。

グダグダですみません。あなたがこの動画を見て、後者の方がわかりやすいのであればADHDの可能性があります。後者の動画は、“短く、端的に”まとめられています。分数でいうと、前者は3分55秒、後者は1分21秒です。つまり、この動画だけで判断すると、ADHDはADHDではない人たちが受けている授業の1/3以下の長さで説明されることを好むことがわかります。

"短く、端的に。そして早く”がADHDのポイントです。

他の例で見てみましょう。

例えば、遠足の持ち物で、“おやつ”としおりに書いてあって、それについて生徒が先生に質問し、先生がそれについて“説明する”という状況のとき。

【パターン1】

👩‍🎓「先生!おやつっていくらまでですか?」

👨‍🏫「おやつはですね、おやつを持って行けるなんて皆さんラッキーですね。おやつは、みなさん食べ過ぎると虫歯になっちやいますからあまり食べ過ぎないで欲しいですけど、あしたは特別です。おやつはですね、500円までです。いいですか?500円。100円玉が5枚。わかりますか?一応財布出して確認しときましょうか。そう、その100と書いてあるのが100円玉、それが5枚分買えるということです。500円以内に収めましょう。」

これはADHDの人が普段感じている感覚を、ADHDじゃない人に体験してもらうならこういう感じ、ということです。上の先生の話、めちゃめちゃ長いですよね?食べすぎると虫歯になっちゃうとか、財布の中の100円玉の確認とかいらないですよね。余計な情報が多く、かなりまどろっこしいです。でもADHDの人は、日常的に授業などを、このように感じています。

じゃあこのやりとりを、一般的なもの(普段よく行われているもの)にしたら、こうなると思います。

【パターン2】

👩‍🎓「先生!おやつっていくらまでですか?」

👨‍🏫「おやつを持って行けるなんて皆さんラッキーですね。おやつはですね、500円までです。500円以内に収めましょう。」

上記のものを、一般的な説明だとします。ADHDでない一般的な人からすれば特に違和感を覚えないかもしれませんが、ADHDの人はこれを【パターン1】のように感じているんです。これでも長い、と感じる。では、ADHDにとって快適な長さとはどれくらいか?下を見てください。

【パターン3】

👩‍🎓「先生!おやつっていくらまでですか?」

👨‍🏫「500円!」

これくらい短くして欲しい。余計な情報が全て削ぎ落とされています。ADHDが短く、端的にを好むというのは、こういうことです。

先ほどの【パターン1】の説明は、ADHDでない人からしても長かったと思います。余計な情報が多すぎて、聞けなくなってしまう。
おやつ食べ過ぎちゃうと虫歯になっちゃうので、食べ過ぎだらダメですよ、でも今日は特別です、というところ、いりません。
そして500円を財布から出して確認するくだり。小学校低学年ならまだしも、それを高校生でやられたら「もういいよ」となってしまう。枝だけ伝えてくれればいいところを、枝葉末節の枝の話の間に、葉の話が挟み込まれるために、集中力が切れてしまうのです。そりゃ眠くもなるでしょう。
枝の話だけをコンパクトにすれば面白く興味を持てる内容でも、葉の話が挟み込まれることでつまらなく感じてしまう、ということだってあるでしょう。

じゃあ普通の授業を、ADHDにとってわかりやすいものにするためには、どこを短くすればいいのでしょうか?

わかりにくいですよね。うまく伝えられずすみません。上の動画では、普通の授業のどこを短くすればADHDにとって快適な短さになるか、ADHDが説明を受けるとき、長さ以外でこうしてほしい、というのを挙げてみました。自発的に興味を持てるように、と言いましたが、それを引き出すためにはやはり短く言う=全てを言わない、ということが大事だと思います。

以上、一般的な授業は、ADHDの人にとっては長すぎて適していない、ということを話してきましたが、ここからわかることは『ADHDの人は、自分に合った授業や勉強方法をすれば、勉強が楽しめる可能性がある』ということです。いらない情報が多く途中で言っていることがわからなくなり、眠ってしまう。眠ってしまって話を聞いてないから、永遠に難しそうな話をしているな、で終わってしまう。遠足の例でいうと、500円玉の確認をするから、ただおやつがいくらまでか知りたかったのに、何の話をしていたのかわからなくなって、ごちゃごちゃになってしまう。集中力が切れてしまう。

よくADHDは興味がないことには興味がない、という風に言うけれど、興味が持てないわけではなく、説明の仕方が自分に合っておらず、自分の中に入ってこないから興味が持てないのかもしれません。興味が持てないのは、二次的に起こってしまうことなのではないか、と私は思っています。自分は頭が悪いと思っている人もいるかもしれませんが、聞けば全て理解できる話なのです。でも聞けないから、自分が理解できるということにすら気がつくことができない。

こういうことを考えるようになったのは、私が個別指導塾でアルバイトしてるときに、二人の生徒に出会ったからです。1人は【多動・衝動優勢型】ADHDっぽい子で、もう1人は勉強が苦手だけど、私の授業でわかった!という反応をしてくれた子(ADHDかはわからない)です。その二人は他の先生の授業よりも、ADHDの私の授業をわかりやすいと思ってくれた様子でした。
ADHDである私の授業は、ADHDじゃない人からすればわかりにくかったのかもしれませんが、ADHD傾向のある子にはしっかり届きました。本来、極度のADHDである私は塾の講師をすべきではなかったのかもしれませんが、塾に来る子は学校の多くの人がわかりやすいと思う授業についていけない子が多い=ADHDである私の授業の方が理解しやすい、ということがあり、一概に講師をするべきではなかったわけではないと思います(ちなみに1年で辞めました)。そして塾のアルバイトで、そんなことが判明したのは大きな収穫でした。

この記事ではずっと、ADHDの人はこうだ、という風に言ってきましたが、もちろん全員がそうというわけではありません(しかも私の指すADHDは【多動・衝動性のある】ADHDのことです)。ADHDである私と、ADHDの傾向があるであろう塾の生徒を見ていて感じたことです。
そして一般の人の説明を、こうすればADHDにとって理解しやすくなる、ということがわかっても、今の日本教育では個別に授業を変えるということもできないため、どうしようもありません。

私が言いたかったのは、勉強ができない子に、『能力がないのではない、向いてないだけだ』ということに気づいてほしい、ということです。じゃあそういう子はどう勉強していけばいいのか?については、今度また書きたいと思います。

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