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男性脳ADHD女は恋愛できないのか?

私は身体の性別は女、性自認も女で、恋愛対象は男性です(現時点で)。いや、男性は恋愛対象なのでしょうか?好きになるのは男性です。それは間違いないけれど、でも恋愛対象なのでしょうか?

この記事では、男性脳ADHD女の恋愛について考えていきます。発達障害を持つ女性の一部には、ネットで調べた限りですが、私と同じように恋愛に抵抗感がある方もいるようです。今回はだいぶ私個人の話になってしまうかもしれませんが、少しでも共感できる部分がある方は、自分と照らし合わせながら読んで頂きたいです(そして読んでくださっている、あなたの話も聞きたいです)。

ここからは、男性脳ADHD女の私にとっての男性はどういう存在だったかについて書いてみようと思います(男性というと括り方が大きく見えてしまうかもしれませんが、あくまで今まで出会ってきた男性をイメージして書きます。)

そもそも私には恋愛ができないだろうという問題だけではなく、同性の子との関わりが苦手という問題もありました。幼稚園のとき、女の子と全く交流がなかったわけではありませんが、女の子の輪に入れず結果的に男の子と話しているということがありました。こっちの方が楽しいと、思ったのは紛れもない事実で、そのとき、男の子は私にとって“良き話し相手”。話していて楽しい存在でした。でも”この時間は永遠に続かないんだ”ということを悟ってもいました。年が上がるにつれ今よりもっと男女は分断されていき、男の子と楽しく話せなくなる。その事実に、頭が割れそうなくらい悩んでいました。女で分かれていく感覚が、全くわからないわけでもなかったからです。つまり、男は異性だ、という認識もしていたのです。それは私にとっては不都合なことで、私自身の”終わり”を意味していました。自分が自分らしく話せる人と話せる場所が、この世から消える。女の子と話せないとなると男の子と話すしかないけど、男の子ともまた別の要因で話せなくなる。

そんなことに悩みながら年長になり、仲の良い女の子の友達ができてから(ただその女の子とは男みたいな関わり方をしていた)、そんな悩みは跡形もなく吹き飛び、それから小6に至るまで女の子と一緒に行動できていました。ただ休み時間、全く興味のないスイーツ作りの本を一緒に読むなど、無理はしていました。家との姿とはかなりギャップがあるな、すごく苦しいな、という思いを抱えていました。素でいられない、自分を出せていないな、と。また別のクラス替えではとうとう友達を見つけられず塾の宿題を学校でやりながら、一緒に行動する友達ができないのは周りがつまらない人間だからだ、と思うことでなんとか自分を保っていました。6年になる頃には、男子と楽しく話すこともなくなり、男子は、私にとって異性でしかありませんでした。

中学生になったら絶対に変わる、本当の自分を出して楽しい学校生活を送る、そう決意した私は女子校中心に志望校選びをしました(私は中学受験をしました)。小学校当時、クラスの中に誰かに告白する人は数人いたけれど、そういうのちょっとよくわかんない、という理由で全員成就せず、カップルは存在していませんでした。私は恋愛なんていう大人がするようなことを小学生の分際でやろうとしているクラスメートを馬鹿にしつつ、安心もしていました。でもあと数年もすればクラスメートが恋愛をすることが普通になる、という不都合な事実をどこかで察知してました。タイムリミットは刻々と近づいている、焦った私は角度を全く変え、女子校という選択肢があるじゃないか!と自分をなんとか落ち着かせることに成功しました。夢見た女子校生活は、目も当てられないほどひどいものでした。入学式の日の時点で、自分がいるべきところではない空気感で、コミュニケーションが全く成り立ちませんでした。学校で友達ができない私の孤独を癒やしてくれたのは、テレビの向こうの芸能人でした(男性脳ADHD の方は、芸能人の誰が好きですか?)。中高時代を女子校で過ごした私は、男の空気感をゴールデンボンバーや、さまぁ~ずやオードリーなどのお笑いから摂取していました。しかし“男”であるかは問題ではなく、面白いから見ていたという感じです。楽しいことを提供してくれる人という認識でした。(あ、でもゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんにはガチ恋してましたね。異性に求めるドキドキと同性に求める面白さ、両方を彼から得ていました。)恋愛が存在する理解できない世の中だけど、ゴールデンボンバーのパフォーマンスや、お笑い番組を見ているときは、この世界をいとも簡単に理解することができ、世界に居場所のある自分を肯定できました。

大学生になりました。私は、大学生という生き物が怖かった。私よりもずっと大人で、あんまり笑わないイメージもあったし、すごく笑っているイメージもありました。どちらにしても怖く、それは当然のように“恋愛”が存在することも理由の一つでした。○ックスの存在も怖いし、みんなそういうことをしているんだろうかと思いながら、それでもキャンパス内を颯爽と歩く同年代を見て恐れ慄いていました。特に、男性より女性の方が怖かったです。小学校低学年であれば仲良くなれたかもしれない女性を見て、もう確実に埋まらない差があるんだということを思い知り、野暮ったい私を馬鹿にして死ね!と思っているんだと思っていました(わからないけど、それくらい怖かった)。

大学生になって男性と話す機会もありましたが、その際、私は二つの目線を持っていました。

①男性は異性だ、普通になんかドキドキする。 ②いや、めちゃめちゃ楽しい話し相手だ。女子校のときのクラスメートよりも全然話しやすい。

この二つが真っ向から思いっきりぶつかりましたが、結局どちらも譲れませんでした。でも、②の話し相手の方が、やっぱり少し大きかったです。単純に他愛もない事を話せる相手は、人間には必要みたいです。高校までのクラスメートと違って話しやすい男たちの存在を知って、私が今まで憧れてきた、さまぁ〜ずさんやオードリーさんみたいな関係になりたい、と思いましたが、そんなことを女に求めている男はいないんじゃないかとも思いました(完全に思い込みですが)。私は感覚が男なので、男が性的に女を求めている空気感を直で感じてしまうんですよね。リアルにわかってしまうというか。

さらっと言いましたが、私が恋愛できないと思う理由は、男に恋愛的な関係を求めるよりも、友人的な関係を求めていたからです。でも恋愛的な関係を全く求めていないかといえば、そうではない。ここがこの話の怖いところです。“恋愛的な関係を全く求めていないわけではない“。そして100%自分の中に女がいないかというとそうではなく、10%くらいは女もいる。それを認めることも難しかったです。(男っぽいから男性とばかり話すという女性もいる、みたいなことを聞くこともありますが、あれは相手を異性として意識していないと成り立ちませんよね。)

まあ、恋愛的な関係になるような人が、そもそも私に現れるのか?ということはあります(笑)。でも、もし私のように【多動・衝動性優勢】の女性がいて、その人がめちゃめちゃモテたら、絶対しんどいんだろうなということは想像がつきます。普通に話したいのに、そうじゃない関係を求められるっていうのは精神崩壊ものですよ。だから、そういう人がいるなら私と友達になればいい、って話なんですけどね。結局ここに落ち着く。ちなみに私は、彼氏ができたことはありません(この彼氏という言葉を自分が発すること自体に嫌悪があります)。

あとは男性の嫌な部分が見えてしまう、というのもあると思います。この人自分がモテることをめちゃめちゃ鼻にかけてる、この人女子の前だからってかっこつけてる、女子と話してテンション上がってるとか、感覚が男性的だからそれがどのような心理なのか手に取るようにわかってしまう。“同族嫌悪”を感じやすいのも、女性ではなく男性です。

結論としていえることは、“個人を見ろよ”ということになるでしょう。結局それに落ち着きます。人間関係の基本にたちかえって、人を判断するとき、個人を見ろよ、と。こういう人が多いからどうせあの人もそうだとか思わず、ひとりひとりを見て、ひとりひとりとその瞬間瞬間で人間関係を築いていく。言い換えると、自分に恋愛はできない、と思い込まず、確かに自分は男的な部分が強く恋愛している姿を想像すると気持ち悪いけど、この人となら恋愛ができそうだ、とかってあると思います。

私はもし誰かと付き合うことになったら、自分よりも衝動性のない、つまり男感の少ない人を選ぶかもしれないと思います。自分が男で同じクラスになっていたら、話さないこともないけど一緒に行動するほどではないみたいたな人。自分と似ている衝動性のある男性を、自分の中で同性のように接する人にして、衝動性のない人を異性とする。私が男性みたいな感じで、会話をリードするくらい。ちょっと話が合わないくらいが、性別の違いを感じてうまくいく気がするんですよね。わかんないですけど。

反対に恋愛したくないのは、性に貪欲な人、これは男性脳ADHDの敵です。自分の男を強調してきて、自分に女でいることを求めてくる人。男性脳ADHD からすれば、男のかっこつけほど見てられないものはないです。何してんねんコイツと思うだけです。その人が友人としてはめちゃめちゃ話し合うパターンもありますが、それは諦めて距離を置くのがいいんじゃないでしょうか。話し合う人と性のせいで、関係が断たれるというのはADHD 女からすれば絶望(それがずっと恐れてきたことでもありますから)ですが、“次の人“を探しましょう。この場合、次の友人ということですね。まあ、そのときになってみないと、わからないですけどね。

男性脳ADHD 女は、恋愛できないわけではないけれど、恋愛と友情は両立しない、つまり友人関係が強い人とは恋愛ができないけれど、弱い人とは恋愛ができるんだと個人的には思います。

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