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「させられてる」生き方から「している」生き方へのシフト

・自分は神さまから何ひとつ与えられなかった。
・親からひどいあつかいを受けたせいでこんな性格になってしまった。
・夫が発達障害者だから私は病気になってしまった。
・親の介護をおしつけられたせいで私は不幸になった。

これらの言葉に共通しているものは何かわかりますか?

そう、こういうことをいう人たちは、総じて「させられてる」生き方をしているといえます。
自らの選択によって生きている主体的な生き方とは真逆の、受動的な生き方ともいえます。

そして、それは、自分の道を自分できりひらいていくことを放棄した、ある意味ではとても不幸な生き方ともいえます。
なぜなら、人生で起こる数多の困難も「させられてる」生き方をしているとのりこえることができないからです。
「こんなことが起こるのも⚪︎⚪︎のせいだ」と、自分のことを棚に上げて考えている限りは、一生克服できません。

冒頭の言葉を吐いている人をよくみていてください。
みんな、人生の傍観者になって、評論家のように、人ごとのように、恨みごとを口から吐きだしつづけるだけで、一歩もそこから動こうとしていないと思います。

今回は、そんな「させられてる」生き方を捨てて、人生で起こることすべてに自分で責任をもつ、超ポジティブで超ハッピーな「している」生き方にシフトする方法を書きたいと思います。

1.なぜ「させられてる」生き方をしてしまうのか

(1) 人間は根本的に楽な方に流される

人のせいにしたり、選択を人任せにしたりする方が、基本的には楽なんです。
自分で選択するには頭を悩ませないといけませんし、ひとたび自分が選択すると責任が発生します。
時間も労力もかけたくないし、結果の面倒ごとなんて引き受けたくない。
「させられてる」生き方をしている人は、例外もあれど、多くの場合深層心理でこんな風に考えているのではないでしょうか。

(2) 原因論で考えているから

世の中の多くの人が、原因論でものごとを考えていると思います。
それは、過去の結果(=誰もが経験する)から現在を考える方が、多くの人にとってわかりやすいから、というのもあるからなのでしょう。
僕たちが受けてきた教育も原因論をベースにしたものが多かったせいもあるかもしれません。
定かではありませんが、そういう背景があるからこそ、現在のよからぬ状況(例:引きこもり・無職・低収入・病気…など)を考えるときに、過去に他人からされたことや育ってきた環境にフォーカスしてしまうんだと思います。

原因論で考えることは悪いことばかりではありません。
それによって対処法がみつかる場合もあるからです。
しかし、こと自分の人生に起こった災厄などについては原因論で考えているだけでは、前向きで意欲的な行動は生まれにくいのです。
せいぜい予防的な対策しか立てられないでしょう。
まあ、それも大切なことではあるんでしょうけど。

(3) 自分は無力だという思い込み

「させられてる」生き方をしている人の多くが、『自分は無力だ』という思い込みに縛られている気はします。

もちろん、世の中には自分の思い通りにいかないことは多々あります。
しかし、考えようによっては、その何倍も自分の思い通りになることもあります。
誤解を恐れずにいえば、自分の思い通りにいくことは無限にあるともいえます。
だって、極論をいえば、今の人生が気に食わなければ、自分で自分の息の根を止めることだってできるんですもの。
生きる・死ぬが、ある程度は意思でコントロールできるのに、「世の中思い通りにならないことばかり…」と嘆くのは、やや滑稽なようにも感じます。

もちろん、死ぬことをお勧めしているわけではありませんが。
自分が無力であるという思い込みは、いい方を変えると、自己効力感が低い状態、ともいえますね。

2.「させられてる」生き方をしているとこうなってしまう

(1) 成長できない

人間の成長というのは、つらいできごとがあったり、困難な状況に陥ったりしたときに、目をそらすことなく自分自身を直視して、考え方を変えたり、自分の能力を高めようとしたりすることで可能になります。
他の人や環境のせいにして、周りに動いてもらえば、一時的には楽になるかも知れませんが、それでは自分は変わらないわけですから、当然成長はできません。

「毒親育ち」「カサンドラ症候群」を自称する人たちには、『自分はこんなに酷い目にあってきたんだから優しくされて当然だ』と、他人に行動変容を迫っている人が多い気がします。

特に、カサンドラの人たちはアスペルガー症候群の人たちを攻撃し、行動を修正させ、世の中から締め出そうとする傾向が強いように思います。
僕からしたら「病気になるくらいならさっさと別れたらいいのに」としか思えません。
そんなことをいったところで『子供がいるのに簡単に離婚できない』などと、“人のせい“にしだすのは目にみえていますが。

(2) 楽しめない

楽しさの本質はなにか、ということには議論の余地はありますが、僕は医療従事者なので、医学的見地から考えてみたいと思います。

人間の「快」の感情にはドーパミンという物質が関与するのはよく知られていますが、このドーパミンは自分が「主体的」に行動を起こさないと分泌されません。
「人任せ」な生き方では当然ドーパミンは出にくくなるので、『楽しい』『おもしろい』と感じにくくなるでしょう。

「この学校に行きなさい」と親からいわれて入った学校と「自分はこの学校に行きたい」と自分で選んで入った学校と、どちらが学生生活をエンジョイできそうですか?

いうまでもないですよね。

(3) 人間関係がしんどくなる

どんな人間関係にも、それなりの「しんどさ」や「めんどくささ」はあると思います。

では、いざ対立が起こったとき、あなたならどうしますか?

「させられてる」生き方をする人は、相手のせいにします
『彼が自己中心的すぎるから』『あの人は思いやりがないから』と。
でも、変化を求めても、人はそうかんたんに変わってはくれません。
それよりも「じゃあ自分がかかわり方を変えてみよう」とか「あの人とはもう少し距離をおこう」と自分からアクションを起こした方がよっぽど楽です。

3.「している」生き方にシフトするとこうなる

(1) 自分の成長や変化が実感できるようになる

「している」生き方をしている人は、人生で起こることに自分で責任を持ちます。
人のせいにしないんです。
そうすると必然的に、自分の中の「足りないところ」「改善すべきところ」に目が向きます。
それが成長のきっかけになるわけです。

そして、人間の脳は「探究脳」という“主体的に何かを求める状態“になったときに、先ほども触れたドーパミンの分泌が増え、集中力や記憶力が高まるのです。
それが成長のブースターになるわけです。

(2) やりたいことができるようになる

「している」生き方になると、何よりも主体性が育まれます。
人生において大切な、自己効力感は成功体験を重ねることで高まります。
成功体験の獲得には主体性が必要なので、「させられている」生き方では成功体験は積めないし、自己効力感も高まりません。

「どうせ自分なんて」「なにをやってもうまくいくはずがない」と、やりたいことから目を背ける生き方をやめるには、「している」生き方にシフトするしかありません。

4.「させられてる」生き方の手放し方

(1) NGワードを使わない

・「毒親育ち」「モラハラ被害者」「サレ妻/夫」「カサンドラ」など、他者からの加害を前提とした自分の呼称
・「⚪︎⚪︎のせいで」という他責思考を強める言葉づかい
・「トラウマ」「PTSD」などの過去のできごとを原因として現状を規定するようなものの言い方

上記の言葉を回復の一過程で使用するのは問題ないと思います。
自分の心が傷ついていることに気づくためには、これらの言葉が有用となることもあるかと思います。
ですが、いつまでも上記のような言葉を使いつづけていると、今度はそれが癖になって一生沼から出られなくなります。

どこかのタイミングで『自分の人生を自分で生きる』という覚悟をもってください。

(2) 傷をなめあうことをやめる

SNSには今日も自らの不幸な状況をさらけ出す人があとをたちません。
そういった投稿に対しては、他人の不幸の断片を自らの状況にあてはめて、無責任な賛同や賞賛を示す人たちが無数にあらわれてきます。

これは間違いなく断言できますが、SNS上で見かける同情や慰めの半分もしくはそれ以上は相手ではなく自分に向けられているのです。
不幸を媒介とした連帯感は、一見強そうにみえるのですが、それは本当の連帯ではありません。
なぜなら、そういったリアクションをする人たちは結局は自分しかみていないからです。
投稿した本人も、それに気づかず『酷い目にあって傷ついた自分』という殻からずっと出られなくなります。

努力もせずに人からかまってもらえると、一時的には気分がいいですもんね。

(3) 原因論ではなく目的論で考える

原因論と目的論の違いついては、それについて詳しい他の情報サイトに委ねますが、簡単にいうと「原因論:⚪︎⚪︎だからこうなった」「目的論:⚪︎⚪︎のためにこうしている」という点で異なります。
つまり、同じ事象をとらえるのに、前者は過去を後者は未来をみているわけです。

例えば「自分は対人恐怖症でともだちをつくることができない」という現状に対して、原因論で考えると、過去に受けたイジメや虐待にその発端を求めるわけです。
しかし、これでは解決までの具体的な道筋がみえませんよね。
だって過去は変えられないのですし。

一方、目的論で考えると「人と接することを恐れているのは拒絶されて傷つくことを避けようとしているからだ」となるわけです。
そうすると、解決策として『無理してともだちをつくらなくてもいいか』と開き直るか『どうしてもともだちは欲しい。だから多少傷ついても勇気を出して話しかけよう』と挑戦するかの選択肢が浮かんでくるわけです。

原因論もものごとの因果関係を知るためには大切です。
でも、原因論にこだわりすぎると過去にしばられて動けなくなります。
特に、ライフスタイルや自分の性格といった人生の根幹に関わる部分については、目的論で考えて、未来に向けて行動を起こしていくことをおすすめします。

(4) 小さな成功を積み重ねて自己効力感を高める

先ほども触れた通り、主体的な生き方を身につけていくには、成功体験を重ねて自己効力感を高めていくことが必要です。

ですが、みんな「成功」という言葉にひっぱられすぎて『なにかすごいことをなしとげないと“成功“とはいない』と思いがちです。
そんなことはありません。

「二日連続でお風呂に入れた」
「はじめて自分からあいさつができた」
「卵のカラが上手に割れた」

そんなことでいいのです。
一発逆転ホームランなんてそうそう打てません。
まずは、試合に出れたこと、打席に立てたこと、臆せずピッチャーと向き合えた自分をほめてあげましょう。

そして、もうみなさん試合には出ているんです。
ある意味、すでに成功しているんです。

5.さいごに

偉そうなことをたくさん書きましたが、僕自身も弱い人間なので、ときどき「人のせい」にしてしまうことはあります。
人のせいにすると楽です。

「親ガチャに外れてこんな人生になってしまった」
「生まれたくないのに勝手にこの世に生み落とされた」

Twitterには今日もそんな言葉があふれています。
反出生主義という言葉も、もしかしたら「させられてる」生き方の究極の形なのかもしれません。

僕自身そんな「させられてる」生き方を続けてきてずいぶんと苦しみました。
でも「させられてる」生き方から「している」生き方にシフトすることで、人生が激変しました。

僕は、今、日々生きていることの喜びを感じています。
大切なものもたくさん手に入れました。
これから、もしかすると耐えがたい不幸におそわれるかもしれませんが、自分の人生に起こるすべてのできごとを自分で引き受ける覚悟ができています。

一人でも多くの方が、生きる喜びに気づかれて、豊かな人生を送れるようになることを心から願っています。

イルハン

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