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自他境界があいまいなボク

発達障害者には、“自分と他人の境界“があいまいな人が多いといわれています。
実は、僕自身もそうで、最近になってようやく、不可解だった現象が、自他境界のあいまいさに由来するものだと思うようになったんです。

今回は、そんな「自他境界のあいまいさ」について多くの人に知ってもらいたくてnoteを書くことにしました。

【おことわり】
僕は医療従事者ではありますが、心理職ではありません。
内容に基づいておこったいかなる事案についても責任は負いかねます。
あくまで「一当事者の自分語り」としてお楽しみいただければ幸いです。

1.そもそも自他境界とはなんなのか

「自我境界」「自他境界」
似たような言葉ですが、おおむね同じような意味で使われていることが多いので、今回は後者を採用しようと思います。

そもそも自他境界は、かの有名な精神分析学の創始者、ジークムント・フロイトの弟子が提唱した概念らしいです。
要するに「自分と自分以外を区別する境界線」のことなんです。
もう少しくわしくいうと、感情・思考・身体・行動などの各側面で、自分と他人を分け隔てる境界線といえます。

2.自他境界があいまいだとどうなる?

自分と周囲の環境や物品との区別は、誰でも容易につくと思います。
目の前に置いてあるスマホ、座っているイス、自分がながめているパソコン…
これらが自分でないことは誰でもわかると思います。

ですが、ふと「は〜あ…」とため息が聞こえてきたらどうでしょう。
一瞬だけ「今のは自分の声がもれたのかな?」って考えませんか?
もし、即座に他人の声だと区別がつくなら、あなたの自他境界はかなり明確だと思います。

これが僕の場合だと、周りの人をみわたして、今一度自分で小さくため息をついてみて、やっと「やっぱり俺の声じゃないよな」と気づけるんです。
もちろん、普段はすぐ気づけるんですが、疲れているときなんかは、そうやって確かめないといけないんです。

自他境界があいまいだと、この例のように、自分と他人の区別がつきにくく、怒りや悲しみなどの他人のマイナス感情が自分の中に入ってきたり、他人の不機嫌が自分のせいだと感じてしまったりして、人間関係で傷つきやすくなってしまうんです。

と、いくら言葉で説明してみても、なってみないとわかりませんよね。

次章以降で、僕個人の例を豊富に出しますので、少しでも「自他境界のあいまいさ」のイメージをつかんでいただければと思います。

3.僕の場合

1)ことの発端

もうずいぶん前の、大学のサークルの飲み会でのこと。
自分の酒量もまだわからない若造だったので、したたかに酔ってしまったのです。
そのとき、トイレの鏡にうつった自分の顔をみて、

「だれやこいつ」

とつぶやいたんです。
鏡の中の人間が、どうしても自分だと思えず「おい、お前だれや」「なんとかいえや」「マネするな」としゃべりつづけていたんです。
人にみられたら通報されていてもおかしくなかったと思います。

それ以降も、お酒にひどく酔うと鏡の中の自分が自分でない感覚にたびたび襲われました。
それから10年以上も経って、主治医にそのことを話すと、

『イルハンさん、それ統合失調症の症状やで。自分と他人の区別がつかんようになってるんや。危ないよ』

といわれて、はじめて自分の自他境界がかなりアバウトであることに気づかされたんです。

2)自他境界のあいまいさによっておこる不思議な現象

どうも、疲れているときや、ひどいストレスが加わったときなどに、僕は極端に自他境界があいまいになるようです。

システムエンジニア時代に、夜勤や度重なる上司からの叱責によって僕はうつ病を発症しました。
自宅で寝ていても、鳴ってもいない携帯の呼び出し音に何度もおこされ、聞こえるはずのない他人の話し声に怯え、へやの中を歩き回る人々の影に悩まされ…
ついに心と体の健康を損ねてしまいました。

今考えると、それらの現象は、自分の記憶の中にある聴覚的記憶や視覚的記憶が、自分の外からきていると誤認したためにおこっていたのではないかと考えています。

今でも、妻と喧嘩をするなどして、ストレスが極度に高まると、いわゆる離人症のような症状が出ます。
そんなときは、自分の手足をみても、それが自分のもののように感じられなくなり、何度もつねったり叩いたりして確かめたりしてしまいます。

さらに症状が進行すると、自分のみている風景が「自分以外の誰かの体を通してみている」ように錯覚するんです。

自他境界のあいまいさゆえにおこるこれらの現象に対して、最初はひどく怯えてしまっていましたが、今では慣れたものです。
「あ、またいつもの出とるなー」ってなもんです。

3)自他境界のあいまいさゆえにおこる対人関係のトラブル

自他境界があいまいで、一番困ることは対人関係のトラブルです。
例えば僕は他人のネガティブな感覚や感情を自分のもののように感じてしまいます。

目の前で誰かが怪我をしたら、自分も同じ部位が痛くなります。
目の前で誰かが罵倒されていたら、自分がひどい言葉を投げつけられているように感じます。

喧嘩でマウントポジションをとったのに相手の顔に拳をふりおろせず、逆にボコボコにやられてしまったこともありました。

虐待関係のニュース記事を読んだりすると、亡くなった幼児の感情が、自分のもののように感じて情緒不安定になります。

他人が不機嫌だったり、悲しんでいたりすると自分までそんな気持ちになってしまうんです。
そのせいで、ひどい精神状態になって、何も手につかなくなることもよくありました。

特に、家族などの身近な人との境界がわからなくなる傾向が強いようです。
今でも、帰宅して妻が不機嫌だったりすると、自分までイライラしてしまい、喧嘩に発展してしまうことだってあります。

他人の感情と自分の感情、他人の発言と自分の発言の区別がつかずに混乱してしまうこともあり、身近な人には本当にいろいろ手を焼かせてしまっています。

4.自他境界があいまいでよかったこと

1)「人の気持ちがわかるイイ子?」

僕は人から「やさしい」という評価を受けることがありますが、いつも違和感を抱いていました。
目の前で困った人がいたらすぐに手を貸すのが、僕の中では割と当たり前だったのです。
失恋したと悲しむ友人と共に泣き、道に迷っている外国人がいたら声をかけ、重い荷物をなんとか運んでいる人がいたらすぐに手伝う…

もうおわかりかと思いますが、僕には「人を助ける」意識なんてぜんぜんなくて、人の「悲しい」「困った」「重たい」が自分の感覚のように思えるから、無意識で手を出しているだけなんです。

2)動植物やものを大切にする

僕の自他境界のあいまいさは、どうやら人間に対してだけではないようなんです。
車が傷ついたり、ロードバイクのフレームが破損したりしたら、僕は自分の体が痛覚を発するような感覚に襲われるのです。

だから、僕は、自分の所有物をめちゃくちゃ大事にします。
掃除やメンテナンスをするときは「いつもありがとうなー」と声をかけたりします。

飼育している昆虫や植物に対しても同様であることは、いうまでもありません。

3)大自然に溶け込める

僕は、自然の中で遊ぶのが大好きなのですが、その理由が「没我(ぼつが)」できるからなんです。

山道をロードバイクで風を切って走っていると、風の中に自分が溶け込んだみたいな感覚になります。
森の中で深呼吸をすると、自分が自然の一部になったような気がして、ささくれだった心が落ち着きます。
スキューバダイビングで海に潜っていると、太古の昔、水中を漂う生き物に過ぎなかった頃を思い出すかのように、自分という存在を忘れられるんです。

5.さいごに

「自分は自他境界があいまいなんだ」と気づくまでは、苦しむことがたくさんありました。
精神医療を受けて自分を客観視できるようになり、医療従事者・当事者として発達障害に対する理解が深まることで、いろんな対処法が身につき、今はずいぶん楽に生きられるようになりました。

それだけではなく、自他境界のあいまいさを楽しむ余裕ができました。

だって、歴史小説を読んだり、映画やドラマを観たりしたら、普通の人以上に感情移入できるんですよ?
自分がその場に、その状況に置かれているかのように感じるんです。

僕の意識は、時空をこえていろんな場所に存在できるといっても過言ではありません。

このnoteをお読みいただいて、少しは「自他境界のあいまいさ」について少しはイメージをつかんでいただけたでしょうか?

当事者の方には、こんなとらえ方もあるんだ、と感じていただけると幸いです。

イルハン

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