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ブスの呪いに悩まされている人へ

整形にハマる人は、圧倒的に女性に多い。

そうでなくても、中学くらいから身だしなみに関する雑誌を読んできていて、ファッション誌を参考書だと思えば、英語と同じくらい熱心に勉強してきた。


「女性は見た目を整えろ」というメッセージをさまざまなメディアからくみ取ってきたのかもしれない。

https://note.com/palette_lgbtq/n/nab8406ef0da0


思春期は自身の外見について向き合うことが多かった。

小学生になる頃には、自分が客観的に見て可愛くないということも知っていたし(オードリー若林さんによく似ていた)、可愛い女の子が優遇されるということは暗に分かっていたの


女子校にあがったあとも、男友達の多かったコッピーは地元の中学に通う友達に友人を紹介されたことがあった。

そして、しばらくメールでのやり取りをしていた

顔写真を要求されたけれど、自分が可愛くないことを知っていたので、一度は断ったの

でもやっぱり要求されたので、何度も写真を撮り直し、自分が少しでも可愛く映る角度を探し、恥ずかしいけどドキドキしながら送った


それ以来、返事は来なくなってしまった

とっても可哀想なコッピーちゃん・・・
そんなやつ相手にするなと励ましてやりたいけれど、当時のコッピーちゃんは気付かなかったのだ

あれ?おかしいな??

「元気?」

「おーい」

なんて、送ってしまっていた。

しばらくして突然、気付いてしまった。「私の顔が可愛くなかったから返事が来なくなったんだ」と。恥ずかしいし絶望だった。たぶん「お前の友達ブスだな」と私の顔写真を見せているに違いない、というネガティブな妄想も膨らましたのだった。



仲間外れにされたときも、恋愛が実らなかったときも、

「ああ、私が不細工だからだ。可愛かったらこんなことにはならなかった。」

と思った。かなしいね。

社会の呪いだけじゃなくて、自分で自分に呪いをかけてしまっていたんだね。

高校生のときも、可愛くならなきゃいけないと思って、たくさん化粧をした。付けまつげをしてアイラインを目のキワよりも上に描き、その隙間を塗りつぶし、少しでも大きく見えるようにした(昔のギャル曽根さんみたいな感じ)。

大学時代も、どてかいカラコンをして、派手なメイクを施した。


顔が見られていると感じると、コンプレックスに感じているパーツが小刻みに痙攣してしまう時期もあった

男子が何気なく言った一言で、今でもコンプレックスを抱えているパーツがある
そして彼らは全く覚えていないと思う

(私もきっと、無邪気に人を傷付けてしまってきたのだけれど)

わたしがいちばんうらやましく、憎いのは、一般的に負の評価を下されるであろう見た目でも、すごく明るく、自信のある同性だった。

「可愛くないんだから調子に乗るな」という、どこかで浴びせられたような暴言が、私の中の当たり前としてこびりついてしまっていたのだ。

その無意識の差別に気付いたのは、ごく最近のことである。


父が言った「顔というものは、誰が誰であるか見分ける記号に過ぎない」という言葉にも救われ、そんなニュートラルな評価ができる人になりたいなと思っている。

もちろん表情筋の使い方とか人相というものはあると思うけど、いかによく魅せるかということにこだわらなくなった。

わたしはある時期から、見た目で戦うという土俵から意図的に降りたのだ。



とはいえ、女性の顔というものは、いつの間にか知らぬ他人にジャッジされてしまう


授業をやっていても、あの先生はかわいいとか若いとか、言う程ほどかわいくないだとか
初めての授業のとき学生をエゴサしてみたら、そう書いてあった。

そいつの成績下げた。


冗談です。
でも学生のみんな気をつけて(笑)

少しずつ少しずつ、人の外見にばかり言及している人が不快になった。女性としての性や若さを切り売りしているわけじゃないんだもの。

わたしがネット上で顔出しをしているのは、ADHDであることを隠して生きている人が多いから、ニュートラルに公表していいものだよという意味を込めてだけど、勝手に自分の美醜の尺度で何らかの評価をする人はいるだろう

でもそれはそれでかまわないよ

ただ今のわたしは、誰が何と言おうとかわいいのだ

くっきり平行二重でも、人中が短いわけでも、印象に残るような美人でもないけれど、

「キレイキレイ」のキャラクター調みたいな顔でかわいいの。

https://www.sankeibiz.jp/smp/business/news/200212/prl2002121226079-s1.htm


あるいはバカボンのママのようでかわいい。

https://www.oricon.co.jp/news/2066225/photo/18/

だからかわいいねと言われたら、
「いやいや…全然そんなことないよ…」とは言わずに
「わーい!ありがとう!」って笑顔で返すし


真面目な話とか顔面で評価されたくない場面では、良い評価だとしても、
仮に私が男性だとしても、同じ感想を抱いたか?(顔を査定しようと思ったか?)って思ってしまう

いや、ブスだよと言われても

思春期の私だったら傷付くだろうなと思いつつ、「私はキレイキレイのキャラクター顔に満足しているのでほっといてくれ」と言うだろう

不器用ながらも生きてきた歩みが愛おしく、自信になっている


そして自分に「似合う」を見つけ、その似合うものを愛すようになってきている。

キレイキレイのキャラクターがカラコンや付けまつげが似合わないのは自明だけれど、ずっとずっと、ハーフ顔のような目鼻立ちのくっきりとした可愛くて美人な人に憧れていたんだな。


今はずいぶんとナチュラル志向になって、むしろなりたかった美人なお姉さん系より、私くらい薄い顔のが似合っているなと思えた。キレイキレイのキャラクターもバカボンのママも、それはそれでかわいいじゃんって思っている。

そして、他に戦いたいと思えるものができてから、顔面の評価への執着から解放されるようになりました。


たぶん、外見を勝手にジャッジされてしまうことで悩んでいる女の子は多い
幼少期の「私がブスだからだ」の呪いはなかなか解けない。

勝手に乗せられてしまっていた土俵で闘っている女の子もたくさん出会うし、あなたは人と比べられない魅力があって、十分に美しくかわいいのに

顔を変えたいと願うまで、画一の美の価値観をあなたに植え付けた犯人は誰だ??とくやしくなる。


「好き」と思えるコンテンツの中から、自分に近いものを見つけて、さらにその良さを分析して近付けてみて、自分の素材の中にも「好き」を見出してみる。

「大衆に好かれる」よりも「自分に似合う」を探すことは楽しい。


そして、全ての戦いに参加しないようにしない。

本当にあなたは、他人に見た目で評価されると同じくらいの熱意で、見た目に賭けているのか?

ぜひ考えてみて欲しい。


ブスの呪いをかけてくる人からは離れる。

あるいは呪いをかけさせない。

そう心に決めて、素敵に年を重ねていきたいものです。


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