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障害年金申請を自力でやってみた!Ⅱ

発達障がい者にとっての障害年金申請の大変さ

私は、50代半ばでなんとASD &ADHDの診断をされました。
なかなかわかりずらい特性だったようです。
なんとなく生きづらいなぁとずーっと思っていました。
どこの職場でも何故か意地悪な人がいる。おかしいなと思い続けていました。違いました。私が普通ではなかったようです。😆
発達障害でも色々な人がいます。そうなんですね。特性が色々あってわかりずらいんです。テレビドラマに出てくるASDのようにはっきりと特性を描かれると特徴がインパクトすぎてちょっと違うなと思いつつ、そうそうそんなところあるあると共感できたりします。

家族で発達障がい

私の家族は、全員が発達障がいと診断されました。
それぞれの特徴がぶつかり合って本当に大変な十年間でした。
最初にこの特徴で倒れてしまったのが主人でした。主人のASDと私のADHDが激しく疲れさせてしまったようです。
その頃の私は息子が小1だったのに発達障害という言葉すら知りませんでした。主人は自分の特性が息子に似てきたと不安な気持ちを私に見せないように本当に厳しく躾けてきました。そんな主人を見てまた私は理解もできず主人を責めていたと思います。
仕事にできない主人を見てイライラしながらまだ幼い息子は学校でトラブル続き私の体も限界に達していました。そして、死ぬほどの頭痛がして仕事も家事もできなくなったのが令和2年の出来事でした。
適応障害、自律神経失調症、仮面鬱と病名は変わっていきながらも失業給付が終わると仕事を探し半年後にはまた退職という日々が続いていました。
令和5年2月社労士事務所にようやく転職ができました。
どうしてかわかりませんが、数字を言われてもメモが取れなくなったり、復唱ができません。デスクの周りがいつも散らかってしまいます。
挙げ句の果てに上司の言葉が理解できなく説明したくても言葉がでてこなくなったのでした。
結果、私自身の苛立ちと上司の苛立ちから退職することになったのでした。
主人の主治医から息子の主治医に転院したことで私に発達障害(ASD)が発覚しました。その後、主人の主治医にも再検査をお願いいたしましたがするとADHDが重症とのことでした。この辺りの検査はおって書いていこうと思います。
その後、主人は息子の特性は自分ではなく私が原因。自分自身の鬱は、私の特性が負担だったとかなり、ひどい状況に置かれてしまいました。
今でも根に持っていますが・・・それも病の一つとして乗り越えてきました。

ADHDは大変!

ADHDは、ご存知の通りもの忘れがかなりひどいです。
少し前に考えていたことをすっかり忘れてしまいます。
「あれ?」という言葉は本当に多くて結婚当初は主人に笑われていたことを思い出しました。
「切符どこ?鍵どこ?」なんて当たり前で・・・ストーブ切ったかどうか。鍵かけたかどうか。いつも不安になり主人に電話したりと出かけるにも一苦労です。
こんな私が、年金申請自力でやってみたんです。
実は、丁度主人が年金申請したころから私自身の体調も不安になっていたので念の為にその後、全ての医療費の領収書を保存していました。
また、大学卒業後から就職先と仕事内容をきちんとメモしていました。
(パソコンに保存)
転職歴20社以上あるので大変でした。💦

本日はここまです。最後まで読んでいただいた方ありがとうございました。
次回、年金申請受理までの道のりを書いていこうかと思います。
参考になれば幸いです。

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