いとなむ星々
あんまり知られていないかもしれないけれど、実は星って鳴ってるんだよ。
例えるならオルゴールのくしの歯がピンをはじく時のような、スタッカートのついた、だけれどふしぎとやわらかい音だ。聞いていると心がおだやかになってくるし、少しばかり眠くなってきたりもする。
『だからって、それで居眠りをされちゃあこまるわ』
右の耳元から聞こえてきたのは、短い猫の泣き声だった。
でも僕にはちゃんとそれが言葉になって聞こえてくる。当然さ。だって彼女は僕の大切な相棒だからね。
「大丈夫だよルーナ。仕事中に眠るほどおちぶれちゃあいないつもりさ」
『どうだか』
ルーナはそう言ってそっぽを向くと、僕の肩からぴょんと飛びおりた。どうやらこの間、うつらうつらしてあやうく転倒事故になりかけたことを根に持っているらしい。
『星間スクーターの扱いは難しいのよ。いくら慣れていたって、眠りながら運転できるわけがないんだから』
「大丈夫だよ。今日はあの時ほど疲れてはいないから」
『どうだか』
この台詞を連発するということは、本格的に彼女のご機嫌が斜めだということだ。
僕は最終手段として、ズボンのポケットにひそめておいた彼女への貢ぎ物を差し出した。
「君の大好きな煮干しだよ。どうだい。これで仲直りってことでひとつ」
『……それってどこ産?』
「純天の川産」
『――仕方がないわね。貴方がそこまで言うなら、水に流してあげる』
そう言って、彼女はぴょこんと僕の右肩に舞いもどった。呆れたような口調だったが、その尻尾は期待にふわふわ揺れている。
僕は彼女に気付かれないようにくすりと笑うと、湿った口元に煮干しをもっていってやった。間も無くそこから小さな牙が飛び出し、小魚を大切そうにさらっていく。
彼女の食事を邪魔しないようにしながら、僕は《仕事》を開始するため、ゆっくりと歩き出した。向かうのは、愛車の待つ車庫だ。
「ああ、頼むから煮干しのかすを落とさないでくれよ。このシャツ、おろしたてなんだ」
『大丈夫よ。ひとかけらだってこぼすもんですか』
返ってきた言葉はどこか誇らしげですらある。
僕は彼女の食い意地に心の底から感謝しながら、車庫のシャッターを開け、明かりをつけた。
中で僕達を待っていたのは、使い込んだ銀貨のような色をした古い二輪車だった。星間スクーターとしてはかなり古い型だけれど、丸みを帯びた可愛らしいフォルムが気に入っている。
「お食事は終わったかい? そろそろ出なくちゃならない時間なんだけど」
『ちょうどすんだところよ。貴方っていつもタイミングがいいわね』
あんまりよくわからないところで褒められているってことは、おそらく彼女のご機嫌も復活したのだろう。
「それじゃあ、君も準備して」
『まかせなさいな』
ルーナはそう言って、俊敏な身のこなしで彼女の定位置であるサイドカーへと乗り込んだ。
僕は本日の業務をなんとか始められそうなことに安堵しながら、ハーフヘルメットのベルトをとめる。そのまま流れるような仕草でガソリンコックとチョークに触れ、ペダルをキックした。ブロロロン、と小気味の良い音と振動が、僕の身体を真っすぐに貫く。
アイドリングが安定したのを確認した僕は、シートにまたがって言った。
「いくよ」
『いつでもいいわ』
ルーナの返答を確認してから、ゆっくりとアクセルを開いた。走り出したスクーターは、光り輝くダストの尾をひきながら、まるで坂道でものぼるみたいにしてゆっくりと高度を上げていく。
『もうすぐ例のポイントよ』
ルーナがそう言って、ふるるとひげを震わせた。僕はうなずいて、少しずつスクーターのスピードを落とす。停車したのは、とある古びた星の前だった。
リィン、リィン。
あたりに響くこの星の声は、どこか悲しげで弱々しい。
「検分を始めるよ」
僕はズボンのポケットから、小さな金属製のハンマーを取り出した。
表面に浮かぶくぼみの形を見定めて、その星の「ここだ」というポイントを、ごくごく弱い力で叩く。
キィン、と甲高い音が反響した。それはまるで鼓動のように周期的なリズムとなって、僕たちの耳を幾度もうがつ。
「やはり、〝そう〟だね」
目配せすると、ルーナは神妙な面持ちで頷いた。――そう。この星の命は、今まさに燃え尽きようとしている。
「……お疲れ様」
僕はこの瞬間、いつもどのような言葉をかけていいのかわからなくなる。それもそのはずだ。僕らよりも遥かに長い年月を生きた星の今わの際に相応しい台詞なんて、きっとどれだけ考えてもわからないだろう。
それよりも僕にできるのは、この星の最期が少しでもいいものになるように、精一杯腕を振るうことだけだ。
「――良き旅路を」
願うようにささやきながら、一点を正確に打つ。リィィィィン、とひときわ高い声で鳴いた星に、間もなく青い火が灯った。それはあっという間に燃え広がり、星全体を包みこんでいく。
燃える星は、何かに駆り立てられるように夜空を滑り落ちていった。
あの青い火が小さくなり、燃え尽きればそれが命の終わりだ。時間にすればわずか数秒でしかない最期。
遠ざかっていく光の尾をぼんやりと眺めていると、ふしぎな気持ちになる。
何かを送り出すということは、失うことのようにも思えるけれど。星を見送るたびに僕は、ひどく大切なものをもらっている気分になるんだよ。
『ねぇ、死ぬっていうのはどんな感じなのかしら』
帰り道、ルーナが珍しくそんなことを言うので、僕は少しびっくりしてしまった。
「どうしたんだい、いきなり」
『貴方ならわかるかと思って』
ルーナの瞳はすごく真剣で、茶化している風ではなかったので、僕も真剣に答えることにした。
「ひとだった時のことは、もう覚えていないんだよ」
『そう』
ルーナの返事はひどくそっけなかったけれど、それは興味が失せたのではなく、僕のことを気遣ってのものだったと思う。
僕はふうむと少しばかり考えてから、キュッと左にハンドルをきった。
『わぁっ!』
「ごめんごめん。もう少しがまんして」
僕はそう言って、大きく身体を前にのりだす。アクセルとブレーキのバランスに細心の注意を払いながら、スクーターは、下へ、下へ。
まるでさっきの星みたいに、勢いよくおりていく。
『ねぇっ! これって、落ちてない⁉』
ひっくり返った声でルーナが言ったのとほぼ同時に、僕らは下降するのをやめた。僕はゆっくりと速度を落としてから停車し、ヘルメットを外す。
星空にぽつんと浮かぶ、白線のひかれた停車場。
僕らがたどり着いたのは、とある古びた駅だった。
下界から運ばれてきた《星のこどもたち》が、天上で初めて降り立つのがここだ。そうしてこの広い空に散り散りになり、それぞれの持ち場で輝き始める。
『ここって……』
天上生まれ天上育ちのルーナには、なじみのない場所だろう。
『《はじまりの停車場》……ここがそうなのね』
ルーナはサイドカーからとびおりて、ぐるりと辺りを見回した。
『ってことは、ここが天上と下界の境目なのかしら? ずいぶん下へ来たものね』
ルーナはそう言って、自身の足元をぐうっとのぞき込んだ。
ここからならうすぼんやりとだけれど、下界の明かりが見える。誰かの生活を支える、あったかい灯がそこにはあった。
ルーナは首を動かして、僕のことを真っすぐに見た。どうしてここに? と、そう言いたいんだろう。
僕はしゃがみこんでから、さきほどまでのルーナみたいにぐうっと首を折り曲げて、下の方をのぞき込んだ。
「さっきも言ったように、ひとだった頃のことは、ほとんど覚えてないんだけどね」
僕は下を向いたまま、ルーナに語りかけた。
「――死んだ星が、尾をひいて、空を流れていくだろう。ひとはそれを見て、願い事を言うんだよ。星の光が見えているうちに三回願いを言えたなら、叶うっていわれてる」
ずうっと下の方でちかちかとまたたいているひとの明かりを、懐かしく思うこともできないのに。
「おかしいよね。それだけは、なぜだかはっきり覚えているんだ」
僕はそう言って笑った。ルーナは黙ったまま、じっとこちらを見ている。
「あの星が死んでしまったことは、もちろん悲しいことさ。だけどね、あの星の最期の光を見て、どこかの誰かがいっしょうけんめい願いごとを唱えている。そしてたぶん、たまにかなったりもする」
一度ゆっくりと目を閉じてから、もう一度開く。そしてルーナを見る。そうしたらもう僕は、さっきまで見ていた明かりのことなんてもう思いだせないだろう。
『――それが、さっきの質問への答えかしら?』
――死ぬっていうのはどんな感じなのかしら
少し前に聞いたルーナの声が、頭の中で響く。
「どうだろうね」
僕はそう言って小さく笑うと、ルーナにむかって両腕を広げた。
「悪いね。寄り道をした。そろそろお腹がすく頃じゃないか?」
『さすが、よくわかってるわね。今日はなんだかいいものが食べたい気分なの』
ルーナはそう言って、僕の腕の中ではなく右肩の上にとびのった。
「君って、いつでもそう言うじゃない」
『考えてみなさい。よくないものを食べたい気分って、なに。想像できる?』
耳元で聞こえる軽口を心地よく感じながら、僕はゆっくりとスクーターに歩み寄る。心地のよいキックの感触、小気味よいエンジン音。
なめらかにすべるように、僕らは夜空をのぼっていく。スクーターから吐き出されるダストは、まるですい星の後をひく尾っぽのようだ。
今日も天上ではたくさんの星が光り、またたき、おわりを迎える。
悲劇でも喜劇でもない日常をあえてひとの言葉で言い表すのならば、それはきっと《いとなみ》というやつなのだろう。
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