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死にたがり賛歌

 それは「もういい加減死んだ方がいいな」と思っていた生理二日目の夜のことだった。私はシャワーのお湯を身体に浴びせかけながら、おろしたての剃刀の刃をじっと見つめる。こののっぺりとした光よう。パーフェクトだ。むふふと込み上げる笑みを抑えきれない。私はこの自殺が必ず成功すると確信していた。一刻も早く、美しくてドラマみたいな死を迎えて、みんなをあっと言わせたかった。

 しかし手首に剃刀をあてがった瞬間、はたと気付いてしまった。待てよ、私は今全裸だ。ていうかナプキンが無い。パンツもない。上からも下からも大出血って、どうなの、それ。

 遺体発見時の自分を想像して青ざめた私は、この場で死ぬのを一旦諦めることにした。なぁに、こんなに死にたいと思っているのだから、いつか死ぬ機会もあるだろう。私は念の為風呂場の洗剤の種類を確認した。違う種類の洗剤を混ぜると何だか死ねそうな感じの物質が発生するってコナン君が言ってた。しかし我が家には洗剤が一種類しか無い。これも駄目か。私は諦めて浴室を後にした。バスタオルに顔を埋めると微かにお日様の匂いがする。そうか、窒息も捨てがたいな。ふわふわの繊維に顔を埋めながら、私は思案する。

 すっかり髪も乾かして、小ぎれいなパジャマに身を包んだ。この間チュチュアンナで買ったばかりの新品だ。死に装束にはふさわしい、と私はひとりほくそ笑む。

 自分の部屋に入ると、ハンガーに掛けられた制服が目の前に見えた。このネクタイは比較的幅広だから、もしかしたら使えるかもしれない。女子高生が制服で首吊りというのも、何とも乙なものだ。

 私はネクタイを手に取って、首に一周巻いてみた。そのまま両端を掴んで、勢い良く引っ張る。ぎゅうっと締まるのが気持ち良くて、私は恍惚とした。一瞬だけ。しかしその一瞬後にはぎゅうっと顔を顰めて、握っていたネクタイをぶん投げる。なんてこった。私は自分の顔をぺたぺた触った。きっと今の私は、すごく汚い顔をしていたと思う。天下の女子高生が、そんな死に顔を晒すなんて許されない。これはボツだな。渋い顔をしていると、母さんがコンコンとノックしながら部屋に入ってきた。あんたそれ、ノックの意味全然無いから。私は心の中でそう突っ込む。

「あーあー、せっかく綺麗にかけておいたのに」

 母さんはそう言って、床でぐしゃぐしゃになっている私のネクタイを拾い上げた。逆剥けだらけの荒れた指先が丁寧にそれをハンガーに吊るし直すのを、私は手伝うでもなしにぼんやり眺めている。十七年間繰り返されてきた『いつもの光景』。最後の夜にまるで似つかわしくなくて、私は少し不満だった。

「何ぼーっとしてんの」

 別に、と答えるのも面倒臭い私は、そっぽを向きながらシカトをきめこむ。

 そんな私の様子に呆れたような母さんは、溜息まじりにある重大な事実を告げてきた。

「今日の夕飯オムライスだよ」

「やった!」

 それを聞いて私は一目散に部屋を飛び出す。廊下にまで卵の焼けるいい香りが漂っていたので、とりあえず今はご飯を食べることにした。いいね、最後の晩餐ってやつだ。幸いにもオムライスは一番の好物だ。私はチキンライスが無くなるまでおかわりし続けることを心に決めて、ダイニングへ向かって歩き出した。

 すっかり満腹になったので、私は上機嫌だった。もし今司法解剖されたら、あんなに食べたのがわかってしまうのかな。そもそも自殺した人って、その後解剖されるのだろうか?

 自分の身体の行く末が気になるので、ちょっとパソコンを開いてみた。幸い今の世の中、google先生に聞けば大抵のことがわかる。

 なるほど。事件性が無いかどうか解剖して調べるのね。勉強になるわぁ。私はそのまま『自殺』というキーワードについて検索を続けた。睡眠薬、あります。一緒に自殺、しませんか。なるほど、世の中には色々なサイトがある。

 夢中でパソコンを弄り続けた私は、自分の瞼が重くなっていることに気付いた。時計を見ると十二時を少しまわったところだ。私はパソコンをシャットダウンしてベッドの中へと潜り込む。ああ、そういえば明日は小テストがあるんだった。やだやだ面倒臭い。このまま寝てるうちに死なないかなぁ、私。そんなことを考えながら、ふかふかの枕に顔を埋める。こんなに死にたいんだから、明日の朝にはもう冷たくなってるかもしれない。ああ、でもそれって寒いかな。寒いのは嫌だ。私、冬は嫌いなんだ。しかも明日は隣の席の美穂にマンガを貸す約束をしている。朝起きたら準備しなきゃ。面倒臭いなぁ。あー死にたい。

 そんなことを考えながら、私は穏やかな水面にたゆたうような眠りにつく。お腹の中ではたらふく食べたオムライスがその間にも消化され、死にゆく為に生きる私の呼吸を助けるエネルギーになるのだ。

 夜が明けたら朝陽を浴びて、目覚めた私はだらしのない格好で焼きたてのトーストを一枚頬張るだろう。そして美穂に貸すマンガ本全十五巻を自転車の前カゴに入れて、遅刻ぎりぎりの時間に、スカートを翻しながら走っていく。そういうものなのだ。不本意なことこの上ないけれど。

 あーあー、いつ死のうかなぁ。

 清潔な布団を抱き締めながら、私はむふふと考える。何だか極上の夢がみられそうな気がしたので、重たい瞼をおろしてやって、深く深く息を吸った。吐いた時にはもう既に眠りについていたと思う。何だかすごく穏やかで、気持ちのいいところで笑っていたから。

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