「習熟が遅い」は悪いことじゃない
おはようございます。
365日連続投稿にチャレンジ中のふくさちです。
本日は213日目です。
うちの長男は5歳。
ひらがなは読めるようになったけれど、書くことはあまり好きではないようで、練習をしたがらない。
焦る必要はないと頭では理解しつつも、他の子が書いているのを見るとなんとなく焦ってしまう。
そんな中、オブザーブしていた社内研修にて、ハッとさせられる一コマがあった。
その日は「育成」がテーマだったのだが、「習熟が遅い人に対してどうアプローチすべきか」という話題になっていた。
どうしても「飲み込みが早い人」たちを「優秀な人」と捉え、「飲み込みに時間がかかる人」たちを「優秀ではない人」と捉えてしまいがちである。
習得スピードが遅い人たちに対してどうアプローチすべきかという議論をしている時に、ある人が「習熟が遅いことは本当に悪いことなのか?」と訊いた。
思わずハッとした。
何かを習得するまでのスピードは人によって異なる。
時間がかかっても、最終的にしっかりと習得しているのであれば全く問題はないはずだ。
むしろ、スタートダッシュは早いものの、「分かったつもり」になってしまい、成長が止まってしまう人よりは良いのかもしれない。
ちなみに私はどちらかと言うと、後者・・・。
確かに「決められた期限内に一定レベルに達してもらう」ための育成も重要ではあるけれど、育成というのは本来、もっと「長期的な視点」を持つべきものである、と感じた。
さて、我が家の長男。
ひらがなはまだ書けないと思っていたのだけれど、なんと七夕の短冊を自分1人で書いたのだ。
書けない字は、自分で書き順を調べながら書いていた。
寿司が早くなりたい・・・
ではなく、あしがはやくなりたい。
まだ出来ないと思っていたけれど、彼の中にはこれまでのインプットが十分に蓄積されていた。
そうだった、うちの長男は、密かにインプットを溜め込んで、とつぜん爆発させるタイプの人だった。
習得スピードは人それぞれだし、そのプロセスも人によって異なるということに改めて気づいたエピソードでした。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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