『相対的な考え方』を超越する

 身の回りのものを認識するとき、私たちは常に物を比較することで考えてます。例えば、「サッカーボールと野球ボールはどちらが大きいですか?」と聞かれたとします。あなたは実際に目で見て「サッカーボールが大きい」とすぐにわかります。大きさというのは、視覚的に一目瞭然で、比較しやすい要素であると言えますよね。

 しかし、この場合はどうでしょう。「目に見えないほど小さい粒子が2つあり、どちら粒子が大きいかわかりますか?」あなたはわからないでしょう。それはあなたが観測することができないからです。

 そこで人間は顕微鏡を作りました。より小さなものを比較できるようにするためです。その顕微鏡の「どちらの砂が大きいか」がわかったとします。しかし、「その顕微鏡でも見ることのできない粒子」の大きさを調べることはできませんよね。

 なぜこんな当たり前の話をするかと言うと、私たちの一般的な考え方は「相対的」であることを説明したいからです。「目に見えるものを比較して考える」、これが人間の心理です。これを「相対的である」と言います。この考え方は中学・高校物理の範囲(古典物理)なのです。

 過去100年前まで、私たちは目に見えるものを比較して考えてきました。そうすることで、世の中にある「法則」を導きました。それは「力の法則」といった物理だけでなく、「健康になるための法則」だったり、ビジネス書の「成功するための12の習慣」だったりします。

 でも現実的に、その法則はいつも上手く行くわけではありませんよね。天気予報は当たらず、株価は予想がつきません。私たちが完全に健康になることはありません。世の中には、必ず「誤差」というものが生まれます。その原因は、「認識できない因子」が無限に存在するからです。そして私たちは、その因子をできるだけ追求します。目に見えないものは「顕微鏡」を使って、因子を探し出します。でも、またその中に「誤差」を見つけ出すのです。

 だから、「真実」が一つであっても私たちは真実に気付くことが出来ないのです。目に見ることで、誤差が生じてしまうということです。わかりやすく例えると、刑事事件の例があります。ある刑事事件が起きたとき、刑事がそれぞれに「現場で何が起きたのだろう」と頭を抱えますよね。でも、実際に何が起きたかは誰もわからないのです。なぜなら、皆が自分の頭を使って勝手に想像してしまうからです。わかりましたか?目に見ることで、誤差が生じてしまうのです。

 だから誰にも真実はわからないのです。それでは、未来のために私たちは何を努力すればいいのでしょうか。

 大人になるほど、世の中は不思議に満ち溢れ、やがて私たちは諦めを知ります。これが古典物理の思考の限界です。しかし、やる気のある人間は『努力したら報われるわけではない。努力しても報われるかわからないけれど、成功する可能性とリスクを考慮して努力を積み重ね、成功の機会を待つ』と考え始めます。

 私たちは、今までに学んできた「法則」を考慮し、自分が成功へ近づくための「未来像」に近づける可能性の高い道を選ぶしかないのです。そのために私たちは「リスク」を考えます。例えるなら、「この問題が過去問に出るから、この範囲を重点的に勉強しよう。他の範囲に時間を費やすにはリスクが高い」、「雨が降るかもしれないから、傘を持っていこう」、「この株に全資金を全部つぎ込めばリスクが高いから、一部をドルに替えて破産する可能性を減らそう」といったものです。

 私たちは「法則」を駆使して、「確率」を予測して生きていかなければなりません。これが100年前より始まった量子論・量子力学の発想です。大学物理ではこういったことを始めに習いますが、日常現象に当てはめれば物理に興味がない人間でも十分に理解できますよね。

 この「不確定性」を理解すれば、世の中で理解しきれない事を受け入れることができるようになります。可能性を信じて努力することができます。

 だから、夢を諦める必要はないのです。たくさん読書をして、「世の中の法則」を学び、夢を叶えるために一番可能性が高い道を選びましょう。それが成功するための一本道です。そして、「どう頑張っても報われない」という辛い気持ちを、「これからはより可能性が高い道を選ぼう」とポジティブな方向へ導くことができると思いますよ。

 僕は、このように物理的見方をアップデートすることで、人を幸せにしたいのです。自分のために、将来生まれるであろう自分の子供のために、そして読者のために、執筆を続けていきます。応援よろしくお願いします。

https://akihiro-yoshino.themedia.jp/posts/7679150


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