認識と生き方
突然ですが、皆さんは動物ってなんだと思いますか。
動物とは、人間にとって「生命を持ち、動いているもの」です。可愛い犬や猫、鳥などが思い浮かぶでしょう。皆さんはひと目で見ればそれが動物であるかどうかわかるものです。
でも動物の定義とは何でしょうか。
例えば、「動いているのに動物とみなされないもの」がありますよね。風や雨といった自然現象は動物とみなされません。これは人間が「感じている」けれども「動物として理解できないものである」から動物ではありません。
以前は知られていなかったような動物もいますよね。例えば、微生物の存在は知られていませんでした。それは微生物が「動いているのが見えなかった」からです。今だって我々の身体には細菌がまとわり付いていても気にならないでしょう。
こうしてみると、動物は「人間が実際に目で見てみて、生命を持っていると決めている」と言っても過言では無いとわかります。それだけ人間は感性に頼って分類をしています。
<物理学的側面ではこちらの記事に繋がります。>
すると私たち人間同士においても、この「認識」が互いを見定めていることがわかります。
このことを用いて、人間社会で生き抜き、愛する人と幸せになる生き方を提案します。
そもそも「認識」が必要かと問われれば、必要であると考えます。なぜなら他人より「認識」が劣れば、他人に騙されることになるからです。騙されることは一種の洗脳でもあって、騙されて最初のうちは幸福ですが、最終的には財産や人望を失うことになります。よって「認識」は不可欠です。
そして「認識」を増やすためには、それだけの「感性」を磨かなければなりません。
そのための第一段階として、自分の身体の状態を把握することが必要です。『今、私は疲れているのか。足の具合が悪いのか。お腹が空いているのか。不機嫌なのか、上機嫌なのか』と自分の状況を自分で把握できるようになってください。それは、目をつぶって、自分に正直になれば良いのです。自分を抑え込もうと無理をしている人も多いでしょう、私も同じです。一緒に深呼吸して、自分に素直になりましょう。自分を理解すれば、まず自分の身体を管理することが可能になります。疲れているときに身体を休める、本が読みたかったら読む、今日はこの食べ物は食べないほうがない、など自己管理ができるようになります。
次に、他人を理解する「感性」を磨きます。他人は基本的には私たちと同じ「人間」です。「されて嫌なことはしない」とよく言いますが、本当にその通りで、基本的には「相手がどう思うかを考えてから、行動する」ことが大事です。
ただ、「感性」が弱い人間も大勢います。例えば、一般的に「臭いと言われる人間」は一定数存在します。それは、①自分では気が付いていないという「感覚の弱さ」が原因か、②「気付かれない」と思っているか、③「気付かれているのはわかっているが、社会的に問題ないから良しとしている」か、④「社会から外れてもよいと思っている」のいづれかです。
①の人は、自身の感覚が他人より弱いうえ、自覚がありません。大人になれば、そのような「欠如した人間」に注意することなく、周囲の人は離れていきます。そのような無知な要素は誰しも持っています。その対策としては、「他人と同じ生活方法をとる」ということがあります。「臭い人間」は、その生活習慣に何かしら問題があるわけで、とりあえず「マナーや一人暮らしに関する本」を購入し、自分の生活習慣と照らし合わせて「とりあえず真似てみる」ことが重要です。一度「良い状態」を理解すれば、「感性」は習得できます。微生物が顕微鏡を通して初めて観測できたように、私たちも「知識」を通じて感性を習得することができるのです。頑張りましょう。
②の人は、社会的存在としての自覚が足りません。家での生活は、外でも出ていると考えて行動しましょう。③の人は、社会的に安定した生活をしてきた人間に多いと思われますが、周囲の人が一度離れると非常に苦しくなるということを知りましょう。④の人は、よほどの強者か生存願望の無い人間なので、それはそれで良いと思います。
他人を理解する「感性」を磨いたところで、初めて他人との交渉が可能になります。これによって幸せになれるかどうかがかかってきます。
<続きはこちらのサイトから>
https://akihiro-yoshino.themedia.jp/posts/7669612
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