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アスペルガー的な的な敵ななな

たらればなんて言ってられない
今までの生きてきた道程を含めての
自分なのだ
もっともらしい言葉でそれらしく 
まとめるのが嫌いだった
言葉が咄嗟に出てこないのは
自分の考えがなかったからだ
2003年1月から障害者になってしまった
なってしまったという言葉が
その当時の自分の率直な言葉だった
今まで個性とされてきたものが
障害にすり替わってしまった
ある日を境に自分を見る
他者の目が
がらりと
変わる
今までとこれからと何が違うんだ?
いきなりケチがついただけだ
そう思った
それとも私の安全性に問題が?
これは風評被害と同じ事だと
今なら
思い至る
個性が障害って言われて
今までもこれからもそう大きくは
変わらないだろう自分を否定される
障害は
矯正するもの
隠すもの
駄目なもの
障害者手帳を持ってはいるけれど所持はしていない
役所の手続きに使う時に親から見せてもらう
くらいでだからなのか実感に乏しい
障害者なのか?
自分は?
では
健常者ってなんだ?
常に健康な者
わからない
わからない 
わからない 
どちらにも振り切れない
白とも黒とも言えない言い切れない
はざまで
揺れる
揺れる
揺れる 
しかない

アスペルガー症候群
アスペルガー的な自分の傾向を
アスペルガー
的な
的な
的な
敵な
敵な
敵な
ものと
敵視し
アスペルガー的な傾向も含めて自分なのに
そこだけ切り離す事なんて出来ないのに
肯定しなくてもいいから否定しないで欲しかった
こだわらない事がこだわりになってしまう
矛盾をはらんでしまう
自分を否定
すると
どんどん透明になっていく
アイデンティティなんていらない
量産型じゃない
耳を齧られて青く染まって
猫だけれどネズミを恐れるドラえもん
みんな量産型ではないはずだ
唯一ではなくていいから
普通を目指しなさいって言われ続けたけれど
普通の型に当てはめる事がどうしてもできずに
できない自分が劣っている劣っている劣っている
負のスパイラルに呑み込まれていく
自己を肯定することなんて考えられなかった

我思う
故に我あり
思う私を否定して何が残るのか?
無色透明を目指した日々
そして2011年3月11日
当たり前が当たり前じゃなくなり
固執していたものが
価値観が揺さぶられ
誰かがなんとかしてくれるなんて幻想で
自分がなんとかするまで
なんとかなんてならないって
揺さぶられる

スイッチオン

起動する

良くも悪くも自分を認めない事には
はじまらなかった

走り出す

能動的24時間

的な的な的な

雨ニモマケズ 風ニモマケズ